道化師は黄昏に哭く‐05 

 ポケモンセンターで診てもらったところ、琳太の身体に異常はなかった。変な薬を投与されたり、妙なわざを覚えさせられたりということもなかった。
 ドラゴンタイプのジムがある街だからか、このポケモンセンターのジョーイさんは、ドラゴンタイプのポケモンに詳しいようだった。

 曰く、サザンドラは気性の激しいポケモンであるとのこと。
 目に入ったものを喰らい、破壊の限りを尽くすと言われているような、凶暴性を秘めたポケモンなのだそうだ。
 それこそ、昔はサザンドラに焼かれて壊滅状態になった村もあったという言い伝えがあるほどに。
 
 琳太はゲーチスのサザンドラが恐ろしいと言っていたけれど、元々の性格上、それが普通なのかもしれない。
 だから、琳太がこうも穏やかなのは、もともとの気質が温和なのか、信頼しているトレーナーが近くにいるおかげで落ち着いているか、あるいはその両方だと言われた。
 もし後者のおかげってこともあるのなら、褒められたようで嬉しい。

 ただし、進化後は特に気をつけてください、ともジョーイさんは言っていた。
 サザンドラは、ジヘッドというポケモンから進化する。その際、能力が飛躍的に上昇し、大きな力を持て余し気味になってしまうのだと教えてもらった。
 
 力の制御が不安定ということは、心も不安定になるということだ。うまく自分の力をコントロールできず、錯乱状態に陥ってしまえば、およそ手がつけられない状態になってしまうらしい。
 あのとき空から、琳太だけを狙って降り注いだ何かのことは未だに謎だけれど、あれがなかったらどうなっていたか分からない。
 
 それに、琳太の場合は特別で、モノズから、ジヘッドの段階を飛ばしていきなりサザンドラに進化した。もともとジヘッドに進化できる素質はあったらしいが、琳太はどういうわけか、ジヘッドには進化せず、飛び級をしたのだ。ジヘッドになるのにも、サザンドラになるのにも、特別な道具や条件は必要ない。経験を積んで強くなることで、自ずと進化する、らしい。
 
 ポケモンの進化には謎が多い。未だに新たな進化方法が発見されるポケモンもいるのだという。
 だから、本当のことは分からないけれど、琳太が無事ならそれでいいか、と思った。

 はなちゃんと九十九も念のために診てもらって、診察室を後にする。
 人数分ぴったりのホットココアを抱えて、休憩のために借りた部屋へと向かった。
 腕の中の缶が温かくて、お腹の辺りがぽかぽかする。

「……あ」

 部屋の前まで着いたところで、両腕が塞がっていることに気付く。どうやってポケットに突っ込んだ鍵を出して、ドアを開けるんだ。ココア缶、ショルダーバッグに仕舞っておけばよかった。かといって、今へたに動くと、ココア缶を落としてしまう。

「ん」

 どこかにココア缶を置いておける場所はないかときょろきょろしていたわたしの前に、ぬっと影が落ちる。
 おもむろに出てきた琳太が、コートのポケットに手を突っ込んできた。

「反対、反対側」
「ん」

 手を突っ込み直せばいいのに、琳太はポケットに突っ込んだ手をそのままにして、後ろからもう片方の手を正解のポケットに突っ込んできた。抱えられているような格好になる。……動きづらいんですけど。

 ちゃり、と音がして、わたしのポケットからルームキーが引き抜かれる。ドアを開けてくれた琳太にお礼を言うと、いつも通りの返事があった。
 中に入ろうとすると、ぐんと後ろに引っ張られた。というよりは何かがつかえて進めない。腰の辺りが引っかかっている。

「いや、ポケット」
「ん」

 はずれの方のポケットに、まだ琳太の手が突っ込まれていた。

「あったかくて……」
「こっちの方があったかいよ」
 
 まあ、分からなくはない。寒いとポケットに手突っ込んじゃうからその気持ちは分かる。分かるけど、自分のポケットにして。
 ココア缶を取るように促すと、わたしのポケットから手を引っこ抜いた琳太は、両腕を広げた。じゃあ、と全部渡せば、琳太はそれをがしゃがしゃ言わせながら机まで運びだす。そして、未だ部屋の入り口で立ち尽くしているわたしを見て、まだこちらに来ないのかと不思議そうな顔をしていた。
 
 ……あれ、あったまりたいんじゃなかったの?

 机の上のココアには、一番にはなちゃんが手を伸ばしていた。
 お風呂のスイッチを押して、ソファに身体を投げ出す。身体がめり込んでいきそうな心地がした。ああだめ、一生起き上がりたくなくなるやつだ。

 どうにか上体をソファから引き剥がして、ココア缶のプルタブを開ける。ごくごくと甘い液体を流し込めば、その甘さと温かさが身体中に染み渡るようだった。
 温かい缶の飲み物っていつも、熱かったと思えば一気に冷めている気がする。ちょっと熱いなと思いながら飲むくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

 お風呂の沸いた音がして、入っておいでと一番風呂を譲ってもらった。
 対して温度を上げていないシャワーが、やけに熱く感じてしまう。思ったよりも身体が冷えていたようだ。貼るカイロ、そろそろ使おうかな。

 髪と身体を洗って湯船に浸かる。たっぷりのお湯がありがたい。
 肩まで浸かっているうちに、じんじんしていた手足の感覚が戻ってきた。

 琳太が、帰ってきた。

 まだ実感がなくて、ふわふわ夢心地だ。
 いなくなったときもどうしたらいいか分からなかったけれど、戻ってきてくれた今も、どうしたらいいのか分からないままでいる。どうやって声をかけよう、とか。
 いつも当たり前に隣にいる存在だったから、あまり何かを考えながら接することがなかった。
 今のところ、普通に会話できている、と思う。大きくなっても、琳太は琳太。九十九やはなちゃん、美遥が進化したときも、特に接し方は変えていない、はず。
 美遥には、一緒に寝るのを断ったら悲しそうな顔されたけど。

 琳太は、ゲーチスもサザンドラを持っていると言っていた。いつか、戦う日が来るんだろう。アデクさんが倒してくれるのが、一番ありがたいけれど。
 ゲーチスがどうして琳太を連れて行ったのか、琳太は教えてくれるだろうか。個人的には、ゲーチスが嫌がらせのために琳太を連れて行ったのだと思っているけれど、何もされなかったというのがよりいっそう不気味だ。こんなにあっさり終わってしまってよかったのか。もっと疑った方がよかったのか。
 
 食事だけを与えられていただけと言うけれど、世の中にはポケモンのレベルを上げる飴があるという。別に違法なものではないから、例えそれを与えられていたとしても、ジョーイさんは異物を摂取したとは判断しないだろう。


 琳太がまた帰ってきてくれたのは、果たしてゲーチスのもくろみ通りなのだろうか。それとも。

 浴槽の中で、体育座りをして、小さく身体を丸める。自分を中心に起きたさざ波が、浴槽に跳ね返って小さく音を立てた。くぐもった水音が響く。
 
 琳太を疑いたいわけじゃない。琳太のことは誰よりも信じている。わたしのパートナーだから。でも、琳太の知らないところで、琳太の意図しないところで、何かよくないことが起きていたとしたら?

 いや、考え出したらきりがない。ゲーチスに会って、直接確かめた方がいい。
 それに、ゲーチスにとってもわたしにとっても、琳太の暴走があっさりと収まったのは予想外のはずだ。もちろん、わたしにとってはいい意味で。まさに天の助けというやつだった。
 ゲーチスの狙いが進化した琳太の暴走だったならば、それは阻止されたことになる。わたし達は、仲間割れなんかしなかった。

 頭が少し、くらくらする。のぼせてしまいそうだ。そろそろ上がろう。
 浴槽の縁に手をかけて、ゆっくりと立ち上がる。そうっと足を持ち上げて湯船から出ると、温度差で鳥肌が立った。

 

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