いつかどこかの可惜夜で‐01 

 朝日が顔を見せる直前、テントを折りたたんだわたし達は、いよいよチャンピオンロードへと足を踏み入れた。
 昨晩のことを誰かにとがめられることはなかった。気付いているのか、それとも、気付いていながら黙っていてくれているのか。
 どちらにせよ、みんなを置いて夜の散歩に出かけたことは後ろめたかったが、琳太はちゃんとテントが視界に入る場所しか飛んでいないので許して欲しい。
 
 薄暗い時間帯から洞窟に入ったおかげか、あまり暗いとは思わなかった。
 ぴちょん、ぴちょん、と天井から落ちてくる雫の音があちこちで響く。じめじめしていて、それがいくらか寒さを和らげていた。とはいえ、日が昇ってからも、この洞窟内の温度はさほど上がらないだろう。ずっとここにいれば、身体が冷え切ってしまうに違いない。あまりにも長い道のりであるならば、時々岩壁の外に出て、身体をあたためた方がよさそうだ。

 ……と、いうか。

「琳太、道分かる?」
「ん」

 こっち、と琳太が歩き出す。
 そう心配しなくても、ここは琳太が暮らしていた場所なんだから道案内を頼めば済む話だった。
 ときおりきょろきょろと辺りを見回しながら、それでも琳太の足はほとんど止まっていない。生まれ育ってどれぐらいここにいたのかは知らないが、自分の庭のようなものなのだろう。
 時折、野生のポケモンが襲い掛かろうとしてくることもあったが、琳太がひと睨みするだけで逃げていく。結構なレベルの差があるのだろう。

 階段を上ったり降りたりを繰り返して、方向感覚があやふやになってきた頃、ようやく琳太が足を止めた。

「ここ、リサと会った場所」
「そうなの?」

 どこも同じに見えるから、そう言われてもしっくりこない。どこかに琳太がわざを放って開けた穴がありはしないかと思って辺りを見回したが、それらしいものもない。もう埋められてしまったのだろうか。

「……琳太、何か聞こえる?」

 琳太が首を横に振る。
 笛の音が聞こえてきたら、戦闘に備えられると思ったのだけれど。そううまくはいかないらしい。

「もういないのかな」
「ん……どうだろ」
「何を探してるんだあ?」

 待ちかねたのか、美遥が出てきた。
 人を探している、と言うと、じゃあ飛んで探してくると言い出したので慌てて止めた。鳥目で見えないでしょう、きみ。
 ぶすくれた美遥の横に、紡希が現れる。

「じゃあアタシが探してこようかしら?」
「紡希にはちょっとここ狭くない?」
「まあ……そうね……」

 人型だからいいものの、原型の紡希は結構大きい。
 あちこちで身体をぶつけてしまっては危ないし、それに、野生のポケモンに襲われれば戦闘を強いられることもある。ひとりにはしたくない。
 
 そうやってああだこうだと言い合っているうちに、はっと琳太が動きを止めた。それが、あのときみたいで、心臓を鷲掴みにされたような心地がした。

「来た」
「琳太、」
「ん」

 おれが行く、と目線で示した琳太の身体が元の姿へと一瞬で戻ったかと思えば、目の前に白い男が姿を見せた。ゆっくりと、余裕たっぷりに歩み寄ってくるその人を、わたしは、まっすぐに見据えた。
 笛の音は聞こえない。男は笛を持っていなかった。

「なーんかどっかで見たことあるちーさい女の子やなあ」
「笛は、吹かないの?」

 頭の中は意外と冷静で、けれど身体は震えていた。指先まで血が回っていないような感覚。四肢が詰めたい。背筋がぞくぞくする。さっきから、暑いのか寒いのか、分からなくなっていた。

 男が目を細めてわたしを見る。
 琳太と同じ色の瞳、けれど、そこに温度はない。
 目と口が三日月のように歪む。それが笑みだと気付くまでに、少し時間がかかった。
 
「そんなに笛の音、良かったん?」
「……わたし、その口調きらいだな」
「ほお?」

 男の柳眉がぐい、と上がる。

「わざとらしくて、べたべたする」

 見える。今なら男の顔も、表情も、つぶさに見える。今のわたしには、全部見えている。

「死にたいんか小娘」
『させないよ』

 琳太が、わたしと男の間に割って入った。男が口元を歪めて琳太を睨む。うっとうしそうな表情をしていて、口元が歪んだ三日月のようになっているが、目はちっとも笑っていなかった。

「聞きたいことがいっぱいあるの」
「ウチはアンタの可愛い悲鳴がたっぷり聞きたいんやけどなあ」

 ねえリサアイツちょっとやばくない、と紡希が耳元でささやいてきたが、素直に頷いている場合ではない。少しでも隙を見せたら、それが死に繋がるような予感がしていた。
 相手の男の殺気に気付いたのか、美遥が生唾を飲む。できればボールに戻ってほしかったが、指1本動かすのですら、おいそれとはできなかった。

「わたし達が勝ったら、お話ししてくれる?」
「……よっぽどいたぶられたいん?」

 犬歯をむき出しにして口角を上げた男が、地面を蹴った。スライディングするように琳太の真下へと潜り込み、片方の足を一閃。
 間一髪、琳太が洞窟の高さいっぱいに急上昇したため、直撃は免れた。

「りゅうのはどう!……美遥、紡希、戻って!」

 腰についたボールの振動を感じたのとほぼ同時、2人の気配が消えた。
視線は目の前から逸らさない。少しでも視界からあの男が消えたら、きっとわたしが狙われる。
  
 両手を軸にして蹴り上げた姿勢の男が、そのまま肘を曲げ、飛び上がるようにして空中で身体を捻り、琳太と距離を取る。
 今しがた男がいた場所に、りゅうのはどうの青白い閃光が突き刺さった。
 穿たれた地面から上がっている煙を見て、男が口笛を吹く。

「あやうく消し炭になるところやったやない、のッ!」
「!」

 ぎらりと光った赤紫色の光が、わたしを捉えた。
 両の足で着地したかと思うと、男の手が光を放つ。その光がやがて球体になり、男がそれを振りかぶったところで、地面が揺れそうなくらいの轟音が響いた。
 琳太のハイパーボイスだ。
 一直線にわたしめがけて投げられるはずだった光の球は、狙いが逸れてあさっての方向へと飛んでいく。

「やっぱきさんオマエから殺す」

 口調が変わった。嫌な感じの猫なで声が消えて、地を這うような低い声が響く。多分、こっちが素だ。
 低い声で唸るように言葉を吐き捨てた男は、しなやかに岩壁を蹴って跳躍し、琳太に迫った。遠距離戦は不利だと判断したのだろうか。

「琳太、もう一度ハイパーボイス!」

 隙が出来ることを願ったが、さすがに二度同じ手は通用しないらしい。鼓膜の破れそうな爆音の中、それを意に介する素振りもなく、男が白髪をひらめかせた。袖口の長い布が、鞭のようにしなっている。
 
 瞬きすら命取りになりそうな状態で、食い入るように男の顔を見ていると、その顔から歪んだ表情が消えていることに気付いた。
 相手の余裕が失われているという証拠だと思いたい。

「たたきつける!」

 空中でぐりん、と回転して勢いのついた、琳太の太い尻尾がしなる。鈍い音がして、男の拳と衝突、直後に互い地面と空中に別れ、距離をとる。
 再び男が足に力を込めた。それをみとめて、琳太が高度を下げる。頭を下げて口を開く。
 相手の男の見た目は確かに人間だけれど、ポケモンと変わらないくらいの俊敏さと、攻撃力。きっと何かのポケモンが擬人化した姿なのだろうと、今のわたしなら分かる。でも、そうだと分かるからこそ、どうして擬人化した状態でもここまで強いのかが分からない。
 みんなの様子からして、擬人化していたら、わざのひとつを出すだけでも苦労するような状態が普通なのだと思っていた。鍛えれば、ここまで強くなれるのだろうか。



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