マアトの羽ばたき‐07
お風呂から上がっても、琳太が起き上がる様子がないので、ポンチョでは寒いだろうと思って毛布を掛けておいた。ボールに戻してしまおうかとも思ったが、起こしてしまうかもしれないのでやめておく。
お風呂上がりに飲もうと思って買っておいたミックスオレを冷蔵庫から取り出して、ふたを開けた。ベッドに腰掛けてちびちびと飲んでいたら、ベランダにいたらしいはなちゃんと美遥がカーテンをかき分けて入ってきた。確か2人とも、お風呂はまだだったよね。
「お風呂先に入らせてもらったよ」
「ああ」
美遥がひらひらと手を振ったのを見て、はなちゃんが浴室へと入っていった。まもなくシャワーの音が聞こえ始める。
美遥がわたしの隣に腰掛けた反動で、ベッドが弾んだ。
「リサ、これからどうするの?」
「分かんない」
「そっかあ」
分からない。ダークストーンを受け取って、そして。
アデクさんがNに負けてしまった場合、わたしが最後の砦になる。とはいえ、そう簡単にアデクさんが負けるとも思えない。ただし、プラズマ団何か汚い手を使ってアデクさんの邪魔をしないとも限らないから、安心しすぎるのもよくないのだろう。
「でもね、みんなが逃げてもいいって言ってくれたから大丈夫だよ」
道があるのは前だけじゃないと分かったから、大分気が楽になった。いつでも脇道にそれていいし、戻ってもいい。
本当に嫌になったら、みんなを連れてあっちの世界に行っちゃおうかな、なんて。燐架さんならそれをやってくれそう。泉雅さんには怒られそうだけど。
「伝説のドラゴンポケモンが〜なんて言うけど、わたしはもう琳太がいるし、みんなの方が長い付き合いだし、多分みんなに頼っちゃうと思うんだよね」
「どんどん頼ってくれていいんだぞお」
にへら、と笑う美遥の口から、八重歯が覗く。つり目で結構怖い目つきをしているけれど、はなちゃんのように目力があるわけではないから、圧迫感はない。
わたしが手に持っていたミックスオレを見て欲しくなったのか、美遥は冷蔵庫からもう1本を取り出した。
「おいこらそれ俺のだ」
「え〜ばれた」
ちょうどお風呂上がりのはなちゃんが、美遥の手からよく冷えたミックスオレを取り上げた。どうやら美遥のものではなかったらしい。
「名前書いてないしいいかなって……」
「何もよくねえ。おらさっさと風呂入れ」
「は〜い」
美遥と入れ替わりに、ミックスオレとコップを手にしたはなちゃんがどっかりと腰を下ろす。もう半分飲んでしまっていたからよかったものの、ベッドが弾んだ反動で危うく手に持っていたミックスオレが飛び出してしまうところだった。
「ああ悪い」
ミックスオレをとくとくとコップに注いでサイドテーブルに置き、容器に残った分を飲み干したはなちゃん。コップの方に手をつける気配がないので不思議に思っていたら、わたしの表情を見て察したらしい彼は、ばつの悪そうな顔をした。
「あー……いや、取っといてやってもいいかなって」
美遥に、ということか。なんだかんだ言いながらもはなちゃんは甘い。甘党だし。いやそれは関係ないか。
「飲む?」
「は?……は!?いらん!」
自分が持っていた分を差し出すと、怒っているかのような剣幕で断られた。そんなに否定しなくてもいいじゃん。
あっさりと断られてしまったので、少しぬるくなった残りを飲み干した。
ミックスオレが飲めると分かった美遥が、うれしさのあまりベッドにダイブしてくるまで、あと少し。
……翌朝、ソファーはもぬけの殻だった。
毛布が、誰かが抜け出たときのかたちそのままになっている。でも、ポンチョはない。ボールの中を確認しても空っぽで、さらに、ポケモンセンターのどこにも琳太はいなかった。
みんな、はじめはボールの中にでもいるのだろうと思っていた。だから、ポケモンセンターの中にさえいないと分かった途端、血相を変えて琳太を探し始めた。
「見つかった?」
「いや、あっちの方にはいなかったぞ」
「おいら、ヤグルマ方面見てきた方がいい?」
「ならアタシと一緒に行きましょう」
美遥と紡希が空中へと舞い上がる。
街の上をぐるりと1周してから、ヤグルマ森の方へ向かうとのことだった。
街の中を片っ端から探してみようとしたわたしを、九十九が引き留める。
「リサさん、博物館に行こう。アデクさんが待ってる」
「でも、琳太がまだ……」
「受け取ったからといって、この街を出なきゃいけないわけじゃない。琳太は飛べないし泳げもしない。きっと遠くには行ってないよ」
でも、もし。誰かに連れ去られてしまったとしたら。そう言おうとして、その言葉を飲み込んだ。言ってしまえば、本当のことになってしまうような気がして、言えなかった。
九十九に促されて、博物館へと足を向ける。空っぽのダークボールが無性に軽く思えてきて、言いようのない不安に駆られた。
はなちゃんは、街の中をくまなく探すと言って出て行った。わたしと違って鼻がきくし、人間より目もいい。きっと見つけ出してくれるはず。
いつかの夜、ここにいてもいいのかと問いかけてきた琳太のことを思い出した。
引き留められないと思った夜を思い出した。
わたしはもしかして、そのときから、諦めてしまっていたのだろうか。琳太と一緒にいることを。行かないでと思ってしまったのは、いなくなることを予感していたからだろうか。
アデクさんは先に到着していて、わたしのことを待っていた。アロエさんもいる。
わたしの顔を見て何かあったのかと聞いてきたが、話す気にはなれず、黙って首を横に振った。これから厳しい戦いが待っているのに、迷惑を掛けるわけにはいかない。
「ダークストーンを、受け取りに来ました」
「分かった。心して受け取れい」
「このダークストーンが、いざという時に、あたしらとポケモンたちの理想の未来を守るんだね」
アロエさんの言葉は、いまいち実感を伴わない。目先の、琳太のことを何よりも優先したい気持ちでいっぱいになっていて、受け取った手のひらから伝わってくる石の重みもよく分からない。
大事にしておくれよ、という言葉に頷いてバッグの奥底へとダークストーンを仕舞った。
「ところでこのダークストーンから、どうやって伝説のポケモンが目覚めるんですか?」
使い方が分からないので聞いておこう、と軽い気持ちで尋ねてみたところ、アデクさんは途端に難しい顔になった。
「それがよく分かっておらん。ただな、これについてはドラゴン使いに聞くのが一番だという結論に達した」
てっきりみんなこの石の使い方を知っているものだと思い込んでいたのだが、どうやらそうではなかったようだ。つい昨日までえがダークストーンだと気付いていなかったのだから、それもそうか。
セッカシティの東にある街、ソウリュシティのジムリーダーはドラゴンタイプの使い手とのこと。ジムリーダーなら何か知っているかもしれないと言って、アデクさんは先にウルガモスを出して飛び去ってしまった。先に行ってジムリーダーにアポイントを取っておいてくれるのだろう。
そうなると、急いでソウリュウシティに向かった方がいいのだろう。でも、わたしはこの街を離れられない。琳太が見つかるまでは。
ダークストーンを受け取って、ポケモンセンターに戻る道すがら、はなちゃんが背中に人を乗せて駆けてきた。琳太かと思ったけれど、すぐにシルエットでそうではないのだと分かった。はなちゃんの背中に乗っていたのはサツキだ。
「リサ、話は聞いたよ」
ぼくも探そう、そう言ってサツキはぎゅっとわたしを抱きしめた。昨日、ベルと抱き合ったときのことも相まって、また涙が止まらなくなってしまった。
「この近辺なら任せて。でも、もしかしたら、もうこの辺りにはいないかもしれない。だから、先に進むんだ。いいね?」
「やだ……でき、ない」
旅に出る前から、いつも琳太が一緒にいたのに、そうではないことがたまらなく苦しい。ふとしたときに琳太のぴょこぴょこと跳ねる黒髪を思い出してしまうし、はためくポンチョも、きれいな色をした瞳も、全部ぜんぶ、走馬灯のようにあふれてくる。
失って初めて気付く、だなんてとんでもない。わたしはずっとずっと、琳太が大切だったのだから。
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