いつかどこかの可惜夜で‐02
「りゅうのいぶき!」
当たれば、あわよくば、麻痺してくれたら。素早さはアドバンテージだ。空を飛べる琳太の方が行動範囲は広い。とはいえ、この狭い洞窟内ではその持ち味が十分に生かせないのも事実。
琳太の吐き出した炎は、男がいた痕跡を焦がしただけだった。
下がった頭に向かって、素早く飛び上がった男が足を振り下ろす。
『……ッ!』
すんでのところで首を逸らし、かかと落としの直撃を免れた琳太。しかし、空中で体勢を崩してよろめいた。その隙に男の追撃が来るかに思われたが、男は羽を持たない。
相手が地面に着地し再び跳躍するまでの間に、琳太はなんとか体制を整え、距離を開けてくれた。
ふりだしに戻る。
いっそ九十九達も出せば勝機が見えるのかもしれないが、この戦いだけは、わたしと琳太でやり抜きたかった。……負けそうになったら、そうも言ってられないとは思うけれど。
「琳太、こわいかお!」
「ぐっ……!この、」
琳太の気迫が増し、男が気圧された。一瞬のひるみを見逃さず、琳太が急降下で突っ込む。
「ドラゴンダイブ!」
重たい音が響いて、地面が揺れた。洞窟が崩落してしまうのではないかというくらいの振動の後、砂埃が舞う。とっさに、首元にまいていたれいかいのぬので口元を覆い、煙が晴れるのを待つ。
こうしている間にも琳太達は戦っているのかもしれない。じれったいが、待つしかない。
煙が晴れるとそこには、肩で息をしている男と、地面に降り立っている琳太の姿があった。地面が暗い色で濡れている。……どっちの血?
『がふッ……』
「琳太!?」
『だい、じょうぶ……!』
吐血した琳太は、血で濡れた赤い牙をむき出しにして男を威嚇した。
男は、片膝を突き出すようなかたちで曲げた姿勢のまま立っていた。
……琳太が突撃してくる勢いを利用して、膝蹴りを当てたんだ。
琳太が翼を動かすやいなや、追撃とばかりにかかと落としでその身体を地面に打ち付けようとしてくる。
「……!」
しかし、軸足がわずかによろめき、狙いが逸れた。
琳太のドラゴンダイブを、完全にはねのけられたわけではなかったらしい、ダメージはしっかりと男にも通っていたようだ。
「いわなだれ!」
天井からいくつも巨大な岩が落ちてきて、その中に男を埋めてしまった。
がれきで時間を稼いでいる間に、荒い呼吸を繰り返している琳太が、ようやく空中へと舞い上がった。
「小賢しい真似してくれはったなァ……」
程なくして岩の塊が次々とはじけ飛び、土埃にまみれた男が現れた。ぎろりとわたしの方を睨んでいる。
口の中を切ったのか、男が血の混じった唾を吐く。
腰のボールをぎゅっと握りしめた。……いざというときのために。
「距離取り過ぎやで」
にた、と男の口が弧を描く。
それが琳太に向けられた言葉だと分かったのは、男の手がわたしめがけてかざされたときだった。
「ッリサ!」
「琳太、だめ、!」
琳太が猛スピードでわたしと男の間に割って入る。そして、男の放った光の球が、琳太の身体にめり込んだ。琳太はその威力を受け止めきれず、わたしごと後ろの岩壁に激突する。
全身が固いものに激しくぶつかり、呼吸の仕方を忘れてしまうような激痛が、身体中に走った。
手をつくこともできず、顔面から地面に落下する。鼻が痛かったが、思っていたほどの衝撃ではなかった。
起き上がろうとして、身動きがとれないことに気付く。自分の身体に、琳太の腕が絡まっていた。しっかりと抱き込むようにして、わたしのことを守りながら……気絶していた。
「琳太?りんた、」
「つーかまーえた」
琳太の腕の中でもがいているわたしの顎をぐいとつかみ、無理矢理上を向かせた男は、色のない瞳でわたしを見下ろしていた。
「次に会うたら、って言わんかったっけねえ」
「……ま、て……!」
「琳太!」
わたしの身体に絡められている腕の力が強くなった。ぶるぶると震えて身じろぎした琳太が、顔を上げる。
「邪魔」
男が足を上げ、思いっきり琳太の頭を踏んだ。声もなく再び地に伏した琳太は、それでもわたしのことを離さなかった。腰のボールがいくつも振動しているが、身動きできないほどにきつく抱きしめられている今、ボールが開く隙間もない。
男が、もう一度足を上げ、琳太の頭を踏み抜こうとした瞬間、軸足に飛びついた。
「やめて!」
「……チッ」
標的がわたしに変わる。衝撃が数度、額に熱い感触がして、生温いものが流れ出す。額がキレて、血が出たらしい。目に入るのが嫌で、それでもつぶってしまうのはいやだったから、片目だけで相手を確認して、足にしがみつく。離してはいけない。ここで離しちゃだめだ。
「キレーな顔のまま死ねたんに残念やなあ」
口の中に血の味が広がる。肩が痛い。もはや自分がちゃんとしがみつけているのかも分からない。
「あんたの頭潰したら、その男どんな顔になるやろうな?」
何度も鈍い音がして、頭がぐらぐらしてきた。
再び顎を掴まれる。無理矢理、男と目を合わされた。
「血ィみたいな色しとるんやな」
愛おしむフリをして、わたしの頬を触れるか触れないか、ギリギリの距離で撫ぜる男。とろんとした、恍惚という言葉がぴったりな顔をしているが、目の奥は空虚なままだ。
尖った爪が、1本、2本とわたしのまぶたにあてがわれる。
目を、えぐり取ろうとしているのだと分かり、身体が固まった。
「アンタの悲鳴聞いて、男は起きるやろうか?どのタイミングで起きるんやろうな?指が入ったとき?指でまさぐってるとき?それともアンタのそのきれいな色した目玉が、ずるずる引きずり出されるときやろうか?」
ひとしきり男が呟いて、それから、いよいよ視界が男の手によって覆われる。尖った爪がまぶたに食い込む感触がして、荒い呼吸の中に悲鳴のような声が混じった。
腰のボールがガタガタとベルトを引きちぎりそうな勢いで震えている。
足につかまるのを諦めて両手を離したわたしを、男は笑って見下ろしているようだった。
ず、と指がまぶたの奥に入り込んだ感触がする。
「は?」
男の動揺した声が聞こえる。
まぶたに痛みはない。痛いのは、打ち付けた背中と、蹴られた肩口、それから血が流れている頭。
今も男の手で視界は覆われていて、目の周りに異物が入り込んでいるような感触はあるものの、血が噴き出すような気配はなかった。
「……お父さん、ありがとう」
「は、なん、」
「捕まえ、た!」
わたしと琳太の間にできた、わずかな隙間に手を突っ込み、腰へと手を伸ばす。素早く抜き取って、手を伸ばし、驚いた表情で呆然としている男の側頭部を殴るように、球体を押しつけた。
ピンポン玉サイズだった球体が、にわかに野球ボール大へと膨脹する。
がつ、と鈍い音がして、男の顔が歪んだ。
「
きさん、クソ、このアマァ!!」
ドスの利いた声を上げた男の全身が、光に包まれ、球体の中へと吸い込まれていく。鋭い爪のついた手は、届く前に収縮し、空を掻く。
一度、二度、三度。
揺れたボールはやがて、ことりと静かに転がった。
紫色の球体は、びくりともしない。
それとほぼ同時、腰のボールが4つの光を吐き出したが、それを最後に、わたしの視界は黒一色に覆われてしまったのだった。
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