道化師は黄昏に哭く‐02 

 何かにおびえるように、琳太は空中へと舞い上がった。黒い翼を動かして、わたしたちと距離を取る。
 逃げられても負け、琳太の攻撃で戦闘不能になっても負けだ。
 
 今を逃せば、もう二度と琳太に会えなくなる気がした。

「九十九、れいとうビーム!」

 錯乱気味だったから判断力が鈍っているのではないかと思ったが、戦闘においては違うようだ。本能だろうか。
 たやすく九十九の攻撃をかわした琳太は、黒いもやをその身にまとった。琳太を中心として、波紋のように黒い波が押し寄せてくる。

「はなちゃん、ほうでん!九十九はみずのはどう!」

 攻撃範囲の広いわざで押し返す。こちらは2体分の攻撃だというのに、その力は拮抗した。
 ……いや、少しずつ、九十九達が押し負けている。

『ッンだよこの馬鹿力……!』

 はなちゃんが、食いしばった歯の隙間から悪態をつく。
 わざの威力だけなら、ともすると龍卉さんにも劣らないのではないかと思った。本気を出した龍卉さんがどれほど強いのかは知らないけれど、そう思ってしまうくらい、琳太の攻撃は熾烈さを伺わせた。
 
 底冷えのするような唸り声の赤に、悲しみが混じっている。胸が締め付けられた。この戦いで琳太が落ち着けば、解放してあげられるのだろうか。それとも、琳太の種族は元々、こうも凶悪で、理性を欠いた獣のようにしか生きていくことができないのだろうか。
 
 そんなの、やだ。

「九十九、ハイドロポンプに切り替えられる!?」
『うん、……やって、みるッ!』

 一点集中。広範囲にわたるわざならば、範囲の狭いわざ、その1カ所を切り崩して隙を突けないかと思った。
 九十九の目の前に展開されていたみずのはどうが収束し、太い水流となってもやを打ち払う。部分的にだが、狙い通り隙ができた。

「はんちゃんそこ、突っ込んで!ワイルドボルト!」

 九十九の作った細い道を、はなちゃんがひた走る。重たい蹄の音と、弾ける雷の音。鈍い音がして、はなちゃんの頭と琳太の頭が真正面からぶつかった。

『いい加減目ェ冷ませこの馬鹿!』
『ぐぐグぐ……う……あァ』
『クッソ馬鹿力かよ……』

 かぱっと、琳太の第2第3の口が開いた。パペット人形のようなモノだと思っていたそれは、意思を持って動いていた。小さいながらも、ソレは青白い光を吐き出そうとしている。
 ……無防備になっている、はなちゃんの両側頭部に向けて。

『……は、やば』
「はなちゃん戻って!!」
『ぐぐぐぎゃあああァあああぁあ!』

 はなちゃんをボールに戻した瞬間、小さなりゅうのはどうが迸る。標的が消えたことで、両の首はお互いを攻撃し合い、痛みに悶えていた。ドラゴンタイプの弱点は、ドラゴンタイプ。至近距離での一撃であったから、尚更効いただろう。
 
 琳太は、わたしを傷つけてしまうと思って、「逃げて」と言ってくれたのだろう。確かに、九十九達が自分達の意思で出てきてくれなければ、わたしはとっくに殺されていたかもしれない。

『ング、が、アあアァアあぁああ……』

 うめき声が幾重にも重なって響き渡る。鼓膜が震える。耳が痛くなって、今にも塞いでしまいたかった。
 ぐっと堪えて前を向く。琳太の動きが鈍るまで、目を逸らすわけにはいかない。

「……!」

 琳太の両腕から生えた頭が、互いを食い合おうとして噛みつき合っている。真ん中の、琳太の頭は、はなちゃんに頭突きされた衝撃のせいか、未だに少々ふらついているようだった。それをいいことに、両の首は互いの首根っこに噛みつき、牙を立て、皮膚を食いちぎろうといがみ合っている。

「琳太、琳太、もうやめて……!やめてってば!」

 わたしの声は、琳太に届いていないのだろうか。両の頭はついに、真ん中の、琳太の頭をも標的として、三つ巴の争いになっていた。
 お互いの痛みを共有していないのだろうか。それとも、痛覚が麻痺しているのだろうか。自傷行為にしか思えないそれは、わたし達に対する攻撃と同じくらい、容赦のないものだった。

「琳太!もどって、お願い!」

 元に戻って、ボールに、わたしのところに戻って。
 何度もかざしたボールに、琳太が収まることはなかった。
 ぐらぐらと不安定に羽ばたき続ける琳太の頭は、お互いの首を狙いながらも、わたしや九十九の動きに反応しては牙を剥き、また互いの首を狙うことの繰り返しだった。
 
 我を忘れているとしか言いようのない姿に、振り絞り続けていた声が震え出す。
 こんなの琳太じゃない。わたしの琳太を返してほしい。どうして、どうして。
 それでもわたしに出来ることは、震える声を張り上げることだけだった。

「琳太!琳太、」
『リサ、下がって!』

 先ほどから張り上げ続けていたわたしの声に反応して、反射的に動いたのだろう。琳太の頭が持ち上がり、咆哮する。それ自体がわざなのではないかと思うくらい、身体の芯から震えるような音だった。
 逃げ出したくなる。地面が揺れているのか、わたしのバランス感覚が失われているのか、最早分からない。
 
 九十九がわたしの前に立ってくれたことだけが、かろうじて分かる。
 九十九だけではきっと厳しい、はなちゃんか美遥を出さなきゃと思うのに、反射的に両耳を塞いだ手が動かない。今これを外してしまえば、もう一生他の音を聞けなくなると思った。

 突如、うずくまっていた自分の身体が弾んで、わたしは前のめりに倒れた。したたかに地面に打ち付けた鼻が痛くて、つんとする。
 何かの衝撃に耐えきれず、こけてしまったのだと気付いたのは、両手が目の前に投げ出されているのをみとめたからだった。
 両手を耳から離してしまったことに気付き、一瞬肝が冷えたが、わたしの耳はまだ、世界の音を拾い続けていた。
 いつの間にか、あのつんざくような咆哮は止んでいる。今も微かにうめき声のような雄叫びが聞こえてくるが、今この場を支配しているのは、琳太の発した音ではなかった。
 
 ひゅるるる、と甲高い音が近づいてくる。
 いくつも、いくつも。
 打ち上げ花火のようだと思った。けれど花火とは逆に、音が近づいてくるとはどういうことだろう。
 倒れ伏した姿勢そのままに、なんとか首を持ち上げる。
 
 わたしをかばうようにして覆い被さっている九十九、その足の隙間から、いくつもの流れ星が見えた。

 昇りきっていない太陽に照らされた、いくつもの星が、ひとつ、またひとつと降り注ぐ。空気を裂き、地面を穿ち、震動で大地を揺らす。
 身体中の骨が震えるような振動が、脳みそを揺さぶっている。

『ア、アァ、いたい、いたいいたいいたイぃ……!』

 容赦なく降り注いだ”流星群”は、瞬く間に琳太を地面に叩きつけた。
 あっさりと、はじめから飛んでいなかったのではないかと錯覚するくらいにあっさりと、琳太は地面に倒れ伏し、もがいている。てんでばらばらに動いている3対の翼は空を掻くばかりで、羽ばたくことはできずじまいのようだった。

『リサさん、大丈夫……?』
「う、ん。なんとか、……大丈夫、立てる」

 九十九の身体を支えにして、ゆっくりと立ち上がる。すりむいてしまった肘と膝が、ひりひりする。
 彼の身体を確認したが、細かい擦り傷だけで、先ほどの何者かによる攻撃は当たっていないようだった。
 一体何だったのだろう。空を見上げるが、雲の隙間から太陽が顔を出しているばかりで、何かが動いている様子はない。それよりも、だ。

「琳太!」
『……うゥ』

 相当効いたのか、琳太は頭を垂れて地面に伏していた。擬人化した九十九が、わたしの1歩先を歩く。ぴりぴりした空気は、未だに拭えない。
 冷たい空気に、やわらかな白髪が揺れる。

「琳太、きみはぼくに言ったよね。“外に出たいなら、出たいって、言えばいい”って。やりたいことがあるなら口に出せって。そのきみが、どうして今、ためらっているんだ」

 静かな声で、九十九が問いかけた。
 それに反応した低い唸り声が、わたしには、すすり泣きのように聞こえた。

 

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