道化師は黄昏に哭く‐07 

 琳太がもう大丈夫だと言うので、おそるおそるながらも背中に乗せてもらうことになった。
 ……申し訳ないが、美遥より安定感があって、安心して乗っていられる。身体が大きいのもあると思うけど。それでも、龍卉さんの安定感に比べれば、と思うところもあって、やはり彼はすごかったんだなと実感した。

「……!」
「大丈夫だよ」

 飛行中、ふと琳太の双頭と目が合った気がして身構えてしまった。
 しかし、琳太が一声鳴くとまた前を向いて、それから着地するまで、わたしの方を見ることはなかった。

 ……髪、伸びたな。
 風で後ろに流れていく髪の重さを感じる。頭が後ろに引っ張られてしまいそうだ。
 少しくすんだ色の黒髪だから、母親のような、つややかで真っ黒な髪にずっと憧れていたけれど、父親の、少しつや消しのような質感をした遺伝子が混じっているのだと思えば、これでいいと納得できた。

 日が暮れてゆく。
 薄墨を透明な水に垂らしたように、じんわりと薄暗い色が空に染み渡っていく。

 風に夜の匂いを感じて、身震いした。雲間に見える太陽は、未だそのまばゆさを隠そうもしていない。今日の夜空はきっととても澄んでいるだろう。

 琳太と再会した崖の上を越えて、小さく点になっているトレーナー達の頭を飛び越えて、琳太は建物の前に降り立った。
 石造りの古めかしい建物で、扉はなく、そのまま入れるようになっている。
 壁には細かく緻密なモザイク模様が施されており、手間のかけられた代物なのだと容易に想像できた。よく見ると、模様がところどころモンスターボールを描いている。
 両脇に鳥ポケモンのような形の石像があり、見上げれば、入り口の上にも、もうひとつ石像が鎮座していた。今にも飛びかかってきそうな勢いのまま固まっている、翼が大きなドラゴンだ。何のポケモンなのかは分からない。見たことのない種類だった。

「ここが、バッジチェックゲートかな」
「ん、たぶん」

 おずおずと足を踏み入れると、係員のような人がひとり、大きな扉の横に立っていた。いかめしい顔をしているから、話しかけるのに尻込みしてしまう。
 しかし、入った以上、そのまま出るのも失礼だし、何より先に進まなければならない。戻っている場合ではない。

「資格なき者、この門は通さん!」
「えっと……」

 これかな、とバッジケースを開けてみせると、重たい扉が鈍い音を立てて開きはじめた。通っていい、ということだろう。
 ぺこりと会釈をして、次の部屋へ。
 正直、あの人とバトルをすることになるのかと思っていたから、どきどきしていた。見るからにベテランといった雰囲気をしていたし、バッジの数分のトレーナーと戦うのでは、とすら思っていたから。

 いくつも扉を通り抜け、8つ目のバッジチェックをパスした先にあったのは、断崖絶壁の崖だった。正面には、申し訳程度に穴があり、それが入り口になっているようだ。目をこらして奥の方を見ても、薄暗い、岩壁に囲まれた空間だということしか分からなかった。
 ぽっかり開いた穴を見つめていると、飲み込まれてしまいそうになる。
 鼓動が高鳴っている。
 ……ついに、チャンピオンロードまでやってきたのだ。

 自転車ごと飛び出したあのとき、後ろを振り向くことはなかったから、こうやってまじまじと外観を眺めるのは、これが初めてだ。のっぺりとした岩肌は、どこも垂直に切り取られたような絶壁で、外から登るのは難しいだろう。
 天然のものかは分からないが、岩壁にはいくつも人が通れる程度の穴が開いていて、きっとわたしはあのどれかから、琳太と一緒に自転車に乗って飛び出したのだと思った。
 
「琳太、おっきくなったね」
「リサはちいちゃくなった」
「も、元に戻りつつあるだけだし。もうこれからは大きくなるし。多分」

 母親は若返った程度で済んでいるし、それはきっと嬉しいことだろうと思うけれど、成長期まっただ中だったわたしにとっては退化したような気持ちにならざるを得ない。
 冬服を新調したときに、サイズが小さくなっていたことを思い出す。チェレンやベルは、気付いていただろうか。彼らはこれからどんどん大きくなっていくだろうから、相対的にわたしが小さくなったように錯覚してくれている可能性もある。気付いていないかもしれないし。

「もう入る?」
「ううん、今日はここで野宿しよう」

 わたしの言葉に応えて、ぽんぽんとボールが開いていく。
 野宿は久しぶりだったから、テントの組み立て方さえ忘れかけていた。
 どうにかこうにか、すこし歪んだ形ながらもテントを組み立て、薪を集めて火をおこす。火起こしがとても簡単なのは助かる。紡希がふっと息を吹きかけるだけで、ごうごうとあたたかな炎が広がるのだ。

 薪の明かりを頼りにするくらい、空が暗くなった頃。
 少し底の方が焦げた炊きたてのご飯と、ちょっとだけ野菜が固いままのカレーが出来上がった。
 がじがじとニンジンをかじると、その香りが口いっぱいに広がって、カレーの風味とぶつかり合った。……まあ、これはこれで。ニンジン嫌いな人には、苦行でしかないだろうけれど。
 まあ火は通ってるしいいか、と外側だけほろほろのじゃがいもを頬張りながら、はなちゃんが頷いた。

 あついあついと言いながら焼きマシュマロをして温かいお茶を飲んで、さむいさむいといいながら片付けを終えて。
 赤くちかちか光る炭を、白い灰の中にうずめながら、ぼんやりと空を見上げた。
 思った通り、満天の星空だ。冬の空気は澄んでいて、いっとう空がきれいに見えるのだと聞いたことがある。なんでかは知らないけど。
 街頭がないせいもあってか、いつもよりも星の数が多い。何もない夜空を見つけることが難しいくらいの、満天の星空だった。

「そういえば、お昼にお風呂入っててよかった」
「ああ、そうだな。おそらくチャンピオンロード抜けるまでは入れんだろ」
「アタシも入っておけばよかった……こうなったら速攻で抜けるわよ」
「突然気合い入ってんじゃねえよ」
「なによう、お風呂は大事なのよ!」

 かみついた紡希を適当にあしらいながら、はなちゃんが空を見る。こぼれた白い息が流れていった。……少し、風が強くなってきたようだ。

「リサさん、はやくテントに入ろう」
「うん」

 人数が増えたから、もうみんな一緒には寝られない。
 各々がボールの中に入って、わたしだけがテントの中で眠るしかないのだ。大人数になったからこそ、ひとりぼっちになってしまった。

 でも、わたしと、もうひとり、ふたりくらいのスペースはある。
 
「琳太、一緒に寝る?」
「ん、いや……」
「やっぱ美遥より琳太の方が倫理観あるよな」
「おーい、なんとなくおいらが馬鹿にされたことは分かったぞ」
「いや倫理観って言葉ぐらい知っとけ。そんで身につけろ」

 やんわりと首を振って、琳太がわたしの申し出を断った。
 真っ先にダークボールを手に取って、ボタンを押す。美遥も少しそわそわしていたけれど、はなちゃんに首根っこを掴まれて、しぶしぶボールを手に取っていた。
 みんなが順番におやすみ、と言いながらボールの中へと吸い込まれていき、やっぱり、わたしひとりになってしまった。

 薪の爆ぜる音も聞こえず、みんなの談笑も聞こえない。急に静かになってしまったことが、よりいっそう寒さを感じさせた。

 貼らないタイプのカイロで温めていた寝袋の中に潜り込む。
 足先の方が温まっていなくて、思わず身体を丸めてしまいそうになったが、寝袋ではそうもいかない。
 しかたなく、眠たくもないのに目をつむり、足先をこすり合わせながら睡魔を待った。
 身体が温まれば、やがて眠くなるだろう。そう思っていたのに、手も足も冷たい。
 もともと体温があまり高い方ではないけれど、それにしたって冷たすぎやしないか。
 一度意識してしまうとなかなか寝付けない。
 すっかり冴えてしまった目をこすり、寝袋ごとむっくりと起き上がる。
 いっそのこと、コートを着てしばらく薪のそばにいた方がいいのではないだろうか。身体が温まってから寝よう。

 そう思って靴を履いていると、後ろで誰かの動く気配がした。

「琳太、どうしたの?」
「眠れなくて。……寒いし」

 ボールの中はいつも適温になっていて、寒いことも暑いこともないはずだ。

「ちょっと身体でも動かせば、あったまるかなって」
「……連れてって」
「ん」

 夜に融けてしまいそうな翼が、ゆっくりと広がった。



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