がらんどうのキスをした‐14
握手の時に手汗を気にしなかったのは、これが初めてだったかもしれない。
バトルが終わった後、泥と汗にまみれた汚い手同士で互いの健闘をたたえ合う。バトルで息切れしたのも、これが初めてだった。
大して動いていないはずなのに、薄ら寒い今であっても、汗が引く気配はない。
「あー惜しかったねー」
「明日勝ちゃいいんだろ?」
「ふふ、つっよきー」
バトルを終えてジョーイさんに3人を預け、自販機に向かう。疲れたときには甘いもの。運動した後に飲むジュースって美味しいよね。
一気に飲み干してしまいたかったけれど、ここは我慢我慢。頑張ってくれたみんなと一緒に飲みたいのだ。
「あの、わたしの……わたしたちのバトル、どうだった?」
「つくづく、よく今までやってこられたなって感じ?」
「うっ……」
隣で足をぷらぷらさせている龍卉さんが、前を向いたままそう言った。
それは龍卉さんに色々と教えてもらっている間、わたしがずっと思っていたことだった。
「ま、ジムで負けても死ぬわけじゃないんだし、気楽に行きなよ」
励ましてくれているのかそうでないのか、よく分からない。確かに負けたからといってポケモンを奪われたり、命の危機を感じるようなことはないけれど。そう思えば、気楽にという言葉も頷ける。
「バトルが楽しいって思えるのも今のうちだろうし?」
これからプラズマ団との戦いが避けられないのだから、今のうちに楽しめるようなバトルをしておきたい。……楽しめるように、なっておきたい。
今日は楽しいって思ったよ、と言えば、相槌が返ってきた。その声音がどこか弾んでいて、なんだかとても嬉しい。
龍卉さんにお願いして、本当によかった。
「明日はボクも出るからね」
「えっ?」
「ボクの動き、まだよく見てないでしょ?」
言われてみれば、はなちゃんと龍卉さんが戦ったときは本当に一瞬の出来事だったし、美遥と模擬戦をしているときは、上空だったのでよく見えなかった。
しかしそうなると、九十九、はなちゃん、美遥のうち、誰かが出られないことになってしまう。
「多分最後のジムだし、ジムトレーナーはそれなりに強いし。ボクが入れば負担は減るでしょ」
「あっそっか」
そうだった。アイリスちゃんと戦うことばかりに頭がいっていた。ジムトレーナーだって強力なドラゴンポケモンを使ってくるに違いない。わたしが今日戦って負けたトレーナーの人は、アイリスちゃんに負けてしまったと言っていた。つまり、彼に勝てなかったわたしは……。
「はいはい難しい顔しない。治療終わったってさ」
はっと顔を上げると、ジョーイさんと目が合った。わたしを呼んでいたようだ。
慌ててボールを受け取りに行くと、ぽんぽんとみんなが飛び出してきた。
「うう、筋肉痛がひどいぞお……」
「若ぇ証拠だ。明日にゃ治ってんだろ」
「ぼくも肩が痛いや」
九十九とはなちゃんはぼろぼろ具合があまり改善されていないように見える。多分泥だらけになったせいだ。
お風呂に入ってもらう前に、外で泥を落としてもらった方がいいかもしれない。
空っぽのボールだけを預かって2人は外に、その間に部屋へと戻ってお風呂の準備をしておいた。
……あ、ジュースを渡し損ねてしまった。
「リサも喉渇いたでしょ?先にいただきましょ」
「いいかな……」
「あいつらなら水浴びがてら、ホースから直飲みしてるでしょ」
ぷしゅ、とプルタブを開ける音がして、龍卉さんがミックスオレを飲み始めた。おいらも、アタシも、と手が伸びていくのを飲み守ってから……わたしも缶を手に取った。
「お腹すいたね」
「ほんっと。アタシもうぺこぺこよ」
紡希がもう酔っ払って……いや、混乱していないことに安心しつつ、時計に目をやった。昼の2時。お昼ご飯の時間はとっくに過ぎている。
それを自覚した途端、くう、と腹の虫が鳴った。
「出前でも頼む?」
「いいねいいね。この辺何があるかな」
端末をいじってこの周辺で宅配サービスを請け負っている店を探すと、この街のすぐ近くでサンドイッチ屋をやっている店があった。わたしたちがやってきた方向とは逆側、進行方向にも橋があって、その周辺にある店のようだ。
「サンドイッチ屋さん、どう?」
「ボクさんせ−い」
「出前って何だ?」
「アタシも初めて聞いたわね。ともかくサンドイッチには賛成よ」
お店で作った料理を宅配してくれるサービス、つまり家に居ながらにしてお店で作ったものが食べられるということだと説明すれば、なんだかちょっぴり贅沢ね、と紡希が両手を頬にあてた。
贅沢だという感覚はなくて、むしろ当たり前のことだと思っていたから新鮮な感じだ。学校でも週末の部活動しかない日には、ピザの出前を取っていたりしたっけ。
端末に表示されたメニューをみんなで囲んで、あれがいい、これがいいと話していたら、お風呂が沸いて電子音が鳴った。それとほぼ同時にドアが開く。
「九十九、先に入ってこいよ」
「ぼくよりも……」
「いーからいーから行ってこい」
「もう一緒に入れば?」
「はぁ!?」
ミックスオレの缶に手を伸ばしかけていたはなちゃんが大きな声を出した。提案をした張本人はけらけらと笑っている。龍卉さんにとって、はなちゃんはすっかりからかう対象になってしまったらしい。見ていて楽しいからいいのだけれど、はなちゃんとしてはなんとも言えない気持ちのようで、しっしと九十九をお風呂の方に追いやっていた。
「はなちゃんは何にする?」
「あ?」
サンドイッチのメニュー表を見せると、少し目の光が強くなった。
ふわふわの白パンで、こっくり濃厚なタマゴの味を活かしたタマゴサンドに、シャキシャキの野菜をたっぷり挟んだ、野菜サンド。デザート系のサンドイッチとして、木の実を挟んだものや、あんこ、きなこクリームを挟んだサンドイッチなどもある。
「このパーティセットっていうのは頼む予定だから、他に頼みたいものがあったら言ってね」
「おう」
お風呂から上がった九十九の希望を聞いたらすぐに電話して、注文しよう。
ばたばたとくぐもった水が落ちる音を聞きながら、みんなの注文を書き留めていった。
結果としてサンドイッチは大正解だった、と思う。
真っ白な、白鳥のようなポケモンが運んできてくれた大きな紙の箱は温かくて、できたてを急いで持ってきてくれたのだと言うことが伝わってくる温度をしていた。
木の実といえばフルーツ、つまりデザートという感覚が未だ拭えずにいるけれど、この世界の木の実は酸いも甘いも、苦いものも辛いものも、色んな味があって、食後のデザートだけにとどまらない。
ピリ辛なマトマの実のソースで豆類を煮たフィリングが、とろとろのチーズと一緒に挟まれているホットサンドなんて、食べたことがないくらいに絶品だった。かりっとした焦げ目のついたパンに、熱々のチーズとピリ辛のソース。辛い、でも美味しい、うまみがあって、でも辛い。水が欲しいけれど、流し込んでしまうのがもったいないとも思う。
みんな初めのうちは無言で、ただひたすらサンドイッチを頬張ることに専念していた。噛んで、味わって、飲み込むことに忙しい。一緒に頼んださくさくのオニオンリングとほくほくのフライドポテトも絶品だ。
今回は宅配サービスにしたけれど、お店で食べられたなら、できたてはもっと美味しいに違いない。
けれど、空腹は最高のスパイス。お腹があまりに空きすぎていたわたし達にとって、これ以上のごちそうはなかった。
「おいら明日死んでもいいかも」
「縁起でもないこといわないでくれるかしら?でも同意するわ」
めっちゃうめえ、と紡希がこぼす。いつもの口調と全然違うものだから、はなちゃんが言ったのかと思ったくらいだ。
「死ぬならジム戦終わってからにしてくれよ」
「それもそうだなあ」
タマゴサンドを口の中に押し込みながら、美遥が頷く。
勝ったらお祝いでまたこのサンドイッチを、今度はお店で食べようね。
何度でも、みんなと、親しい気持ちを抱く誰かと、食べたい味を噛み締めた。
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