がらんどうのキスをした‐04 

 琳太の顔が見えたわけではない。
 いつもわたしが毎朝結っていた長い前髪は、すだれのように下ろされたままになっていて、表情なんてほとんど見えっこなかった。
 でも、泣きそうだった。……泣きそうだったんだよ。わたしが泣きそうになっていたから、それが鏡合わせのように見えてしまっただけかもしれないけれど。
 それでも、絶対に、あそこは琳太のいるべき場所じゃない。

 いなくなったら、やだ。

 そう言ってくれたのは、琳太なのに。

『悪ぃ、逃がした……!』
『まだ近くにいるかもしれないわ。探すわよ美遥』
『りょーかいだぞ!』

 足が震えて動けないわたしの周りで、めまぐるしく状況は変わっていく。大きく羽ばたく翅の音と、細かい羽ばたきの音が、バラバラの方向に飛び去っていくのは、琳太を探しに行った紡希と美遥だろう。
 わたしが。わたしが、言わないといけないのに。探しに行って、連れ戻してって。それを口にすることすらできず、ただ立っているだけ、木偶の坊。

「とりあえず人目があるから先に進もう。彼らは僕たちをすぐ見つけられるだろうし」
「……ああ、そうだな。おいリサ、行くぞ」
「うん」

 かろうじて、返事だけはできた。
 ぼうっと空を見上げれば、頭上を旋回している2つの飛行体が見える。はなちゃんに手を引かれながら、ゆっくりとその姿が大きくなっていくのを眺めた。嘘みたいに抜けるような青空だ。きっと風を切って飛ぶのはとても気持ちがいいだろう。

「リサさん、」
「なあに」
「ひとつ、目標が増えたね」
「うん?」
「琳太は僕たちが進んだ先に必ずいる」

 英雄とか、そういうのはよく分からないけれど、そのダークストーンがあれば、きっと琳太に会えるよ。わたしの手を引いて前を歩く九十九が言う。
 わたしは少し考えて、伝説のポケモンにちょっと失礼かもね、と言った。
 わたしに託されたダークストーンから伝説のポケモンがよみがえれば、それはNへの、ひいてはプラズマ団、ゲーチスヘの抑止力となり得る。
 彼らは必ずわたしの前に立ち塞がるだろう。わたしは琳太を取り戻すために、彼らを追っているのだから、必然的に衝突する。琳太が向こう側にいる以上、わたしが逃げる理由はどこにもない。

「歩けるよ、もう大丈夫」

 離れていく手を惜しいとは思わない。わたしが手を伸ばせば、すぐに握ってくれるような距離にいてくれるから。
 そっか、と言って手を離した九十九が、上を見上げて立ち止まった。
 ちょうど、美遥と紡希が降りてくるところで、双方とも見失ってしまったと言っていた。

「もしかしたらテレポートか何かで逃げたのかもしれねえな」

 わたしに向かって、見つけられなくてごめんなさいと謝罪する美遥達に、そんなことないよと言って両手を広げると、嬉しそうに美遥が飛び込んできた。さすがは岩タイプ。頭のところがごつごつと固くてお腹に擦り付けられると地味に痛い。

『じゃあアタシはこっち〜』

 後ろに回り込んだ紡希が、小さな足できゅっとわたしの肩や腕にしがみついてきた。白くてもふもふした首元の毛に後頭部を包まれる。あったかくてとても気持ちがいい。ふんわりしているとても上等のベッドみたいで、思わずそのまま後ろに倒れ込んでしまいたくなる。

 橋の終わりの方までずっとそうやってわちゃわちゃと戯れていたら、少しだけ、気が楽になった。

「ハグをするとストレスが減る、幸せになるっていうけれど、本当なんだなあ」
「えっ本当?もっとしておいた方がいいよ」

 振り向いた九十九がそう言って両手を広げている。至極真面目そうな顔をしているから、からかわれているのかと思ってその懐に突っ込んでいくと、どうやら冗談ではなく本気で言っていたようで、しっかりと受け止めてくれた。
 九十九、本当に大きくなったなあ。ミジュマルだったときのことが、つい昨日のことのように思われるので、最初から”男の子”って感じだったはなちゃんと違ってあまり触れることに抵抗がない。

「大きくなったね」
「うん。……う、えっ!?」

 見上げるほどの高さにある九十九の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。そこだけ夕日に照らされているみたいだ。どうやら自分のしていることに気付いてしまったようだ。残念な気持ちもあり、気恥ずかしい気持ちもあり。けれど、久しぶりに九十九が慌てているのが見られて、なんだかほっとした。

「たまにお前は訳分からんくらい天然だよな」

 ばっと九十九が後ろに下がる。そして、呆れた声を発していたはなちゃんの後ろに隠れてしまった。
 おい、ひっつくな暑苦しい!とはなちゃんが九十九を怒っているが、九十九は一向に離れようとしない。亀の甲羅のようにはなちゃんの背中に貼り付いている。
 すっかり「やらかしてしまった」という様子で、よほどいたたまれなかったのだろう。九十九ははなちゃんの脇の下からすっとわたしの腰の辺りを指さして、またはなちゃんにしがみついていた。

「はいはい」

 しょうがないなあ、と九十九をボールに戻せば、やっと解放されたはなちゃんが、長い長いため息をついていた。今の一瞬で体力を搾り取られたのか、ややげんなりしている。

 ゲートをくぐれば、そこはセッカシティ側にあった休憩室と同じような間取りをした空間だった。地図を確認したところ、この先の9番道路を抜けた先に、ソウリュウシティがあるとのことだった。幸い道路はさほど長くないようで、今からそのまま進めば、日が沈みきってしまう前にはソウリュウシティまでたどり着けそうだ。

「このままソウリュウシティまで行っちゃう予定だけど、大丈夫?」
「おいらはいいぞお!」

 わたしの左手をとって、早く行こうと美遥が急かす。
 勢いよくゲートを飛び出すと、大きなバイクがこれまた大きな音を立てながら、道路を我が物顔で走り回っていた。暴走族って、こっちの世界にもいたんだ。
 あまり関わりたくないなあと思った矢先、美遥がのんきな声を上げる。

「リサ、あのうるさいの何だ?」
「しっ!静かに!」
「え?」

 美遥の口を塞いで、ゲートに再度引っ込む。よく分かっていない顔をしている美遥に、あの人達には関わらない方がいい、関わりたくないのだと伝えると、了承してくれた。

「確かにうるさいもんなあ。近づいたら耳がもげそう」

 うるさいから近づきたくないわけではないが、無邪気にあの人達へと突っ込んでいくことは避けられそうだ。
 もしかしてここの道路近辺はあまり治安がよくないのだろうか。ヒウンシティの裏路地とはまた雰囲気の違う柄の悪さが感じられる。

「どうする?空輸するか?」
「わたしを荷物みたいに言わないで」

 しかし、はなちゃんが言っていることももっともだ。さっさとソウリュウシティに行くにも、あの暴走族みたいな人達を避けるのにも、空を飛んでいくのは有効な手段に違いない。短距離だし我慢しよう。

「というわけで美遥、よろしくね」
「お安いご用、だぞ!」

 

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