がらんどうのキスをした‐08
龍卉さんに事情を説明するのもそうだけれど、まずはみんなに龍卉さんのことを紹介しておかなきゃ。わたしと琳太しか、直接彼に会ったことはないのだから。
部屋に来てもらって、改めて自己紹介。
よくよく冷静になってみれば、パジャマ姿でロビーまで飛び出したの、かなり恥ずかしいのでは。……いや、そんなこと考えてる場合じゃない。
わたし達の旅路と琳太が今いない事情を話している間、ずっと龍卉さんは黙っていた。ときどき相づちを打つように首を動かしたり、足を組み替えたりしているけれど、その表情からは何も読み取れない。
「なるほどねえ……うーん」
首を傾げた彼の、ちぐはぐな色をした瞳がわたしを射抜く。
とても発色のいい紫と赤の瞳は、毒々しいまでに鮮やかだ。毒のある生き物は派手な体色をしているものもいるというのを思い出した。
「ギラティナのときから察してはいたけどさー、アンタも厄介なのに巻き込まれてるね」
石を見たいと言うのでダークストーンを手渡すと、しげしげと眺めた後、すぐに返ってきた。
「オセロみたい。ボクこういうのはよく分かんないや」
「……怒らない、の?」
「え?なんで?琳太が勝手に出て行ったんでしょ?」
目をぱちくりさせて、あっさりと龍卉さんはそう言ってのけた。
それは、確かにそうかもしれないけれど。わたしが追い出したわけでもないし、けんかしたわけでもない。傍から見れば、琳太が家出したようにも思えるかもしれない。けれど、出て行く原因を作ったのは。
「ま、そーゆーのはそのうち帰ってくるよ。反抗期みたいな?」
「は、反抗期って……」
わたしが深刻に考えすぎで、龍卉さんが楽天的すぎるのかと錯覚するくらい、龍卉さんの言葉は軽やかだ。
もしかして、ポケモンとトレーナーの間で、こういうことは、よくあることなのだろうか。
「あんまりにも一緒にいすぎて距離感バグったんじゃない?」
「なんだろう、しっくり来たような気がしないこともない……」
「ぐにゃぐにゃした返事してんじゃないよ。ホラ、朝ご飯食べたら始めるからね!」
ボクの分はいらなーい、と言って龍卉さんはふらりと部屋を出て行ってしまった。
残されたわたし達は、きょとん顔をして互いに顔を見合わせ。
……いそいそと準備に取りかかるのだった。
「リサ、ほんとにあいつ、でいい、……のか?」
「うん、大丈夫だよ、きっと」
はなちゃんが、龍卉さんに対して終始疑わしげな視線を向けていたことは分かっている。おそらく龍卉さんも気付いていたはずだ。
確かに、見た目は今の美遥と同じか、それよりも幼いくらいだし、言動も軽々しいというか、えーっと……。
頼りになるのは確かなんだけどなあ。いまいちそれを伝えられるだけの言葉が見当たらない。わたしだって龍卉さんをよく知っているわけではないのだ。誰かのポケモンだということは知っているけれど、その人名前も顔も知らないし、強いんだろうなとは思っているけれど、どれぐらい強いのかは分からない。
今気付いてしまったけれど、龍卉さんのトレーナーさんに了解を得なくてよかったのだろうか。勝手に龍卉さんを借りてしまったようなかたちになっていて、とっても失礼なことをしてしまったのではないだろうか。
紡希が用意してくれたべーコンエッグの載ったトーストの味が、よく分からなくなってしまった。
モーモーミルクで流し込んで、ごちそうさまと手を合わせる。
ロビーに出ると、龍卉さんが誰かと電話していた。近づくのも気が引けて、遠くから通話が終わるのを待っていたけれど。誰かと話している龍卉さんの表情が妙に優しげで、きっととても大切な人が、画面の向こう側にいるのだろうということは、容易に想像できた。
通話が終わったタイミングで話しかけると、まったくわたしに気付いていなかったのか、龍卉さんはびくりと肩を揺らした。
「えっ、ご、ごめんなさい……!」
「別に!いいけど!?準備できた!?」
「うん!できた!できましたよ!」
「さっさと行くよ!ボクも暇じゃないんだからね!」
予約していたポケモンセンターに併設されているバトルフィールドに来てまずはじめに龍卉さんは、図鑑を開くように言ってきた。
言われたとおり、原型の姿になった龍卉さんに図鑑をかざすと、彼のデータが画面に映し出された。どのステータスも、見たことがないくらい高くて目をむく。こんなのほぼ無敵みたいなものじゃないか。
『ボクが使える技はこれね。とりあえず全部頭に入れといて』
「うっ……」
多い。めちゃくちゃ多い。英単語の暗記テスト並みに多い。一夜漬けの記憶が蘇る。
英単語のスペルと、意味を覚える時みたいに、技の名前、それから効果を覚える。とはいっても、英単語よりも複雑だ。毒や麻痺、命中率に関わる追加効果があるもの、自身の能力値を一時的に上げるもの。
技の名前でなんとなく効果がわかりそうなものももちろんあるけれど、これを全部覚えて、咄嗟にバトル中、口にできるかと言われれば自信がない。
『こんぐらい覚えないと!強くなるほど覚える技も増えるんだから』
ああでも、と龍卉が画面のある部分を指す。比較的大きな身体にしては、ちんまりとした手だが、白い爪は鋭い。
『この技は使っちゃダメだからね』
「ポイズン、テール……?」
『ダメ、だからね?』
ドラゴンテールの毒タイプバージョンだろうか。
なかなかの圧を込めて念を押されてしまい、頷くしかなかった。理由はともあれ、覚えなくていいということならこちらも助かるからまあいっか。
『よーしじゃあとりあえず、お前からボコボコにする!』
龍卉さんがしましまの尻尾ではなちゃんを指した。
眉をひそめたはなちゃんが、四つ足になって蹄を鳴らす。バチバチと、たてがみから微弱な電流がほとばしっていた。売られたけんかを一番買いそうな相手を指名する辺りが龍卉さんの性格をよく表している。いや、何も言うまい。
龍卉さんが相手のポケモンだと仮定して、わたしがはなちゃんに指示を出す。ソウリュウジムはドラゴンポケモンの使い手だし、ジムに備えた練習のためにもちょうどいい。
「はじめ!」
九十九の合図で、緑龍が空中に舞い上がった。菱形の翼が目一杯空気をはらみ、かきまわす。
龍卉さんはドラゴンと地面の複合タイプ持ち。電気タイプのはなちゃんにとて、かなり相性が悪い相手だ。電気技が使えないとなると、はなちゃんの技の大部分が封じられてしまうことになる。
空を飛び回る相手は厄介だ。接近戦に持ち込めればいいが、遠距離戦では相手の方が自由に動けるからやりづらい。
「はなちゃん、ニトロチャージ!」
当たらなくてもいい。相手よりも移動の幅が制限されるのならば、素早さを上げて対抗するしかない。
炎をまとったモノトーンの体躯が、地面を蹴って一直線に龍卉さんへと突っ込んでいく。
飛び上がってしまえば、龍卉さんの使用できるじしんやだいちのちからといった地面技は当たりづらい。それを狙ってのことだった。
『うーん、素早さは結構イイカンジかな』
龍卉さんが何かを呟いていたけれど、直後に炸裂した鈍い色の光と打撃音で、全て吹き飛んでしまった。
はなちゃんを包んでいた炎が、線香花火のように飛び散って消えた。地面にたたきつけられて動かなくなってしまったはなちゃん。龍卉さんは最初と変わらない場所に浮いていて、しなやかな尾が銀色にきらめいていた。
一撃だった。はなちゃんにとって弱点ではない、むしろダメージの通りにくい技だったはずなのに。
たった一度、アイアンテールが当たっただけで、勝負はついてしまったのだった。
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