がらんどうのキスをした‐02 

 粉雪の降るセッカシティに到着した。
 ここから先、東にあるソウリュウシティまで美遥に連れて行ってもらうことも考えたが、次第に厳しくなっていく寒さで鼻がもげそうだったため、断念した。ソウリュウシティはもっと寒いのだろうか。
 地面に降り立った美遥がぶるぶると震えていたため、いたわりと温める意味を込めて背中を何度も手袋越しにさすった。
 
 セッカシティの東側は沼地になっている。雪と柔らかい地面に足を取られつつも、比較的寒さに強い九十九の手を借りつつ、奥へと進んでいく。
 時折地面が完全に凍り付いている箇所もあり、生まれたての子鹿のように足腰を震わせつつ、滑るように進んだ。
 かろうじて凍っていない沼に道を阻まれた際は、九十九の背に乗って進んで行くのだが、その水の冷たさを想像するだけで背筋が震えた。彼は平然とした顔をしているけれど、きっと我慢しているに違いない。ソウリュウシティに着いたら、温かい飲み物を買おう。

 幾分か沈み込んだ気分も落ち着いてきて、、ぽつぽつと言葉を交わすことができるようになってきた。そんなわたしをほめるでもけなすでもなく、九十九達はいつも通りの対応をしてくれて、それがとてもありがたくて、やっぱりちょっとだけ申し訳なかった。
 思えば、琳太の次に古株なのは、九十九だ。わたしを琳太に次いで、一番長く、そばで見てきた九十九は、この現状をどう思っているのだろう。
 それを聞く勇気は、まだなかった。

 深い青に染まった沼地の終わりが見えてきた。
 地図によると、先に見えているあのゲートをくぐれば、シリンダーブリッジという橋に繋がっているらしい。その橋の向こうに、ソウリュウシティがある。

 ざばり、と水から上がった九十九の背中をひと撫ですると、九十九の夕日色の目が細められた。そうだ、温かい飲み物に、熱いシャワーも追加しておこう。
 屋根のある建物が恋しくなって、足早にゲートへと向かう。手袋をしていても、指先はとうにかじかんでいて、感覚が薄れていた。

 すっかり赤くなっているであろう耳に、自分の名前が聞こえてくる。女の子の声だ。
 振り向くと、ベルがこちらに向かって走ってくるところだった。

「あれれ、リサ、どうしたの?」
「……?」

 ベルのまあるい目が、ぱちりとまたたく。わたしを見るその目には、「不思議」という色が浮かんでいて、わたしはどういう顔をすればいいのか分からなくなってしまった。

「リサ、すっごくすっごく、困った顔してる。もしかして、声かけたの、迷惑だった?そうだよね、リサは先に行くんだもんね」
「う、ううん、迷惑じゃ、ないよ」
「そお?ならよかった!」

 にぱっと笑うベルの表情にすっかり肩の力が抜けてしまって、思わず涙腺まで緩みそうになる。
 はっとしてぎゅむぎゅむと頬を押さえると、またもやベルが不思議そうな顔をした。
 ごまかすように笑って、ちょっと疲れてるのかも、と言うと、「そっかあ」と返ってきた。

「お疲れのところ悪いんだけど、あたしと勝負して!」
「へ?」
「最近ね、あたし色々考えるんだ旅に出て自分が何ができるか、何をやりたいかなんだけどお。ずっと悩んで、でも何になるにしても、やっぱりポケモンに詳しくないとねって思って!」
「そ、そうだね」
「悩んでるくらいなら勝負してすっきりしちゃおうっていうのもあるんだけど!」

 とん、とその言葉が胸に響いた。
 わたしが悩んでいるのを、ベルが察してくれたのかは分からない。けれど、ベルはわたしの違和感に気付いている。バトルをしようという提案は、ベルのためでもあり、わたしのためにもなるのかもしれない。

「九十九、いい?」
「エンブオー、お願い!」

 九十九が頷いてわたしの前に立つのほぼ同時、たくましい咆哮を上げてエンブオーが姿を現した。
 粉雪はいつしか大粒の霰に変わっている。頭や顔に当たると少し痛いくらいだ。

「いっくよー!エンブオー、ニトロチャージ!」
「アクアジェット!かわして!」

 ニトロチャージは素早さの上がる技。あまり長期戦に持ち込まない方がいいだろう。できれば九十九が素早さでは有利のうちに勝負をつけてしまいたいところだ。
 かわすにしても普通に動いたのでは素早さが足りない。そう思ってアクアジェットの勢いを利用し、瞬発力を上げた。
 うまくいったようで、九十九はエンブオーの攻撃をかわし、再び互いが睨み合う状況となった。

「どんどんいくよ!ニトロチャージ!」

 先ほどよりも勢いの増した炎の塊が、九十九に迫る。いつまでも逃げているわけにはいかない。いずれかわせないよどに素早さの増した攻撃が、九十九に直撃してしまう。迎え撃つしかないだろうか。でも、どうやって。

「みずのはどう!」

 正面から突っ込んでくるエンブオーを、水の塊が包み込むように迎え撃つ。
 技の勢いが足りなかったのか、はたまた相手の勢いに押されたのか、九十九はもろにニトロチャージを受け止めることになった。

「九十九!」
『大丈夫!』
 
 相性がいいとはいえ、ダメージには変わりない。
 よろめいた後ろ姿を見て、言葉に詰まる。バトルですっきりできるかも、なんて考えは、わたしの都合でしかない。九十九はそれに付き合わされているだけだ。

『リサ!』

 がう、と九十九が吠えた。
 肩が跳ねて、九十九に視線が釘付けになる。雄々しい兜から覗く瞳は見えないけれど、たくましい背中越しに、吠え続ける。

『さっさと決めないと、手遅れになる!』
「……!」

 ごくり。生唾を飲んだ。深呼吸して、冷えた空気を肺に入れる。吐き出すときは、声にして。

「アクアジェットで突っ込んで!シェルブレード!!」

 思い切り、空気を震わせた。
 対するエンブオーは、加速したニトロチャージで迎え撃つ構え。
 鋭く輝く剣を振りかざし、九十九がエンブオーと衝突した。水が蒸発して、水上機が立ちこめる、それが収まった後には、衝突して押し合っている2体のポケモンがいた。
 勢いも力もあるのはエンブオーの方だ。じり、じり、と九十九が押されている。
 九十九が必死に踏ん張っているのが、ぬかるんだ地面に刻まれた爪痕から、痛いほどに伝わってくる。

 逃げてもいいよ、と九十九は言ってくれた。その彼が逃げないのだから、今は、逃げてはいけないのだと思う。
 逃げるべきなのは、今じゃない。今すべきことは、立ち向かうことだと、青い背中が雄弁に語っていた。

「リベンジ!」

 九十九の肢体に、より一層力が込められた。爪が地面をがっちりと掴み、耐えるためではなく、踏み出すために、爪痕を残した。
 ぐっと九十九の首が持ち上がる。そして、突然方向転換し、剣を後ろに、エンブオーに背中を見せる格好をとった。
 今まで押し合っていた対象が急にいなくなったエンブオーはバランスを崩して前のめりになるも、なんとか踏みとどまり、追撃を試みようと再び炎を身にまとう。

 そのときだった。ぐるんと1回転した九十九の尾が、勢いよくエンブオーを身体を薙ぎ払う。正面からの力に立ち向かおうとしていたエンブオーは、横方向の力に不意を突かれ、あっさりと吹き飛ばされた。
 堂々と尾を振り抜いて立つ九十九は、注意深くエンブオーの方を見ていたものの、やがてエンブオーが目を回しているのに気付き、ほっと息を吐いたようだった。



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