がらんどうのキスをした‐01 

 サツキが駆けつけてきてくれたとはいえ、サツキにだって育て屋の仕事がある。わたしの問題にかかりっきりというわけにはいかないだろう。
 琳太がひょっこりカノコタウン周辺へと現れたときのために、お母さん達に事情を説明しておこうかとも思ったけれど、そうなると今からソウリュウシティに向かうところも話してしまうことになるだろう。そうなってしまうと引き留められかねない。
 ダークストーンが自分の手に渡ってしまった以上、自分の意思以外で手放すことはためらわれた。

「この周辺はあらかた探したけれど、細かいところまでは見切れてないから、ぼくが探しておく。だから、リサには遠くを探して欲しい。いいね?」

 その言葉が、わたしを先に進ませるための口実だとしても、うなずくよりほかない。
 進んだ先に、きっと琳太がいる。そう思って進むしかない。散々泣いた後、冷静さが戻ってきた今となっては、そう判断できた。

「分かった。……ごめんね、サツキ」
「琳太のことは、僕も放っておけないから」

 どうしていなくなったの、とか、何か琳太を傷つけるようなことをしたんじゃないの、とか。そういったことを一切口にせず、ただ「琳太がいなくなったこと」だけを心配して、探してくれると約束してくれたサツキがまぶしく見える。
 なじってくれてもいいのに。ダメなトレーナーだ、おや失格だ、何をしているんだすぐに仲直りしろって言うのは簡単なのに。いっそ叱って欲しいと思ったくらいだった。

 ぱたぱたと慌ただしく部屋を出て行った小さな後ろ姿を見送ってから、くたりとベッドに腰掛ける。
 今頃アデクさんはソウリュウシティに向かって移動中だろうか。なるべく早く、わたしもここを出た方がいい。
 そう思ってはいるものの、一度座ってしまえば、重たい腰がなかなか持ち上がらない。泣き疲れている上に、立ち上がる気力がないのだ。
 進まなきゃ、進まなきゃいけないのに。
 無意識にベッドに置いていた手が、わたしのそれよりも小さい手のひらを探していることに気付いてしまって、すっかり枯れたはずの涙が再びこみ上げてきた。

「リサさん、立てる?」
「うん……」

 九十九から差し伸べられた手に気付かないふりをして、うつむいたまま立ち上がる。視界がぐらぐらと揺れたけれど、首を振ってごまかした。視界の縁で、毛先が揺れる。少し傷んで色素が薄くなりかけていて、もはや黒髪というよりは、濁った灰色に見えなくもなかった。

 立ち上がっても、なかなか前を向く勇気が持てなくて、のろのろと自分のショルダーバッグに手を伸ばした。
 みんな、わたしのことをどう思っているのだろう。ダメなトレーナーだと内心さげすんでいるのだろうか。先に進むと言ったら、琳太を置いていくのかとなじられるのだろうか。
 さっきまではみんな取り乱していたし、琳太が迷子になってしまった可能性も捨て切れていなかった。でも、琳太が自らいなくなってしまったと思わざるを得ないこの状況を誰もが認識してしまった今、わたしはどんな顔をしてみんなの前に立てばいい?

 出発しよう。その一言が言えなくて、延々と荷物を整理するふりを続けている。旅を続けているうちに、それなりに荷物は増えているものの、整理するほどではない。
 りり、とバッグにつけている安らぎの鈴が鳴ったけれど、それに対して何も思えないくらい、わたしの心はざわついていた。

 どうしよう。どうすればいい。
 なんと言ってみんなの方を見ればいい。
 話し方を忘れてしまった。

 口の中がカラカラだ。朝食を食べていないことに気付いたけれど、全く食欲はわいてこない。生きている価値がないと思ってしまえるくらいに、消えてしまいたいと思ってしまうくらいに、今のわたしはみじめでちっぽけだった。
 
「リサ、準備は終わった?」

 一枚、薄い水の膜を張ったようになっていた聴覚が、急に鮮明化された。ぱちんとわたしが閉じこもっていた繭が剥がれて、紡希の声音が優しく鼓膜を揺さぶる。

「う、うん。だい、じょうぶ」

 背を向けたまま返事をして、バッグを持ち上げた。のろのろと肩に掛けて、振り向く。それでも、みんなの顔は、見られなかった。
 紡希の声が、たとえどんなに優しく響いたとしても、面と向かって話せる自信がない。
 いつまでもうじうじしていることに業を煮やしたのか、硬い革靴の音が近づいてきた。殴られるかもしれない。そう思って身構えたけれど、痛みの代わりに、頬を包み込む布越しの手の感触が伝わってきた。
 強制的に上を向かされるかと思ったがそういうことはなく、ただ頬に手を添えられるだけ。さらさらの、きめの細かい布の感触が心地よい。
 
「アタシ達のことも見てちょうだい?」
「あ……あ、」

 ごめんなさい。
 それでもやっぱり目が合わせられなくて、目線を下げたまま呟いた。柔らかく笑ったような気配がして、頬に添えられていた両手が離れていく。

 行きましょうか、という紡希の声にうなずいて、ショルダーバッグの紐をぎゅっと握りしめる。ドアを開けようと伸ばした手がかすかに震えていて、ほんの少し、ドアを開けるのをためらった。けれど、褐色肌の無骨な手が、さっと横から伸びてきて、ドアをいとも簡単に開けてみせた。

「!」

 横から無言の圧力を感じて、泣きたくなった。
 ボールに戻ってもらおうかとも思ったけれど、もうわたしの持っているボールに入ってくれるかも分からない。いっそ見限ってくれたら、なんて考えが頭をよぎったけれど、彼らがそんなことをするようなひと達ではないことを知っている。それがいっそうわたしの胸を締め付ける。

 ポケモンセンターのチェックアウトを済ませて、外に出るまでの記憶がない。
 習慣付いた行動は無意識にでもできるから、ふとしたときにちゃんとできているかどうか不安になることがあるけれど、これはそういうのではなくて、ただただ、上の空という感じだった。わたしがチェックアウトをしたという確証もない。もしかしたら、紡希や九十九がやってくれていたかもしれない。
 
「……美遥」
「なんだあ?」
「寂しいね。置いて行かれるって」
「そーだなあ」

 上の空のような言葉が返ってきたけれど、発せられた言葉の持つ響きはしんみりしていて、湿っぽかった。

 街のはずれ、開けた場所に出て、九十九と英のボールを取り出した。
 人々の声やポケモンの鳴き声、自動車の走行音、それから、木々のざわめき。それらが少し遠のいた場所で、北の地に備えて、わたしは霊界の布を首元に巻いた。
 少し、呼吸が楽になった気がして、深呼吸をする。

「入って、くれる……?」
「は?当ったり前だろ俺にソウリュウシティまで走れってか?」

 わたしを思いを知った上で、まるっと無視しているのだろう。ぶっきらぼうな返答と共に、はなちゃんが差し出したボールの中へと吸い込まれていった。
 続いて九十九も、何か言いたげに口を動かしていたけれど、結局無言のままボールに入っていった。
 
 紡希に抱えられて、飛行中の美遥の背に移される。
 この間も、落ちてしまったら、落としてくれたら楽になれるかな、なんてことを考えてしまい、いい加減自分のうじうじした性格に嫌気がさしてきた。

 紡希はボールに戻らず、美遥の周囲をゆったりと飛行している。激しい戦闘でなければ問題ないとのことだったし、戦闘以外でこうやって自由に空を羽ばたける機会はそう多くはない。気分転換にはちょうどいいだろう。

 

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