がらんどうのキスをした‐09 

 はなちゃんが倒された瞬間、全員ボコボコにされるのかと、九十九が青ざめた表情になっていたけれど、そんなことはなかった。
 ふわっと地面に着地した龍卉さんがしゅうごー、とやる気のない声を上げたので、とりあえず集まることに。
 はなちゃんの手当を、と思って彼の方を見てみると、もう立ち上がっていた。何が起きたのか分からず、周りにいるみんなを見てきょとんとした表情をしている。

「はなちゃん、大丈夫?」
『お?何だこりゃ。バトルは?』
「もう終わったけど……」
『?』

 龍卉さんのアイアンテールが直撃して、気絶してしまったらしい。見た感じさほどけがをしている様子もない。前後の記憶がすっかり抜け落ちているようだ。
 美味しい水を手渡すと、飲んでいる間に思い出したようで、じわじわと顔をしかめていた。

「どう?ボクのすごさ、分かってくれた?」
「ああ……」

 えっへん、とはなちゃんに向かって胸を張った龍卉さんが、わたしの方へと向き直る。

「とりあえず、今日と明日は付き合ったげる。付け焼き刃だけど明日ジムで勝てるぐらいにはなるでしょ」
「よろしくお願いします……」
「まずドラゴンタイプの特徴ね。何が弱点かは分かる?」
「氷と、あとはドラゴンタイプ……」
「そ。フェアリータイプはこの際置いておくとして。……んで、この中にそれが使えるのはいる?」
「はいはいはい!おいら!」

 びしっと美遥が手を挙げる。彼はりゅうのいぶきが使える。わたしも今回のジムは美遥メインで行こうと思っていた。

「ドラゴンクローは?」
「うん?」
「あーはいはい分かった。……あれ、アンタは?」

 龍卉さんが九十九を見る。九十九が首を横に振ると、いよいよ龍卉さんは深いため息をついた。

「リサ、技マシンって知ってる?」
「秘伝マシンなら持ってるけど……」

 ひええ、と龍卉さんが声を出した。わたしの図鑑をみんなにかざして、がっくりとうなだれる。
 それから彼は、わたしにポケモンの技のことを教えてくれた。
 ポケモンにはいくつか技を覚えるための方法がある。一番スタンダードなのは、レベルを上げて技のバリエーションを増やすこと。それから、誰かに技を教えてもらうこと。そして一番手軽な方法が、秘伝マシンや技マシンを使うこと。
 特に技マシンの種類は多岐にわたり、最近では1回購入すれば何度でも使うことのできるものが増えているのだとか。

「とりあえずアンタにはこれ、アンタにはこれ、それから……」

 ぽいぽいと懐からいくつものディスクを取り出して、龍卉さんが各々に放り投げていく。ディスクに書かれている技の名前は様々で、わたしが知らない技もたくさんあった。

「うげえ、おいらなんかいっぱいあるんだけど……」
「これでも少ない方だかんね?覚え方は秘伝マシンと一緒だから」
「おい待てこれ……」
「え?なに?」

 はなちゃんが1枚のディスクを見て声を上げたので、なんだなんだと技マシンを覗き込もうとする。しかし、それははなちゃんの手によって遮られてしまった。そんなに見て欲しくない技って何だろう。
 龍卉さんはそんなはなちゃんの様子を見てニヤニヤしている。気になるなあ。

「ま、どーせ図鑑見れば何覚えたかは分かるんだし?」
「うっ……」

 はなちゃんが、今日一番と言い切っていいほどに顔をしかめた。申し訳ないけれど、後で絶対、真っ先に確認することを心に誓う。
 

「とりあえず今日は今渡したやつぜーんぶ覚えること!以上!そんでもってリサ、アンタはこっち」

 みんなを残してわたしひとりを龍卉さんが手招いた。
 バトルフィールドを出て、借りている部屋の方に移動する。龍卉先生の講義開始ってことかな……。自分で頼んだとはいえ、スパルタ講義の予感がしてすでにしんどい。

「リサ、アンタはポケモンバトルのこと、何だと思ってる?」

 てっきり何かを教えられたりするものだと思っていたわたしは面食らう。
 そして、初めて生でポケモンバトルを見たときのことを思い出した。

「トレーナーとポケモンが力を合わせてすること、かな……」
「バトルは好き?」
「あんまり……」

 ポケモンバトルはして当たり前、ポケモンとの絆を強くする、なんてことはよく耳にするし、これまで出会ってきたジムリーダー達は、みんなバトルを楽しんでいるように見えた。
 確かに、バトル特有の高揚感や緊張感を、わくわくすると思うこともある。でも、みんなが傷つく様を見るのは辛い。

「ボクは好きだよ。ポケモンバトル」

 だってね、マスターがボクのことだけ見てくれる時間だから。
 龍卉さんの顔は本当に幸せそうで、やっぱり今朝通話していたのは、龍卉さんのマスターに違いないのだと確信した。あのときの龍卉さんは自分の顔が緩んでいる自覚があったみたいだけど、今はないようだ。おかげで珍しく穏やかな表情の彼を眺めることに成功した。あんまり見ていると勘付かれそうなので、ほどほどにしておこう。

「バトルが好きな人も嫌いな人もいるのは当たり前だけどさ、それと強さはまた別の話だよ。アンタは多分まだ、好きとも嫌いとも断定できるほど経験してないんじゃない?」
「そう、かな……」

 7つのバッジを集めて、それなりに数はこなしてきたと思うけど。いまひとつしっくりきていないというわたしの心情を察したのか、再び龍卉さんが口を開いた。

「アンタさ、最初っからずーっと琳太に頼ってきてたでしょ」
「……!」
「というか琳太のレベルだね。戦略も何も、レベルが高いから何しても勝ててたんだよ、あのモノズは」

 そのとおりだ。
 チャンピオンロードはバッジを8つ集めなければ入ることを許されない場所で、それはつまり、そこにいるポケモン達や、トレーナー達のレベルが高いと言うこと。そんな環境の中で生き抜いてきた琳太が、弱いわけがない。序盤に九十九が戦えない期間もあったけれど、それすら全く気にならないほど、琳太さえいれば十分だった。
 はじめの頃は余裕があった。わたしの下手くそな指示でも、技が当たれば琳太は必ず勝てていた。
 仲間が増えてからも、何かあったら琳太を頼ってばかりいた。

「最近だんだん、琳太だけじゃしんどくなってきてたんじゃない?」
「うん」
「んで、琳太のことあんまりバトルに出さなくなったりとか?」
「前に比べたらそうかもしれないけど、でも、」
「仲間が増えて、みんなある程度戦えるようになったことが、琳太からすれば自分が頼られなくなった風に捉えられたのかもね」
「そんな……」

 そんなつもりなかったのに。
 みんな平等に出番が増えたらいいなあ、と思っていたけれど、それが琳太にとっては不安材料でしかなかったとでもいうのだろうか。
 この前のジムは氷タイプだったから、琳太を出すのはやめておこうと思っていた。結果として、セッカシティのジムには挑戦していないけれど、そうやって考えることすらも、間違いだったんだろうか。

「でもねー、それってアンタだけの責任じゃないから」
「え?」
「琳太に頼りきりで大して戦略を学ぼうとしなかったアンタには落ち度がある。でもさ、琳太ももっと頼られたいと思うなら、強くなる努力をすべきだったと思わない?」

 ほろっと涙がこぼれた。
 龍卉さんがとても焦った表情になっているのが、ぼやけた視界に映る。申し訳ないけれど、涙が止められそうにない。
 ずっとずっと、自分の、自分だけのせいだと思っていた。わたしが不甲斐ないから、”おや”として、トレーナーとして未熟だから、琳太に見捨てられたのだと思っていた。
 ぐずぐずとタオルで顔中の水分を拭き取って、あたたかいお茶を飲む。少し気持ちが落ち着いて来た頃、また龍卉さんがわたしに問いかけてきた。

「琳太に会いたい?」
「うん……!」

 未練がましく琳太にすがるのは、他の、今いてくれるみんなに対して失礼で、よくないことだと思っていた。
 でも、やっぱりわたしには琳太がいなきゃダメだ。わたしは琳太が強くても弱くても構わない。一緒にいられたらそれでいいと思っていた。だって、一緒にいるのが当たり前だったから。
 けれど、琳太は弱い自分に価値はないと判断して、自らわたしのもとを去ったのだと龍卉さんは考えている。わたしがそんなことない、と否定したとしても、琳太がそれを受け入れることはなかっただろう。

「次に琳太に会ったとき、琳太がもっともっと強くなっていたとして、アンタはそのままでいいと思う?」
「おもわ、ない」
「だよね。アンタが変わらないと琳太はずっとそのままだ。強くなければ、バトルに勝てなければ価値がないと思って、またいなくなっちゃうだろうね」

 それは嫌だ。
 はっきりと口にしたら、龍卉さんの口の端がつり上がった。それから、どさっと机に重たいものが置かれる音。

「んじゃはじめよっか。ボクはトレーナーじゃないけどさ、まあリサのご指名だし?期待には応えてあげるよ」

 たくさんの書類の束を見て、別の意味で泣きそうになった。

 

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