がらんどうのキスをした‐07 

 その日はもう夜になり、ジムも閉まる時間だということで、明日以降ジムに挑戦すると約束した。シャガさんの家を出てまっすぐ道なりに進むと、すぐにポケモンセンターが見えてきた。。
 明日挑戦する、と約束することもできたけれど、こちらの準備もあったし、明日はたまたま、ジムに挑戦する他のトレーナー達の予約が入っているらしい。
 時間がないのは確かだけれど、それで満足に準備しないままジムに挑戦して、勝ち抜けるほど甘くはない。ここは8つ目のジムバッジを手に入れるための場所、チャンピオンロードに再び入るための、最後の関門なのだ。
 それに、今のわたしでは叶わないと感じていた。琳太がいなくなってしまったこともあるけれど、何よりも、わたしには足りていないものがあった。

 夜はご飯を食べたら作戦会議。それから、もしあの人と連絡が取れたなら。
 ポケモンセンターの部屋を予約して、早めにご飯を済ませた。
 遅くならないうちに連絡を取らなきゃ。
 鞄の底を漁って、少し端っこが曲がってしまった手紙を取り出す。
 連絡先が書かれた部分を見ながら、ライブキャスターにそれを打ち込んでいった。コールボタンを押す手が、ちょっぴり緊張で震えている。いや、ここまで来たらもうやるしかない。

 ワンコール、ツーコール。……出ない。
 電話番号を間違えてしまっただろうかと、何度も紙と画面の間を交互に見て確かめてみたものの、違いはない。これで番号は間違いないようだ。
 ほどなくして留守番電話になってしまったので、メッセージを残しておいた。

「……もしもし。あの、お久しぶりです。リサです。相談したいことがあるので、もし時間があれば、その、電話をください。お願いします」

 夜遅くにごめんなさい、と最後に残そうとしたところで、留守番電話サービスが終わってしまった。
 ちゃんと伝わっただろうか。気付いてくれるだろうか。
 折り返しの電話が来たらすぐ気付けるように、音量を大きめに設定しておいた。
 心配は尽きないものの、お風呂の準備ができたと紡希がわたしを呼んでいる。返事をしてからライブキャスターをおいた瞬間、それがけたたましい音で鳴り出した。

「なになに何の音!?」
「もっ、もしもし!」

 驚いた紡希が浴室から飛び出してくる。わたしの体勢を見て電話だと分かった彼は安心したのか、ふわふわのバスタオルをわたしのそばに置いて、浴室を指さした。先に入るということだろう。頷くと、再び紡希は浴室の中へと入っていった。
 遠くで美遥が騒いではなちゃんに怒られているような声が、かすかに聞こえてくる。

《やっほー元気?》
「う、うん、大丈夫。久しぶり、龍卉さん」
《……。まあいいや。それで、何の用?》

 わたしがあまり元気とは言えないこと、気落ちしていることを察しているのだろう。でも、龍卉さんはそれを追求してこなかった。ありがたく、本題に入らせてもらう。

「あのね、実は……」

 わたしの話を聞いた龍卉さんは口をへの字に曲げていた。明らかに変なものを見る目をしている。外にいるのか、龍卉さんの周囲は真っ暗で何も見えない。

《正気?相当厳しいよ?ってゆーかさあ、それ頼む相手ボクじゃなくない?》
「それはそう、かもしれないけど、でも、他に思い浮かばなくて……」
《えー?ほんとにぃ?》

 顔を歪めた龍卉さんが、ふと真顔に戻る。そういえば、と開かれる口から見える八重歯が、妙に恐ろしく感じられた。急に背筋がぞわりとして、衝動的に通話を切りたくなってしまう。

《あのちびっこいモノズは?そろそろ進化した?》
「……」
《……。アーハイハイ。分かった分かった!分かったから!もう!!》

 覚悟はしていたはずなのに、うまく言葉が出てこない。
 何も言えないでいると、どこまで悟ったのかは伺い知れないけれど、ぷっつりと画面が真っ暗になってしまった。切れちゃった。呆れられてしまったかな。
 お風呂に入った後もすぐに着信を確認したし、寝る直前までライブキャスターを見ていたけれど、とうとう着信が新たに入ることはなかった。

「リサ、何の電話してたんだあ?」

 わたしが美遥の問いに答えると、美遥は楽しそう!と言って目を輝かせた。できるかどうかは分からないけどね、と付け加えて、伸びてきた爪をぱちぱちと切る。他のみんなにも説明すると、案外すんなりと納得してくれた。
 龍卉さんが、こちらにやってきたばかりのわたしを助けてくれたことも説明しておこう。そういえば、しっかりと説明していなかった気がする。
 遠い地方にいると聞いていたけれど、いつかそっちにも遊びに行ってみたいな。

 ……なんとかなる、と信じたい。龍卉さんにはたくさん怒られてしまうかもしれないけれど、どうしても今のわたしには彼の力が必要だ。
 
 このまま寝てしまうと、夜中に着信音でみんなを起こしてしまうかもしれない。マナーモードに設定してから、はなちゃんにもう寝ろと急かされつつ、ベッドに潜り込んだ。

 ……夢を見ていた。
 カノコタウンにいる頃の夢を。ときどき、自分が今いる状況が夢だと分かることがあるけれど、今はその状態のようだ。
 琳太と手を繋いで歩いている。そしてなぜか、その頃にはいなかったはずのはなちゃん達がいるのだ。九十九も今の、進化した姿で後ろを歩いている。
 何を話しているのかは分からないけれど、とても楽しそうで、わたし自身も何が楽しいのかはよく分かっていなかったけれど、楽しいという気持ちを抱えていた。
 違和感なく鈴歌も一緒に歩いていて、時折わたしの服の裾を引っ張っては、町のあちこちを指さして、目を輝かせている。
 覚めて欲しくないと思った。このままここで、みんなと一緒にいつまでもいつまでも楽しく歩いていたい。
 美味しいものを食べて、綺麗な空を見て、空気が美味しいねって言って、夜にはみんなでふかふかのベッドの上、ぼんやりした明かりをつけてひそひそと楽しい話をするのだ。
 起きたら温かいご飯を食べて、雨なら部屋の中でごろごろ、晴れならお外でぽかぽか。
 そうやっていつまでもいつまでも一緒にいて、ただただ日向の温もりを感じられたらよかったのに。

 そうはいかないこと、自分が一番よく分かっている。
 枕をぎゅっと抱きしめている感覚があって、それが夢の中の自分を覚醒の世界へと引きずり込もうとしている。起きたくない。でも、起きないと。はなちゃんが肩を叩いている。声を掛けてくれているのが分かる。薄く張った膜の向こう側から話しかけられているかのように、少し遠くから聞こえてくるようだ。

 「んん、はなちゃん、なに?」

 時計を確認したら、起きる時間にはまだ少し早い。
 なんだかとてもいい夢を見ていたような気がする。もうちょっとうとうとしていたかったな。

「リサ、悪ぃけど起きろ。お前に用があるってヤツが来てんだよ」
「んん、だれ……?」
「タツキ?とかいうなんかちっせえヤツ」
「えー!?」

 がばっと掛けていた布団をはなちゃんに被せるくらいの勢いで起き上がって、ベッドから転がり落ちる。立ち上がる動作すらままならないくらいの凝り固まった身体を無理やり床から引き剥がして、ベッドルームから飛び出した。

 ポケモンセンターのロビーでソファーにもたれて足を組み、ミックスオレを飲んでいるのは龍卉さんその人に間違いない。
 周りで九十九がおろおろしていて、わたしを見つけた途端ほっとしたような表情になったのが視界に入ってきたが、それどころではない。
 
 ……本当に、いた。

「おはよ」
「なんっ……えっ……な……」
「まーったく。ボクを呼びつけるだなんていいご身分だよねホント」
「えええっ!?」
「何さ、せっかく来てやったってのに!」

 まさか直接龍卉さんがここに来てくれるとは思っていなかった。
 てっきり、ライブキャスターを繋いだまま画面越しにアドバイスを貰ったりするのだとばかり思っていた。

「んで、モノズは?琳太は?どこ?」
「いません」
「は?」
「ここには、いません。……いなく、なってしまって」

 特訓どころじゃないじゃん、と声を荒らげた龍卉さん。でも、わたしも、他のみんなも何も言わないから、眉をひそめたまま、それ以上怒った顔になることはなかった。
 代わりに、やや呆れたような表情になる。

「とりあえず先にそれ、聞かせてよね」

 

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