いつかどこかの可惜夜で‐03
薪のパチパチと爆ぜる音が聞こえてくる。ついで、まぶたの向こう側がほのかに明るいことにも気づき、ゆっくりと目を開けた。
「ん、起きた」
「琳太?」
「ん」
どうやら、琳太に膝枕されているらしい。
寝返りを打とうとして、つきりと頭が痛んだ。瞬きしづらい。どうやら、額に何か貼られているらしい。
琳太の顔をよく見ると、頭に包帯が巻かれている。
「痛い?」
「うん、でも大丈夫」
わたしの意を汲んで、琳太が起き上がるのを手伝ってくれた。
ゆっくりと上体を起こすと、全身に、主に背中を中心に、鈍い痛みが走る。強く身体を打ち付けてしまったから、打撲しているのだろう。しばらくは、ひどいあざになっているかもしれない。
わたしがいたのは、いつも使っているテントの中だった。外の景色はあまり見えないが、まだ明るい。
「つづら〜」
「はーい」
琳太の声に反応して、テントに影が差した。
しゃがんだ九十九と目が合って、その瞳がまあるく、大きく見開かれるのを見て、胸が苦しくなった。
眉を下げて、優しく九十九が微笑む。
「よかった、起きたんだね」
「うん……」
ごめんなさい、と言おうとしたのに、声が出なかった。
うつむいたわたしに、なおも九十九は優しく話しかけてくれる。
どこか痛いところはないか、お腹は空いていないか。
全ての質問に大丈夫だと答えると、九十九はいったんテントを出て行った。ややあって、ばたばたと慌ただしい足音がする。
「リサー!!」
テントを壊しかねない勢いで、美遥がテントの入り口に頭からスライディングしてきた。
「いや待てお前」
突っ込んできた美遥を、後ろからはなちゃんが押さえる。首根っこをひっつかんで、ネコのように持ち上げられている美遥は不服そうだ。
「なあリサ、」
もがいている美遥を適当に投げ捨てたはなちゃんが、ヤンキー座りで話しかけてくる。全然目が笑ってない。その辺の不良が裸足で逃げ出す迫力だ。
「誰から説教されてえか?」
誰でも嫌です。
わたしの顔を見て返事を読み取ったはなちゃんが、そうかそうかとうなずく。全然何得してない面持ちで。
「琳太、お前もだからな」
「うえ……」
わたしから全く目線を逸らさぬまま、フェイントで琳太を狙い撃ちするはなちゃん。琳太はわたしを支えていると見せかけて、ちゃっかりわたしのことを盾にしている。
やめてくださいそろそろ視線に射抜かれて穴が開きそうです。
「ところでそれなんだが」
はなちゃんがようやく視線を逸らしたかと思えば、次に見ていたのはマスターボールだった。なんと開閉ボタンの部分がべたべたとガムテープでとめられている。モンスターボールの中でも最高峰と言われているそれが、見る影もない……。
「そ、そこまでする……?」
「そのまま川に流してもよかったんだけどな」
まったく冗談を言っている風ではない。おそらく本気だ。
マスターボールは微動だにしていない。沈黙を貫いていた。
「とりあえず、みんながいるところ以外では開けるな」
「うん、分かった」
彼もある程度のダメージは受けているはずだから、休養という意味でもそっとしておいた方がいいだろう。
はなちゃんの手を借りて外に出てみると、下方に、今朝テントをたたんで出発した場所が見えた。かすかに焚火をした形跡が残っているから分かった。
どうやら今は、洞窟のどこかの横穴から出た場所にいるらしい。
ライブキャスターの時計を見ると、お昼はとっくに過ぎている時間だった。
「歩ける?」
琳太がさっきからわたしの肩を持ったまま離れてくれない。電車ごっこのように、両手を添えて、わたしがどこへ行こうにも後ろにぴったりとくっついてくる。
「琳太、大丈夫だよ」
「ん……」
返事はするものの、琳太が離れることはない。まあいっか。後ろに誰かがいる安心感は確かにあるし。
紡希がきゅっと唇を結び、わたしの額をそっと撫でる。男に蹴られたであろう、手当てされている場所にそっと手を当てて、それから、ゆっくりとわたしの身体を抱きしめてきた。けがに響かないよう、抱きしめると言っても、腕の中に収められる程度のものだった。
「かわいい顔に傷が……」
大丈夫だよ、すぐに治るよ、と言いかけたが、また言葉が出なかった。
そういう問題ではないのだ。
もし、紡希が同じ目に遭ったら?すぐに治るから大丈夫だと言われたら?それでも心配するに決まっている。傷は癒えても、痛みを感じないわけがないし、その痛みを忘れられるわけでもない。
いたたまれなくなって、わたしの方からハグを返すと、紡希は何も言わずに抱き留めてくれた。
おいらもおいらも、と美遥がやってきたものの、はなちゃんにきつく言い含められているのか、両手を胸の横辺りでさわさわと動かしているだけで、触れてこようとしない。
それが少しおかしくて思わず笑ってしまったのだが、美遥はずるいずるいとむくれている。
このままではずっとすねていそうな雰囲気だったので、手を差し出すと、へにゃりと美遥の顔がほどけた。
「手はけがしてないから、大丈夫だよ」
途端、美遥は嬉しそうな顔をして、わたしの手を包み込むように握った。本当は身体の節々が痛くて、手を握られる度に肩が痛むけれど、これくらいなら我慢できる。
「カップラーメンならあるけど、リサさん食べれる?やっぱ食べておいた方がいいよ」
「う、うん、食べれる!」
九十九がそう言って、いくつか形状の異なるカップ麺の容器を取り出した。
その横で、紡希が鍋に水を入れている。……と、そのまま手袋を外し、素手で鍋に触れた。
「えっそうやって沸騰させるの!?」
「いやね、アタシも今初めてやってみたのよ。できるかなーって」
マスターボールに閉じ込められている男が、擬人化した状態でわざを使っているのを見て、自分でもできるか試してみたかったらしい。
ややあって、紡希は首を横に振った。だめだったらしい。指を水面に少しつけてみると、ほんのりぬるい、ような気がした。
「あの男が図抜けて戦闘に特化してるか、特異な体質か、そのどっちかね」
「やっぱ難しいんだ……」
手近な乾燥した枝を地道に拾い集めていたはなちゃんが、遊んでないで手伝えと言う。慌てて立ち上がると、お前は座ってろと言われてしまった。
することがなくなってしまったので、テントに戻って荷物の整理でもするかと思ったが、テントの隅っこに放置されているマスターボールが気にかかってしまう。
開けちゃだめだと言われてはいるけれど、食事の時くらいは一緒に、と思ったのだ。
一緒に食べてくれるか分からないし、何なら暴れ出す可能性の方が高いけれど……。
「ね、あなたにもう一度会えたら、仲間になってくれたら、って思って、ずっと前から決めてた名前があるから、もらってほしいな」
返事はない。眠っているのかもしれないが、多分無視を決め込んでいる。あるいは、このマスターボールが特殊なボールであるが故に、勝手には出てこれない仕様なのかもしれない。
「とりあえず、ガムテープだけは剥がしていいか聞いておくね」
ずっと貼っておくとベタベタになりそうだし。
ボールを手に取って外に出ると、もう小さな焚火が出来上がっていた。鍋からは湯気が上がっている。
「もうすぐだぞお!リサ、何味がいいんだ?」
シーフード、塩、カレー風味、うどん、天ぷらそば、焼きそば……。結構色々ある。
あっさり目のものがよかったので、うどんと答えると、緑色の容器に入ったカップ麺を渡された。既視感がある。こっちの世界でも同じような商品があるというのは、いつ見てもなんだか不思議な気持ちになる。
「まって何これ」
「チーズケーキ味だぞお」
「焼きそばだよね」
「焼きそばの、チーズケーキ味だぞお」
誰が食べるの?というか、いつ、誰が買ったの?
「セッカシティでコートとか買っただろ。そのときにガラポン?とかいうくじ引きみたいなのができたんだよ。そんとき景品だったのがコレ」
「そんなことがあったの……」
はなちゃんは普通の焼きそばにお湯を注いでいる。さすがにいくら甘党とはいえ、アレに手をつける気はないようだ。
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