つぐないの言葉はいらない‐02 

 昼食が喉を通らなかったのは、初めてかもしれない。初めて出場した吹奏楽コンクールの本番直前でも、これほど緊張することはなかった。
 あまり沢山食べると動きがなまりそうだから、と少な目にはしていたのだが、入る気がしない。サンドイッチの端っこをかじってみたが、ぱさぱさで味がしなかったし、いつまでも口の中に残ってしまい、なかなか飲み込めなかった。
 わたしの緊張がうつってしまったのか、はじめはぽつぽつと会話していたはなちゃん達もすぐに黙り込んでしまった。朝の沈黙とは空気が違う。あのときはただひたすらに空腹を満たすため、食べること以外に口を使っている場合ではなかったのだ。
 重い。重すぎる。置き勉していた教科書を、夏休み前に持ち帰っているときを思い出す。一度に持って帰ったときのあの背中の痛みは尋常ではない。

「……ごちそうさま、でした」

 ぱさぱさの何かでしゃくしゃくした何かを挟んでいるサンドイッチをなんとか口の中に押し込んで、手を合わせる。カフェオレですら、今の自分にとっては重たかった。
 冷たい水を飲んで、食道の辺りがきゅっとする。ひやひやとしたものが胃の中に落ちて行く感覚を味わいながら、角が丸みを帯びた小さな氷をかみ砕いた。

「ねえ、ジム戦の前っていっつもこんなんなの?」

 龍卉がおもむろに声を出す。「こんなん」とは、この妙な緊張感から来る沈黙のことだろう。
 わたしが首を横に振ると、龍卉さんはふう、と小さく息を吐いた。モモンの実のコンポートが乗ったヨーグルトをスプーンですくって、口に運ぶ。こうやってものを食べている姿は年相応で、よくよく見ていれば、はなちゃんよりもずいぶん幼く見える。ひょっとすると、わたしとさほど変わらないぐらいの見た目年齢ではなかろうか。

「せっかくボクが鍛えてあげたんだから、本番で失敗なんて許さないからね」
「余計プレッシャーが……」
「でも事実だもん」

 いや、そうだけど。そうだけど。
 遠くから呼びつけておいて、訓練の成果どころかいつも通りの力すら発揮できませんでした、だなんて申し訳ないにもほどがある。

 頑張ったから、頑張ってくれたのを知っているから、余計に緊張してしまうのだ。
 いままでのジム戦で頑張ってこなかったというわけではない。ただ、圧倒的に準備不足だったことを思い知らされて、がむしゃらに知識と技を吸収して、それでもまだ自分達には何一つ身についていないのだと認めざるを得なかっただけのことだ。それに気付くのが遅すぎた。
 今までのわたしは、よほど幸運だったのだろう。はじめから強いポケモンと一緒に旅が出来て、仲間も順調に増えて、バトルも苦手なままでよかった。苦手でもなんとかなっていた。みんなが、なんとか、してくれていた。

 前よりも知識が増えたのだから、沢山作戦を思いつくはず、ある程度の危機にも臨機応変に対応できるはず、なんてこともなく。
 たった一日で変われるわけがなかった。
 練習試合で負けてしまったことが、今になって地味に響いている。あの人ですらアイリスちゃんに勝てなかったのだ。果たして、今のわたしが挑んで彼女と渡り合えるのだろうか。

「ま、こーいうときはね、何にも考えない方がいいよ」
「えっ?」
「確かにアンタ達には色々と叩き込んだけどさ、最後に頼れるのは無意識に出来る動きだけじゃん?今からやるのは、アンタ達にとっては考える余裕がなくなるくらいの戦いなワケ。だったら考えるだけ無駄でしょ」
「それはそう、だけど」
「でも考えることを諦めるのもナシね」
「いやどっちなんだよオイ」
「別にボク、矛盾したこと言ったつもりないけど?」
「ええ……」

 そんな無茶な、と九十九が口の両端を下げる。飲みかけのスープカップの底に、溶けきれていない粉末コーンスープの塊が残っていた。スプーンですくってペロリとなめ、お茶で流し込んでいる。その塊、思ったよりけっこうしょっぱいよね。粉がジャリジャリするし。

 じゃあ2時にまた、とポケモンセンターのロビーで落ち合う約束をして、一度龍卉さんと別れた。
 今日でジム戦を終わらせて、明日はこの街を出るんだ。琳太に、追いつかなきゃ。
 今、琳太がどこにいるのかは知らないけれど、きっと、わたし達が進んだ先にいる。

「おいら、今日は頑張るぞお!」
「うん、一緒に頑張ろうね」

 張り切った様子の美遥の頭を撫でると、嬉しそうに眼を細めている。ごろごろと喉を鳴らす音まで聞こえてきそうで、ネコみたい。
 すると、ずずいっと真っ白な頭が差し出された。さらりと長い髪が床についてしまいそうだ。

「え、っと」
「……」

 美遥の頭に置いている方の手はそのままに、もう片方の手を紡希の頭へと伸ばす。2人とも手触りが全然違う。美遥の髪の感触はわしゃわしゃしていて、毛並みも犬とか猫とか、生き物の体毛みたいな感じがする。
 一方の紡希は、さらさらとしたシルクのような手触りで、絹糸に触れているようだった。

「ふふん」
「嬉しそうだね紡希……」
「おいらも!おいらも!」
「いや今撫でてるって」

 そんなわたし達の様子を、少し離れたところで九十九とはなちゃんが眺めている。
 目線だけをそちらに向けて首を傾げてみると、2人とも小さく首を横に振っていた。2人は撫でられたくないらしい。残念。普段なかなか、というか全く甘えてこない彼らも、このまま流れに乗って撫でられに来てくれるかなと思ったのに。

「どうする?このままバトルフィールド借りる?」
「いや、俺は身体を休めてえな」
「僕もそうだな」

 部屋でゆっくりして、ジム戦で全力を出すということで一致したため、部屋に向かう。途中、ショップできずぐすりをいつもよりも多めに買い込んだ。バトル中に鞄を漁って道具を使うというのは、なかなか気が散ってうまくいかないことが多いけれど、今日こそはうまいタイミングで使ってみたい。

「おいら今日中にジム戦しないともう覚えたわざ忘れそう」
「できればずっと覚えててね……」

 未だに脳みそがオーバーフロー気味らしい美遥の頭をいたわるようにもう一度撫でて、ルームキーを取り出した。 
 
 

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