がらんどうのキスをした‐03 

「すごいすごーい!どっちのポケモンも頑張ったよね!」

 傷ついたエンブオーにきずぐすりを吹きかけてボールに戻した後、ベルは満足げにそう言った。
 後で九十九にお礼を言わなきゃ、と思いつつ、わたしも九十九をボールに戻す。
 弱まってきた霰の中で、ベルがへにゃりと笑う。
 そういえば、粉雪が霰に変わったということは、セッカシティより東側はあたたかいのかもしれない。

「あのね、本当はリサのこと、リラックスさせるつもりだったの。でも、……でも、リサなら大丈夫だよ!」
「そ、そうかな……」
「うん!絶対に大丈夫!あたしが保証してあげる!」
「ありがとう?」

 ベルの気遣いはとても嬉しいが、その方向性がよく分からなくてついついお礼の言葉が疑問形になってしまう。
 ベル自身、どうしてこんなことになったのか分かっていないのがまた彼女らしい。
 でも、ベルに会う前よりも、身体から変な力が抜けた気がする。彼女の持つ緩い空気がそうさせたのだろう。

「ごめんね……大変なのに、わざわざこんなこと言いに来て」
「ううん、助かったよ、ありがとう」

 今度はちゃんと、心からのお礼が言えた。それを聞いたベルは嬉しそうにはにかんで、それから不意に「バイバーイ!」と言い残して沼地の奥の方へと去って行った。
 来たときと同様に、唐突にいなくなってしまったベルの背中が見えなくなるまで見送ってから、ゲートの中へと足を踏み入れた。
 外の空気とは違う、ほんのり暖かな空気に包まれる。

 シリンダーブリッジのゲートは休憩所にもなっているようで、橋のミニチュア模型やベンチなどがポツポツと設置されていた。
 親子連れが橋の模型を眺めているのを尻目に、みんなをボールから出して、人数分のあたたかいココアを購入する。がごん、がごん、と熱いくらいの温度を持つ缶が吐き出され、各々が嬉々としてそれを手に取った。

「あ……」

 おつりを財布にしまって自販機の取り出し口に手を突っ込むと、缶が2つ残されていた。誰か取り損ねているのかと振り向いたが、そんなことはない。気付いてしまって、いたたまれなくなった。無意識の行動で自己嫌悪に陥る。
 ……1個余分に買ったんじゃない。受け取る人が、1人少ないのだ。

「おかわり」
「えっ」

 わたしが何か言う前に、はなちゃんがわたしからもう1個のココアを奪った。くしゃり、いとも簡単に、飲み干した缶を握り潰したはなちゃんは、片手で新品のプルタブを開ける。
 あちい、とこぼしつつも、喉を鳴らして飲んでいる。もう2缶目も飲み干してしまいそうだ。そうだよね。はなちゃん、甘党だもんね。

「ああ〜からだにしみわたるぞお……」

 美遥が缶を両手で包み込むようにして持ち、とろけた顔で呟いた。その表情には共感せざるを得ない。
 手袋に熱が移ってきた頃合いで、頬に缶をあてる。熱がマイルドになっていて、湯たんぽのようでとても気持ちがいい。頬からじんわりと解きほぐされていくような心地がした。
 ずっとあてていると低温火傷しそうなので、ほどほどのところにして、少しぬるくなったココアをちびちび飲み始める。とろっとして甘い。缶に入っているタイプのぜんざいやコーンポタージュも好きだけれど、ああいうのって最後の1粒がとれなくてもどかしくなるんだよね。お行儀が悪いのを承知で舌を使って掻き出そうとすれば、開け口で舌を切りそうになるし。

 飲み終えて一息ついてから、重い腰を上げる。行きたいような、行きたくないような。いや、行かなければならない。
 口元にぎゅっと霊界の布を引き寄せて、シリンダーブリッジへと踏み出した。

 橋に出ると、もう霰は止んでいて、空は薄く雲がかかっていた。低く地鳴りのような音が断続的に響いているので音のする方を見てみると、橋の下に高速道路があるようで、大きなトラックが何台も往来していた。その様子が頑丈そうな金属で編まれた橋の隙間から見えている。

 なんとなく、大丈夫だと分かっていても、下が透けて見えるような場所を歩くのは怖かったので、はしっこの石畳でできた部分を歩いた。
 橋から見える景色の中に、うっすらとだが、水平線と平行に架かっている橋のようなものが見える。ライブキャスターを起動させて地図を開いてみると、それがライモンシティとホドモエシティの間を繋ぐ跳ね橋であることが分かった。
 
 ……鈴歌、元気かなあ。

 りん、と鳴る安らぎの鈴に、何度鈴歌を思い出したことだろう。鈴歌が今のわたしを見たら、何と言うだろうか。失望しただろうか。
 鈴の音を目印に、また会おうなんて約束したけれど、合わせる顔がない。

 これが代償だとは思いたくなかった。まだ間に合う、永久に失われることなんて、あってはならない。

 また薄暗いもやに思考を奪われていくような感覚がして、振り払おうと頭を振る。みんなにはばれないように大きく息を吸ったところで、真後ろ、振り向けばぶつかってしまいそうなほど直近に、人の気配がした。
 背筋に冷たいものが走る。みんなはいつの間にかわたしよりも前を歩いていて。だから、これは、みんなの気配じゃない。

 みんなが誰ともなしに振り向いて、自分の名前を呼んでいる。

「……。……、来い」

 促すようなものではなかった。返事をする前に、脇を固められ、両方から腕をつかまれた。橋から落とされるのではないかと思ったが、どうやらそれが目的ではなかったようだ。
 突然、つむじ風よりも速く現れたダークトリニティは、わたしを橋の真ん中へと強引に連れて行った。
 進行方向に、見たくなかった人物がいて、その人重々しいローブがはためく様を見たくなくて、危険だと分かっていながらも、わたしは眼前で声をかけられるまで、終始うつむいていた。

「ゲーチス様。連れて来ました」

 そう言って、ダークトリニティはわたしの拘束を解いた。
 戒められていた両腕に残るわずかなしびれを感じながら、ようやっと、わたしは顔を上げた。ああ、今、一番会いたくなかった。

「見事、ダークストーンを手にしたようですね。まずはお疲れさまと申し上げておきましょうか」

 わたしが何も言わないでいると、ゲーチスは片方しか見えていない目をぐにゃりと歪め、再び話し始めた。
 ゼブライカの低く唸る声をBGMに、歌うような口調で言葉をつむいでいく。

「N様のお考え……。それは伝説のポケモンを従えた者同士が、信念を賭けて闘い、自分が本物の英雄なのか確かめたい……とのことです」

 どうやらわたしは同じ土台に立つことをNから望まれているらしい。
 確かに、伝説のポケモンが強大な力を持っているのは身にしみて分かっている。それに対抗するために、もう片方の伝説のポケモンの力を借りなければならないことも。
 けれど、わたしは英雄になりたくてダークストーンを手にしたわけではない。
 彼が抱える信念を受け止める相手がわたしでいいのだろうかと、常々思っていた。
 だって、わたしには世界に対しての強い思いがない。
 
 みんなと一緒に旅ができたら、そして目標とするあの場所で、再びまみえることができたなら。そんな、誰でも抱えていそうな、ありふれた願いしか、わたしは持っていないのだ。

「そんなことをなさらずとも、英雄になるための教育を幼い頃より施され、結果、伝説のポケモンに認められたというのに……本当に純粋なお方です」

 小さいものでも大きいものでも、人の願いに値段をつけることなんてできないし、願いの強さを比べることだってできないはず。
 ……はっきりと分かるのは、ゲーチスがNを単純に「王様」として敬っているわけではないということ。もしかしたら、Nは利用されているだけ、手のひらで踊らされているだけで、その信念すらもゲーチスの筋書き通りに抱かされたものなのかもしれない。

 彼はポケモンの言葉が分かると言っていた。
 わたしにとっては当たり前のことだけれど、よくよく考えてみれば、ポケモンの言葉が分かる人間なんて、ハーフしかいないじゃないか。はなちゃん達が彼のことをポケモンだと言わない以上、彼はハーフである可能性が限りなく高い。

「Nはあなたに利用されてるんじゃないの」
「ほう……?」
「ポケモンを解放するって言っているけれど、それって本当?」

 ポケモンの解放を謳っているけれど、きっとそれだってろくでもない理由に違いない。伝説のポケモンの力を利用しておいて、あっさりとその力を手放すわけがないのだ。
 ヨクシリョク。きっとそういう使い方をされるのだろう。

 わたしが何か言うとは思っていなかったのか、一瞬表情の一切を消したゲーチスが、わたしを見下ろして顔を歪めた。
 やっぱりこの笑い方は好きになれない。

 「では教えて差し上げましょう。ワタクシ……プラズマ団が言うポケモンの解放とは、愚かな人々からポケモンを切り離すこと!」

 そう、このように!
 重たい幕が上がった。現れたのは絶望。
 
 ――ワタクシは人の絶望するその瞬間を見るのが大好きでしてね。

 ふわりと揺れる夜空色のポンチョには、瞳と同じ色の模様が入っていて、風に弄ばれる度、泡のように浮かんでは消えていく。
 泣きそうな顔をしたわたしのパートナーが、そこにいた。
 しかしその姿はすぐに幕の中へと閉じ込められて、見えなくなってしまった。

『てッンめええぇェ!!!』

 はなちゃんが、溜めに溜めた雷を爆発させた。爆発音と共に目を灼くような強い光がほとばしり、目を開けているのか閉じているのか、上を向いているのかうつむいているのかも分からない。
 光が収束し、視力が元に戻った頃。
 跡形もなくゲーチス達の姿は消えていた。

 残されたのは稲妻が駆け抜けた後の焦げ痕と、はなちゃんの荒い息。

 

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