マアトの羽ばたき‐05 

 球体のような部分の上に座らせてもらったが、途端にシンボラーはふらふらと揺れ始めた。もしかしてわたしの重さに耐えきれないのだろうか。

『あ、足を避けてほしいんじゃけど……』
「え!?」

 てっきりてっぺんの角のような部分についている目が本物だと思っていたが、どうやら丸っこい胴体だと思っていた方が顔で、そっちについている青い目の方が本物だったらしい。つまり今、わたしは肩車されているような状態になるのかな。
 胴体の顔のような模様で敵の目を急所から逸らしているのかと思っていたけれど、深読みしすぎただけのようだ。
 ぶらぶらさせていた足をクロスさせて、シンボラーの視界の邪魔にならないよう、しっかりとしがみついた。
 ゆっくりとシンボラーが、わたしを乗せて高度を上げる。わ、すごく揺れがない。速度のことさえ考えなければ、観覧車に乗っているくらいの気分でいられる。

『あまり速度には自信がないんじゃけど、そこは我慢してくれんかね』
「大丈夫!ありがとう」

 むしろいくら早く到着できるとはいえまたUFOキャッチャーみたいに運ばれてはたまらない。なるべく早く行かなければという気持ちはもちろんあるものの、わたしが向こうに着いた瞬間目を回して倒れてしまったら元も子もない……と思うことにする。

 いいと言うまで目をつぶっておいてほしいというシンボラーの気遣いに甘えて、ぎゅっと目を閉じた。顔に力を込めすぎてしわが寄っているが、そのしわひとつひとつも細かい砂が入り込んでいるようで、砂漠を抜けて目を開けたとき、まつげからばさばさと砂埃が舞った。少し目がヒリヒリする。コンタクトレンズを外しておいてよかった。
 砂漠に行くと分かった時点でコンタクトはしない方がいいと思っていたけれど、博物館に行くならつけておいた方がいいかもしれない。
 あまりにもカラフルな髪と目の色の人達が多いせいで、最近は付けたりつけなかったりしているけれど、本当はきちんとつけておいた方がいいのだろう。とはいえ特に視力に問題があるわけではないのに、きちんとコンタクトをつけるというのは面倒くさい。

 眼下にヤグルマの森らしきものが見えて、腕がつきりと痛んだ。もう傷跡は綺麗さっぱり消えてしまっているけれど、それでも痛かったということは覚えている。
 今感じている痛みは、腕からの痛みではなく、脳が感じている痛みだと、どこかで見かけたことがある。

「……」

 もう治ったよ、とけがをした方の腕に、ほんの少しだけ力を込めた。先ほどまで感じていたずきん、ずきん、という熱がたちまち引いていく。病は気から、ってことかな。

『もうすぐ着くけど、たちまち入り口のとこに降りるね』
「はーい」

 ずっと疑問だったんだけど、シンボラーの話している言葉ってどういうなまりなんだろう。わたしがいた世界でも実際に使われていたものなのかな。大まかな言いたいことは伝わってくるんだけれど、細かい単語の意味が分からないときがある。

 離陸したときと同じように、シンボラーはゆっくりと丁寧に着地した。本当に快適でびっくりした。

「送ってくれてありがとう」
『気をつけて行きいよ』
「うん!」

 かすかに翼を揺らしてばいばいをしてくれているシンボラーに背を向けて、走り出す。目指すは博物館。奥の方がジムにもなっている、この街のシンボルとも言える大きな建物だし、前にも行ったことがあるからすぐに分かる。

 息せき切って扉を開けようと手を伸ばしたが、その扉が向こうから開けられて、結構な人数がその扉から出てきたため、すんでの所で踏みとどまった。

「おお、リサくん!」

 出てきた人達は、アララギさんとアララギ博士、アデクさん、ジムリーダーのアロエさん、それからベルだ。

「アデクさんから話は聞いたわ。大変なことに巻き込まれちゃったのね……」

 アララギ博士が目を伏せた。とても素敵で活力にあふれた女性というイメージを持っていたけれど、今はそのはつらつさに陰りが見える。
 倦怠感をまとった雰囲気にただならぬものを感じて声を掛けようとしたが、全力疾走の後でうまくろれつが回りそうにない。落ち着いてから口を開こうとしたものの、アロエさんが話し出す方が先だった。

「さて、全員おそろいのようだけれど、これでいいのかい?」

 そう言って彼女がみんなにも見えるように、手のひらを差し出す。そこに載せられていたのは、真っ黒な丸い石だった。平べったくて、囲碁の石よりも少し大きいそれには、見覚えがある。これ、博物館に展示されていたものだ。
 なんとなく視線が吸い寄せられていたから、よく覚えている。

「それ、砂漠で見つかったとかいう……」
「ああ、そうだけど。……本当にこれが、ドラゴンポケモンかい?」

 アロエさんは懐疑的だ。手のひらに載った石を、確かめるように何度も握ったり開いたりしている。

「リュウラセンの塔を調査したところ、このダークストーンと同じ時代を示す成分があったんだよ!」
「……ということを私が調べたのね」

 自慢げに言ってのけたアララギさんの言葉の後を、やつれた声でアララギ博士が引き継ぐ。どうやら疲労の原因はこの調査のようだ。徹夜で必死に調べてくれたのだろう。

「さすがだね」

 アロエさんが空いている方の手で、いたわるようにアララギ博士の肩を叩いた。控えめな強さで手を置いたつもりだったのだろうが、その衝撃ですらアララギ博士は倒れてしまいそうだ。早急に休んでほしい。目だけ妙に強い光を放っているのがまた怖い。

「それにしてもお。あのときプラズマ団がその古い石に気付かなくてよかったですねえ」

 ベルの言うとおりだ。プラズマ団はこの博物館からドラゴンのホネを盗み出したことがあったけれど、あれはきっと、今考えると、伝説のドラゴンポケモンの復活をもくろんでのことだったのだろう。あのとき、この旧い石を狙われていたならば、事態はもっと悪化していたかもしれない。あれは不幸中の幸いだったのだ。

「じゃあリサ、これを……」
「ちょっと待つんだ」

 アロエさんが私の方へとダークストーンを差し出した。その手を制止したのは、アデクさんだ。
 アデクさんはひたとわたしを見つめ、問いかけてくる。獣のように鋭い目つきに気圧された。

「このダークストーンを手にするということは、わしに何かあったとき、Nと戦うということだぞ。……それで、いいんだな?」
「……」

 即答できなかった。こんなとき、普通の冒険譚の主人公なら、迷わずこの石を手に取るのだろう。
 でも、わたしはそんなものにはなれない。そんな人じゃない。英雄じゃない。その石の中に眠っている伝説のポケモンが、過去にどういう英雄と友のい戦ったのか知らないけれど、わたしがこのドラゴンポケモンに認めてもらえるとは思えない。
 アデクさんや、アロエさんの方が、心も、身体も、ポケモンバトルだって強いんだし、彼らが持っていた方が、伝説のポケモンは応えてくれるんじゃなかろうか。

「……一晩だけ、時間をください」

 弱腰な自分が情けないけれど、これが精一杯の気持ちだった。

「分かった。明日の朝、答えを聞かせてくれ」

 アデクさんも、誰も、わたしを責めなかった。アロエさんは、ゆっくりお休み、と言って中へと引っ込んでいく。

「リサ、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないよお……」

 三々五々、みんながいなくなった後、ベルが気遣わしげな声を出す。それに思いっきり甘えてしまう。ぎゅっと抱きつけば、ベルは優しく受け止めてくれた。

「リサはすごいね。すごいよ」

 涙が薄い膜を張ってにじんだ視界で、茶色いタイルの地面を眺める。ぽた、ぽた、とそのタイルに濃い色のしみがいくつも落ちて行き、模様を作る。

「すごくないよ……」

 だって、すごかったらうなずいていた。伝説のポケモンと共に戦えることを誇りに思って、迷わずダークストーンを手に取っていた。なんなら、あの場で伝説のポケモンを呼び出せていたかもしれない。

「ううん、すっごいんだよ。だってね、逃げないんだもん。あたしだったらむりむり〜って断っちゃうもん。でもね、」

 無茶しちゃダメだよ。
 ベルの肩口に顔をうずめて、堪えきれない嗚咽をかみ殺した。
 


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