道化師は黄昏に哭く‐04 

 なんと言葉をかけようか。
 叱るのも違うし、喜ぶのも違う気がする。
 九十九が言っていたとおり、言葉を選んで話すのは難しい。なんと声をかけたらいいのか分からない。

「……!」

 でも、伝える手段は、言葉だけじゃないはずだ。
 両肩から腕へと、手を滑らせる。そのまま、背中を包み込むようにして、ぎゅっと大きな身体を抱きしめた。
 胸に頭を押しつける。額から伝わるのは、少し早い鼓動だった。頭上から、浅く速い息づかいが聞こえてくる。
 深く、深呼吸。この時初めて、琳太の匂いに気が付いた。いつもそばにいたから分からなかった、いなくなったから分からなかった、琳太の匂い。もう一度出会えたからこそ、分かる。
 しっとりしていて、少し暗くて、落ち着く匂いだ。
 これが欲しかったのだと、その時初めてわたしは気付く。自然と、涙がこぼれていた。

「おかえり……!」
「……リサ」
「おかえりなさい、琳太」
「……」

 返事はなかった。
 けれど、しがみついてしばらく離れそうもないくらい、わたしの背に手が回されていたから、きっと大丈夫だ。……ううん、絶対、大丈夫。
 必死にしがみついてくるものだから、顔が琳太の胸に押しつけられてちょっと苦しい。
 わたしの肩口に顔をうずめて、静かに琳太が泣いている。

「琳太、前にわたしに言ったこと、覚えてる?」

 涙声のまま、琳太が何、と問う。
 今の今でもまだ覚えている言葉だから、きっとわたしにとって魔法みたいな言葉なんだろう。

「わたしだって……わたしだって!いなくなったらやだって思ったの、琳太が初めてだったんだよ!」

 友達も、家族も、当たり前にそばにいて、出会いも別れもそれなりにあったけれど、連絡を取ろうと思えばそうすることができた。この世界に来るまでは。
 この世界でも、家族とはいつでも連絡が取れる。でも、家族以外の大切な人は?
 燐架さんや泉雅さん、リゾートデザートのみんな、……そして、いなくなってしまった琳太。
 一度縁が切れてしまえば、再び見つけ出すことは難しい。ライブキャスターも電話もない、住所も知らない、特徴を挙げても、同種族のポケモンはたくさんいるから、他人には見分けがつかない。わたしだってチェレンのケンホロウを探してほしいと言われたら、見つけられる自信がない。

 だから、琳太を追い掛けることが出来て、琳太にまた会えたのは、本当に幸運なことなのだ。そして同時に、こうなるべきだったとも思う。
 この手に掴んだ広い背中を、もう二度と手放したくない。

「おれ、しゃべるの、へたくそだけど」
「うん」
「……話、聞いてくれる?」
「うん。たくさん聞かせて」

 わたしもお話しするのは得意な方じゃないけれど。言葉以外にも、気持ちを伝える手段はたくさんあるけれど。それでも、琳太の言葉が欲しい。たくさん、聞かせてほしい。
 血と汗と涙と、その他諸々でぐしゃぐしゃになった顔で、琳太が笑う。ちっちゃな頃の琳太の名残が残る、少しあどけない笑みだった。
 額と額がゆっくりくっついて、琳太の長い前髪の隙間から、きらきらした瞳が覗く。もう髪を結んであげなくても、いつでも目を見て話ができる。

「もう一度、おれのこと、パートナーにしてください」
「最初からずっと、琳太はわたしのパートナーだよ」

 わたしの言葉に、また琳太が泣き笑いをするものだから、とうとう堪えきれずに、わたしも笑って、そして、大声で泣いてしまった。今度はわたしが琳太の肩口に顔をうずめて泣く番だった。わたしを腕の中に閉じ込めて、琳太が深く息を吸う。その息づかいが整ってきた頃、わたしの嗚咽も同じくして落ち着きを見せ始めていた。
 
 膝が砂だらけになっていたから、立ち上がってそれを払ったけれど、タイツの膝部分が白い。これは洗わないとだめだ。膝頭、少し赤くなっているかもしれない。
 不思議と、痛いことを自覚していなかった。今さら、少しひりひりする。
 
 よろりとふらつきながらも自力で立ち上がった琳太の表情は、凪いでいた。泣き疲れたのか、目をこすっている。

「……琳太、ぼろぼろだ。はやくジョーイさんに診てもらお」
「ん」

 ライブキャスターを取り出して、この先のポケモンセンターを探してみたものの、チャンピオンロードを越えた先にしかないらしい。そうなると、一番近いのはソウリュウシティのポケモンセンターということになる。
 琳太に背を向けて、来た道を振り返る。ええと、どれぐらいの距離歩いたっけ。まだお昼過ぎくらいだけど、出発したのは確か……うん、はやく琳太を診てもらいたいし、美遥に頼んで運んでもらった方がいい。
 端末を鞄にしまって、腰のボールに手を伸ばしたとき、後ろからがっちりと首に腕が回された。

「……?」
「やっぱり、リサの目はきれいだ」

 何かと思えば、わたしを引き寄せた琳太が、上からわたしの目を覗き込んでいた。琳太の髪の毛がチクチクとわたしの顔に降りかかってきてくすぐったい。
 当の本人はさほど力を込めているふうでもないが、腕は結構重たいし、腕が少し動かせるくらいで、ほとんど身動きがとれない。
 
 至近距離で、見つめ合うことしばし。
 逆さまの世界で見つめ合ったときと同じ向きだと気付いて、また少し、泣いてしまった。

 やんわりと腕を押して、琳太の中から抜け出そうとしたけれど、肩に回された方とは反対の手がわたしの腕を捕らえてしまったので、いよいよ動くことができない。掴まれていない方の手でぽんぽんと軽く腕を叩くも、反応なし。

「あの、」
「ん?」

 声が返ってきて初めて、互いの息づかいが感じられるほど近いのだと自覚する。
 ……近い。近い。
 こうして見ると、琳太の目もすごくきれいだ。きらきらした宝石みたいで、自然の中ではあまり見かけない色づかい。
 その珍しい色の瞳に、わたしの顔が反射している。何度瞬きをしてみても、目を見開いたわたしの顔が、そこには映っている。自分の瞳の色までは分からない。琳太の瞳一色の中で、わたしの顔が、表情が、輪郭だけで形作られていた。

「琳太、重たい」
「ん……」

 もう一度、腕を優しくたたくと、ようやく琳太がわたしを解放した。わたしがゆるくもがいていることに、たった今気付いたようだった。

「痛かった?」
「ううん、大丈夫だよ」

 ほっとした顔の琳太だったが、すぐにがくりと膝をつく。とっさに支えようと手を伸ばしたけれど、わたしのお腹付近に顔を突っ込んできたその勢いと重さを受け止めきれなくて、そのまま倒されそうになった。

「はーい回収な」
「リサさん大丈夫?」

 次々にボールからみんなが飛び出してきて、琳太の身体をはなちゃんが、わたしの身体を九十九がそれぞれ支えてくれた。紡希がはなちゃんを手伝って、琳太は両脇から支えられる状態になった。

「はやくボールに戻しちゃいなさい」
「う、うん」
『はなとつーが中に入ったらソウリュウに戻るぞお』

 あれ、わたし、ソウリュウシティのポケモンセンターまで戻るってみんなに言ったっけ。
 
 言われるままに、ダークボールへと久しぶりに琳太を収める。
 あれよあれよという間に、わたしは原型に戻った紡希に抱えられ、助走をつけて飛び上がった美遥の背中に乗せられた。もう眼下に、ソウリュウシティの街並みが見えている。
 
 少し後ろを、紡希がひらひらとついてきている。涙の乾きかけた頬に、身を切るような冷たい風が染みる。どろどろになってしまったから、一度温かいお風呂に入るのもいいかもしれない。
 琳太が帰ってきてくれたからって、あまり悠長なことは言っていられないけれど、もう一度あの辺りまで飛ぶことを考えると、身体が凍り付いてしまいそうだった。
 地図を見た限りでは、もう少しでチャンピオンロード手前の、バッジチェックゲートに到着しそうだったから、今日はゲートを越えて、チャンピオンロードの入り口付近でキャンプになりそうだ。

 

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