マアトの羽ばたき‐04 

 果たして角を曲がったところにいたのは、シンボラーだった。人間の姿で見回りをしている最中だったのだという。久々に再会したシンボラーは、初めのうちはびっくりしていたものの、すぐに柔和な表情になり、わたしとの再会を喜んでくれているようだった。

「あらシンボラーちゃん!アンタそういう顔だったのねえ」
「うん?……!」

 親しげに両腕を伸ばし、紡希がシンボラーの肩を掴む。にこにこと顔をのぞき込んでくる紡希に対して、シンボラーは困惑していたものの、雰囲気から感じ取れたのか、はっとしてすぐさま膝をついた。

「ようけお帰りなされました……。王、大変お待ち申し上げておりました」
「ちょっとちょっと!やめてよそういうの〜!アタシそういうのガラじゃないんだから」

 今度は紡希が困惑する番だった。両手のひらを振って、どうにかシンボラーに顔を上げてもらおうとしているようだったが、シンボラーは平伏するばかりで埒があかない。
 ここはわたしが急ぎの用事で捜し物をしていることを告げて、どうにか状況を打開するべきだろうか。

「あ〜もうどうしましょう……。でもアタシ達急いでいるのよねえ……」

 困ったわ、と頬に手を当てて眉をハの字にしている紡希の雰囲気は、傍から見れば今晩の献立に悩んでいる主婦のように見える。大の男なのに口を尖らせているのが似合うってどういうことだ。
 
「面を上げよ」

 誰が言葉を発しているのか分からなくて、瞬きを何度も繰り返した。
 さらり、黒髪が床に流れて、シンボラーが顔を上げる。その表情はどこか恍惚としていて、本当に神さまに出会えた人は、こういう感じなのだろうかと思った。

「私は確かに砂漠を統べる王である。今ここに帰還した。けれどね、アタシはもう、この子のものなの」

 私の肩を抱いて、茶目っ気たっぷりにウインクをしているこの人は誰だ。
 シンボラーが崇めているこの人は誰だ。

「紡希という名前をもらってからずっと、アタシは王様じゃなくて、紡希。リサのポケモンなの」

 わたしの肩に、紡希のまっさらな髪が落ちてくる。弾んで、流れて、わたしの身体に沿って落ちていく。
 ゆっくりと立ち上がったシンボラーは、紡希を見てうなずき、2度、大きく手を叩いた。パン、パン、とよく響く音が狭い通路に反射して、奥の方にある通路からたくさんのポケモン達が姿を現した。
 あのとき一緒にトレジャーハンターを撃退して、一緒に遊んだデスカーン達だ。駆け寄ってきたポケモン達は、わたしと紡希の周りに集まっては来たものの、一定の距離を置いてそれ以上近寄ってこようとしない。
 以前わたしたちがやってきたときはそんなことなかったから、きっと彼らも紡希のことを王様だと認識して、遠巻きにしているのだろう。まだ幼いポケモン達も、大きなポケモン達も、誰もが紡希に対して一様に尊敬のまなざしを向けていた。

「みんな、あなた様を心待ちにしとったんじゃけえ、せめて会ってやってほしいんですよ」
「……ええ。分かったわ。さあリサ。アナタはシンボラーちゃんと話してらっしゃい」

 紡希はいつも通りの顔で微笑んだ。肩を押されるがままに、わたしはシンボラーの方へと歩み寄る。少しだけ振り向いて、紡希の様子を見た。紡希はみんなに囲まれて、本来の姿に戻っている。アデクさんのウルガモスよりも幾分か小柄なその身体で、小さなポケモン達のすぐそばまで近づいている。
 ずっと眺めていたい気もしたけれど、その時間は残されていない。後ろから徐々に歓声が聞こえてきたことを嬉しく思いつつ、シンボラーの方へと向き直った。

「久しぶりじゃねえ。そして、ありがとう」
「ううん。王様を奪っちゃってごめんなさい」
「えいんじゃよ。たまーに帰ってきてくれれば、それで」

 きっとシンボラー達は、紡希にずっといてほしいに違いない。紡希は、古代の城で生きているみんなが、ずっとずっと長い間待ち望んでいた王様だ。
 けれど、わたしは紡希を連れていく。紡希がここに残りたいというのならば話は別だけれど、彼はそれを望まなかった。わたしと一緒に行くことを選んだ。わたしも、彼を連れて行くことを望んでいる。
 もう、置いていかない。

「シンボラー、わたし達とっても急いでて、探しているものがあるんだけど」

 うん?と首を傾げて続きを促してくれたシンボラーに、ことの顛末を説明する。りゅうらせいいの塔のこと、伝説のポケモンのこと、紡希が生まれた時のことも、きちんと話した。
 そうしたら、シンボラーは優しいまなざしで、紡希の背中を見やった。小さいポケモン達を頭や背中に乗せてわいわいと騒いでいる紡希は、さっきの垣間見せた威厳や迫力が嘘みたいに、親しみのこもった対応をしているのが見て取れた。

「立派な自慢の王様じゃ」

 あんたがお嫁さんに来てくれたら、お姫様もいることになるんじゃけどねえ、と言ってシンボラーが笑う。目の奥がちょっと笑っていなかったのはわたしの気のせいだと思いたい。

「ダークストーン、いうのは聞いたことがあるけども、ここにはないねえ。じゃけえ、申し訳ないけれど力にはなれんよ」
「ううん。ないって分かっただけでも十分だよ。ありがとう」

 「ない」ことだって情報だ。ここを探して余計な時間を浪費してしまわずに済む。そうと分かれば、チェレンに連絡して、ここから出てしまった方がよさそうだ。
 そう思って端末を取り出したが、電波が入っていないという表示になっていた。地下だから電波が遮断されているんだろう。一度地上に戻ろう。

「シンボラー、ありがとう」
「地上までも迷いそうじゃけえ送っていく」
「よろしくお願いします。……紡希、行こう!」

 あのとき言い出せなかった言葉が、すらりと口から出てきた。
 紡希は振り向いて、再び人の形を取って近づいてくる。おかえり、と言うと、ただいま、と可笑しそうに笑っていた。

「じゃまたね!」
「いい子にしてなさいよ〜!」

 シンボラーを伴って、地下の住人達に別れを告げる。いくつもの黒い手がひょろひょろと伸びて、お見送りのばいばいをしてくれていた。
 何度か角を曲がり、階段を上がり、また何度か角を曲がる。それを繰り返していくにつれて、じんわりと肌に暑さがにじんできた。地上が近い。
 光が四角く切り取られている出口が見えた。ここで最後だ。
 途端に端末が震え出す。チェレンからかと思ったが、そこに表示されていた名前は、カノコタウンのアララギ博士だった。
 
  受話器のマークをタップすると、ライブキャスターのウィンドウににアララギ博士の焦ったような表情が映し出された。

「もしもし!もしもし、リサ!」
「はい、聞こえてます!」
「あっ繋がってる。今すぐシッポウシティの博物館にいらっしゃい!」

 今すぐよ!いい?本当に今すぐよ!と再三念押しして、一方的にアララギ博士は通話を切ってしまったようだった。
 あっけにとられて口を閉じるのを忘れていたら、出口から吹き込んできた砂嵐によって、あっという間に口の中が砂まみれになっていた。うう、ざらざらして気持ち悪い。
 ハンカチやティッシュでどうにかこうにか舌に貼り付いた砂を拭おうと奮闘していたら、シンボラーが本来の姿に戻っていた。

『乗るとええ』

 そう言って羽をぱたぱたさせている。こう言うと失礼かもしれないが、鳥ポケモン達の翼と違って隙間だらけの翼でどうやって飛んでいるのか不思議でしょうがない。けれどシンボラーは砂漠の砂嵐の中、古代の城周辺を見回っているのだから、飛行能力は問題ないのだろう。
 美遥は疲れているだろうし、今はゆっくり準備して背中に乗せてもらうような余裕もない。ありがたくお言葉に甘えることにした。
 
 

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