つぐないの言葉はいらない‐06 

 膠着状態が動き出すまでに、そう時間はかからなかった。
 頭を振って、無理矢理オノノクスの放つ波動のベクトルを逸らしたはなちゃんが、一気にその眼前に飛び出したのだ。
 地面に蹄の跡が残るほどに力強く飛び跳ねたその勢いは、最早スパークと呼べるものではなかった。

『リサ!』 
「う、うん!ワイルドボルト……!」

 威力は高いが、自分も衝突した反動でダメージを負う大技だ。
 躊躇なく全身をオノノクスに叩き込んだはなちゃんは、その勢いでオノノクスもろとも地面に倒れ込んだ。

「オノノクス!」
「はなちゃん……!」

 ぴく、と細長い耳が震えて、はなちゃんの頭がぐっと持ち上がる。それから蹄でしっかりと地面を踏みしめて、はなちゃんが、立ち上がった。

「オノノクス戦闘不能!ゼブライカの勝利!」
『あークソ……あったま痛ェ……』

 二日酔いの親父のような台詞を吐きながら、よたよたとはなちゃんがわたしのもとまで帰ってきた。頭に大きなたんこぶが出来ているが、これくらいならすぐに治るだろう。

「はなちゃん、お疲れさま」
『ああ……なんかすっげえ腹が立ってた気がするんだけどな……』

 なんだっけか、とはなちゃんは首を傾げている。頭をぶつけた衝撃で忘れちゃったのかな。ちょうはつ、ある意味混乱状態よりタチが悪かった。今後は気をつけなければ。
 彼の腫れたおでこをやさしく手のひらで撫でてから、はなちゃんをボールに戻した。
 再び、アイリスちゃんと向き合う。

「すごいすごいっ!アイリス、こんなに強いトレーナーさんと戦えて、すっごくうれしー!!」

 はい、と彼女が差し出したのは、念願の勝利の証、レジェンドバッジ。
 きらきらと光る小さなそれを見て、じんわりとうれしさがこみ上げてきた。どうしよう。口元が緩んでいくのを、止められそうにない。
 大切に、受け取ったバッジをケースに収める。これで、イッシュ地方の8つのバッジ、全てが揃った。

「ぜーんぶそろえたんだね!すごいすごい!おめでとう!」
「ありがとう……!」

 まだこれは経過点にすぎないけれど、それでも、確かな達成感が、この胸を満たしていた。

「これから、リサはチャンピオンロードに行くの?」
「うん、明日にはそうしようと思ってる」
「そっか。そういえばさ、アデクのおじーちゃん、どうしてると思う?」

 アデクさんは、Nを止めるために、チャンピオンとして彼の前に立ちはだかるのだろう。
 チャンピオンロードを抜けた先に、アデクさんと、そしておそらくNがいる。
 わたしはどこまで行けばいいのだろう。はじめはチャンピオンロードに行くのが目標だった。今の一番大切な目標は、琳太を取り戻すこと。結局目指すところは一緒だけれど、チャンピオンロードには、琳太と一緒に行きたかった。琳太を探しにではなく。

「心配ない、とは思うけど……でも、わたしもチャンピオンロードに行きたい理由があるから、行くね」
「うん、いってらっしゃい!」

 龍卉さんと一緒に帰ろうと、観客席の方を見ると、もうすぐ近くまで来ていた。

「やるじゃん」

 いつもよりも小さな声だったけれど、龍卉さんはしっかり褒めてくれた。こういうことこそ、もっと大きな声で言ってほしいんだけどなあ。それを言ってしまうともう二度と褒めてもらえなくなるから、何も言わないけど。

「へへ、ありがとう」

 アイリスちゃんに見送られながら、ジムを後にする。
 帰りはドラゴンの上を戻るのではなく、転送装置のようなもので一気に入り口まで移動するシステムになっていた。きっとジムリーダーのもとから入り口までの一方通行なんだろうけど、それでもすごくハイテクな装置だと思う。どういう仕組みなんだろう。

「今夜はお祝いだね」
「そ。よかったね」
「え、龍卉さん、もしかして」
「もう帰るよ。ボクの仕事はおーしまい」
「ええ……」

 今日の夜くらいまでは一緒だと、勝手に思っていた。
 でも、龍卉さんにも”おや”がいて、待ってくれている人達がいるのだから、あまり引き留めるのはよくない。急に呼びつけたのはわたしの方なんだし。

「いつかまた、遊びに来てくれたら嬉しい」
「ま、気が向いたら。次は琳太の顔も見せてよね」
「……!」

 そっけないけれど、彼なりの励ましの言葉だ。
 にっこり笑ったわたしの顔を見て、少しだけ、龍卉さんの目元が緩んだ気がした。

 シムを出るとすぐ目の前に、アララギ博士の姿があった。カノコタウンの研究所から、わざわざやってきていることに驚く。

「ハーイ、リサ。久しぶりね」
「博士!お久しぶりです」
「アイリスちゃんはどうだった?」

 博士に満面の笑みと、それからレジェンドバッジ入りのバッジケースを見せると、お祝いの言葉をくれた。
 けれどそれも一瞬のことで、アララギ博士は急に真面目な顔をして、わたしの目を見て口を開いた。

「伝説のゼクロムを復活させる方法についての報告に来たんだ。ライブキャスターで伝えるのも、なんだか申し訳ないしね」

 思わず、バッグの中の黒い石がある辺りに、手を添えた。
 
「で、結論を言っちゃうと……。まだ、分かってないんです。特別な機械やポケモンの力を借りる必要はなさそうなんだけど……」

 少しドキドキしたけれど、それを聞いて、落胆よりも、安堵の方が大きかった。
 Nがレシラムを復活させた方法は知らないけれど、なにか取り返しのつかないような方法を、例えば、生け贄のようなものを捧げて復活させるような方法は、嫌だと思っていた。
 悪い方向に考えすぎかもしれないけれど、わたしがこの世界に来たときの”代償”の件もあるし、そういった悲しい犠牲が必要になるものならもう石のままでいいとすら思っていた。
 それくらいならいっそ、復活させる方法なんて分からないままでいい、と。

「化石の復元とはまた違うのですか?」
「ええ。それとはまた別よ。彼らは化石になったわけではないから。きっと、ポケモンが誰かを認めたときに目覚めるのね……」
「認めたとき……?」

 わたしを、ゼクロムが認めたとき。
 いつか、そんな日が来るのだろうか。パートナーの気持ちすら満足に理解してあげられない、このわたしが。

「!?いひゃ!」
「シケた顔してんじゃないよ」

 わたしのネガティブな考えが顔に出ていたのか、龍卉さんがわたしの頬を思い切りつねってきた。つねって、というかもはや掴むような勢いだ。
 わたし達のそんなやりとりを見て、アララギ博士が笑い声をこぼす。安心したような、肩の力が抜けたような笑みだった。

「それにしても、ずいぶんとたくましくなったわね。カノコを出たときとは大違い!」
「そ、そうですか……?」

 掴まれた頬をさすりながら答える。
 わたし、そんなに変わったかな。あまり自覚がない。髪は伸びたけど、背は縮んでる気がするし。回りのみんなが進化して大きくなってるのもあるけど、絶対わたし自身が縮んでいる。

「ええ。リサ達なら大丈夫よ。チャンピオンロードにも行くんでしょう?」
「はい、明日の朝出発する予定です」
「なら、明日ポケモンセンターの前で待ってるわ。チャンピオンロードに続く道まで案内するわね」

 そう言うと、アララギ博士は用事があるといってどこかへ行ってしまった。お父さんと合流するのだろうか。

「さて、んじゃーボクも行くよ」
「うん、龍卉さん、本当にありがとう」
「もう急に呼びつけるのやめてよね。ボクにも予定があるんだし?」
「う、うん、ごめんなさい……」
「そこはさー、ごめんねよりありがとうの方が絶対いいって」
「え?」

 わたしが反応する頃には、もう龍卉さんは本来の姿に戻っていて。
 上機嫌な歌声を響かせながら、上空へと舞い上がっていく。

「……。ありがとー!!」

 片方の手をメガホンにして、もう片方をちぎれんばかりに大きく振って、龍卉さんを見上げる。
 わたしの声が届いたかは定かじゃないけれど、龍卉さんは優雅に尻尾を振って「ばいばい」してくれた、ように見えた。
 夕日を浴びて、龍卉さんの姿が黄金色に輝いている。彼の姿が点になって、やがて見えなくなるまでずっと、わたしは手を振り続けていた。



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