がらんどうのキスをした‐11 

 夕方、重たくなった頭で資料に目を通していると、たくさんの足音がして、九十九達が帰ってきた。

「おかえり!」
「ただいま……ただいまあ……」

 よたよたと美遥がわたしのところにやってきて、上半身を預けてきた。しなだれかかる美遥の身体は本当に力が入っていなくて、ずっしりしている。重たい。受け止めてよしよしと頭を撫でると、もっと褒めて……とうわごとのように呟いていて笑ってしまった。本当に参っているらしい。

「わたし午後はちょっとだけお休みがあったからおやつ作っておいたよ」
「ほんと!?」

 がばっと美遥が起き上がる。はなちゃんがどこにある、と鋭い視線を向けてきた。こわい。
 冷蔵庫を指すと、みんな我先にとキッチンスペースに向かって駆けていく。
 もうそろそろ冷えている頃だと思うけどなあ。
 お茶を淹れようと立ち上がったとき、わあっと歓声が聞こえてきた。頬が緩んでしまう。あんなに喜んでくれているのだから、作った甲斐があったというものだ。

「チーズケーキだ!」

 切り分けなくていいように、人数分のカップを用意して作った、簡単なレアチーズケーキだ。カップの底には砕いて溶かしバターで固めたビスケットを入れて、生地はミキサーで混ぜるだけ。失敗しないお手軽で美味しいおやつなので、休みの日にはお母さんとよく作っていたっけ。

「お茶淹れるからちょっと待っててね」
「アタシがやかん抱えて燃えたらすぐ沸かせるかしら」
「紡希、落ち着いて?」
「とっても落ち着いてるわ……」

 声が震えてるんですけど。
 紅茶の香りが漂い出すまでの間、チーズケーキをテーブルに置いて、みんな死んだように椅子と机にもたれかかっていた。

「ただいま戻りましたよーっと」
「お、ちょうどいいところに」

 ビニール袋をがさがさ言わせながら、龍卉さんが部屋に戻ってきた。おやつを作りたいというわたしの提案に乗ってくれた彼は、追加の買い出しに行ってくれていたのだ。

 人数分の紅茶を淹れて、頼んでいたものを龍卉さんから受け取ったビニール袋から取り出す。中に入っていたのは、ファミリーサイズの大きな容器に入ったバニラアイスだ。
 ……あれ、中にまだ何か入ってる。

「それはボクからのごほーびね」

 モモンの実のソースと、生クリーム。なるほど、豪華なトッピングだ。各々のチーズケーキにそれらを盛り付けたときの歓声は、しばらく忘れられそうにない。

「はー……染み渡るわー……」
「うめえ……」

 だんだんみんなの目に光が宿っていく。かくいうわたしも、久しぶりに色々と聞き慣れない単語や知識を詰め込んだので、甘いものが身体中に染み渡っていく感覚はよく分かる。

「たつきせんせー、明日は何するんだあ?」
「明日は覚えた技の使い方ね」
「確かに試し撃ちは少ししたが、十分にできたわけじゃねえしな」

 今日がインプットの日なら、明日がアウトプットの日ということか。わたしも今日のうちに教えてもらったことをおさらいしておこう。


 そうして迎えた翌朝。
 泥のように眠ったわたしたちは、全員アラームの音でたたき起こされた。最大音量にしておいてよかった。いつもは九十九かはなちゃんが早起きで、アラームより先に起きているくらいだけれど、さすがに今日はそうもいかなかったようだ。
 みんなのっそりと緩慢な動作で布団から這い出している。美遥なんか、布団をかぶったままうごうごしているから、亀みたいだ。

『じゃー始めよっか』

 朝食もそこそこに、バトルフィールドへと集合する。今回は模擬戦闘ではなく、覚えたての技に慣れるための練習だ。
 みんなに向かって順番に図鑑をかざしていくと、昨日までとは比べ物にならないくらい、使える技の数が増えている。これで戦闘の幅は格段に広がるだろう。ただし、それとわたしが技のバリエーションを覚えること、みんながうまく使うことは、また別の話だけど。

「九十九、れいとうビーム!」

 相手にとって効果抜群の技を当てることは、優位に立つために大切なことだ。九十九の切り札は、氷タイプの技。
 鋭く放たれた青白い光が、バトルフィールドの床、その一部を凍らせる。これがどれぐらいの威力なのかは分からないけれど、龍卉さんが瞬く間にそれを炎で溶かしてしまった。
 龍卉さんが、ぎざぎざのついた尻尾で地面にぐるりと円を描く。わたしが両手を広げてくるりと回ったときくらいの大きさだ。バトルフィールドの端っこ、戦闘開始時に相手のポケモンが立っているくらいの位置だ。

『この丸いとこ目掛けて当ててみてー』
『分かった……!』

 もう一度、九十九がれいとうビームを打ち出した。それは円のわずかに左の方へと逸れ、小さな氷の柱を作り出す。

『もういっかーい』

 アイアンテールで氷を砕きながら、龍卉さんが声を掛ける。今度は意識しすぎたのか、右に逸れてしまった。
 本来、れいとうビームの命中率はそう悪くないはずなのに、なかなか狙った場所に当たらないのは、使い慣れていないからなのだろう。その証拠に、みずでっぽうを撃った九十九は、見事円の中心を狙うことに成功していた。

『ソウリュウジムのドラゴンポケモンがどんなヤツかは知らないけど、素早いヤツ、飛んでるヤツを相手にするなら精度がないと話にならないからね。これは対ドラゴンポケモン以外にも言えることだけど』
 
 この際威力は置いておくとして、まずは命中の精度を上げること、と言い渡されて九十九は自主練になった。
 はなちゃんはひたすら頑丈な壁に向かって体当たりのようなものを繰り返している。一部分だけ壁の色が違っているそこは、ポケモンの打撃技を受け止めるための練習所らしい。見ているとだんだんわたしの身体まで痛くなりそうなくらい、鈍い音が響いている。
 見上げると、龍卉さんが美遥の相手をしていた。どうやら単調な練習はすぐに飽きてサボりかねないと判断されたらしく、ここだけは模擬戦闘のようなことを行っているようだった。美遥が次々に繰り出す攻撃を、龍卉さんはひらひらと軽い身のこなしでかわしていく。
 紡希は補助技をなるべく素早く発動させることに集中しているけれど、あまり無理をさせるわけにはいかないので、休憩を挟みつつ、わたしと一緒にPPリカバーを持って特訓中の面々の間を走り回っている。

 みんなのところをぐるぐる回って、気付いたことは何でもメモにとっていった。技の発動までにどれくらいかかるのか、反動はあるのか。次に繰り出す技の組み合わせとして何が最適なのか、あるいはあえて使わない方がいいのか。
 今までじっくり技を繰り出している様子を観察したことなんてなかったから、とても面白い。見られている方は緊張してやりづらいかな、なんて思ったけれど、ポケモンバトルでは散々見られているのだ。特にそういう感情は抱かないらしい。
 見慣れない技ばかりだから、いいのか悪いのかよく分からないものも多いけれど、何周かして何度も同じ技を観察しているうちに、目に見えて技の威力や精度が上がっていることに気がついた。

 ポケモンは、ポケモンバトルを繰り返すことで成長し、強くなっていく。模擬戦をやっている美遥はともかく、はなちゃん達の技の出来がよくなっいるのは、ステータスの向上ではなく、技術の向上に違いない。

 それに、周りを見回すと、わたし達の他にも特訓に励んでいるトレーナーとポケモン達がいた。ああやって地道な努力を重ねて、一緒に強くなってきたのだろう。
 思えば、みんながバトルフィールドの方で練習することはあっても、わたしがその練習に付き合うことはほとんどなかった。わたしなんかがいても対してアドバイスも出来ないし、邪魔になるだけだと思っていたから。
 でも、今思うと、とてももったいないことをしていたと思う。一緒に成長するチャンスを、自ら投げ捨てていたのだから。
 そして、今までなんとか無事にやってこられたのは、幸運だったのだとも思うのだった。

 

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