マアトの羽ばたき‐03 

 地下の構造はうろ覚えだけれど、通る道はどこも見覚えがないと確信できる場所ばかりで、あのとき探検した城の地下は、本当にごく一部分だけだったのだと今更ながらに気付かされた。
 プラズマ団の団員達と流砂をいくつもくぐり抜けた先で、視界が急に開けた。誰かの話し声が聞こえてくる。壁に阻まれているせいで、大人の男の人だということ以上の情報はないけれど、アデクさんかゲーチスだろう。
 そっと琳太を出して、背中に手を添える。琳太が頬を寄せてきたのに手を添えて、立ち上がる。

「リサ、行こう」

 ジャローダを連れて、チェレンが壁の向こう側に飛び出した。後に続くと、緊張した面持ちでゲーチスと対峙しているアデクさんがいた。

「……お前達、こっちに」

 ゲーチスから視線をそらさないまま、アデクさんがわたし達を呼ぶ。小走りで彼の元へと向かい、ゲーチスと向かい合わせになって身構える。愉快そうに、ゲーチスの目が歪められた。何度見ても、この表情は好きになれない。

「おそろいのようですね。しかし、ここに伝説のポケモンを復活させるためのダークストーンはないようです」
「なんだと!?」

 噛みついたチェレンの言葉を無視して、ゲーチスはわたしに向かって話しかけてきた。

「おめでとう、リサ。アナタは我らが王に選ばれました」
「……」

 乾燥のせいか、喉がうまく開かなくて、声が出せない。しかし、わたしの様子をげーちすが気にする様子はない。さっきのチェレンのときといい今といい、彼は自分の意見さえ通すことができればそれで満足のようだ。それを邪魔するものには、きっと容赦しないのだろう。

「アナタがポケモンと共に暮らす世界を望むのなら、伝説のドラゴンポケモンを従え、我らの王と戦いなさい。そうでなければ、プラズマ団は全てのポケモンを人から解き放つでしょう」
「……解き放つ、だと?それを、トレーナーと共にいるポケモンが望んだのか?」

 きっとこの人は、とても強い。ゲーチスの作り出す空気にのまれ、気圧されていたわたしとは違って、自分の世界をしっかりと持っている。低く、芯のある声に励まされたような気がして、いつの間にか下を見ていたわたしは、視線を上げた。
 相変わらず不敵な笑みを浮かべているゲーチスが目の前にいたけれど、先ほどのように身体が強張ってしまうことはない。

「王はアナタのことなど勝って当たり前だとお考えです。長年のパートナーだったポケモンを病で失って以来、イッシュ地方をふらふらしているアナタのことなど、ね」

 アデクさんが、パートナーを。病で。アデクさんの持っていたウルガモスと、わたしの紡希の抱えている病がふと思い出されて、胸が苦しくなった。

「わざわざアナタが無駄なけがをせぬようにという優しさで申し上げているのですよ。……ああ、でも。ワタクシは人の絶望するその瞬間を見るのが大好きでしてね」

 後半の言葉がわたしに向けられていることに気付いてぞっとした。ゲーチスの視線は、確かにわたしの方へと向けられている。琳太が低いうなり声を上げると、それすらもおかしく感じられたのか、いっそうゲーチスは口の端をつり上げた。笑みとも呼べないような、歪な表情に悪寒が走る。

「かわいらしいパートナーをお持ちですね」
「……!」

 何を企んでいるのか知らないが、含みのあるその表情は、わたしの身体を再び身構えさせた。寒いくらいの温度なのに、脈打つ心臓から流れ出す血は沸騰しているかのように熱い。

「また会いましょう」

 ゲーチスが重たいマントを翻す。最後に見た彼の視線は、わたしではなく琳太に注がれていた。その視線を遮りたくて、とっさにわたしは琳太に覆い被さった。なんだかとても嫌な予感がした。具体的にどう、というわけではないけれど漠然とした不安が頭を掠めていったのだ。

『……?』

 琳太の表情はうかがえない。擬人化しているときのように、目が見えるわけではないからだ。目は口ほどに、とはよく言ったもので、人間の時のそれとは違う顔では、目を見る以外にうまく表情が読み取れない。人間のように口周りが柔軟に動く種族ならいいのだけれど、あいにく琳太はそうじゃないからだ。

「琳太、大丈夫?」
『ん』

 わたしが気付かないうちに何かをされていた、というわけではないようで、ひとまず安堵する。
 いつの間にかゲーチスの巨躯は姿を消しており、この場に残されているのはわたし達だけになっていた。

「アデクさん、これからどうするのですか?」
「ふむう……」

 チェレンの問いかけに、アデクさんはうつむく。そして、ややあってから、顔を上げた。迷っているような、悩んでいるような表情をしている。

「わしがポケモンリーグに戻り、Nと戦うしかないな。……だが、ダークストーンを放置するわけにもいくまい」

 アデクさんがNを止められたとして、ダークストーンを放置してしまえば、下手するとそれすらもプラズマ団の手に落ちてしまうことになる。そうなれば、相手は伝説のドラゴンポケモンを2体手に入れることになってしまう。それだけはなんとしてでも避けたい。たとえダークストーンから伝説のポケモンが復活しなかったとしても、こちらの手元にあるのとあちらの手元にあるのとでは大違いだ。

「じゃあ、アデクさんがNを、となると、ダークストーンはわたし達が……?」
「うむ。そういうことになるな」
「ぼく、もう一度ここを探してみる。ゲーチスの言葉なんか、信じたくない」

 確かにチェレンのいうとおり、ゲーチスが本当のこと言っているとは限らない。この奥の方、もっと入り組んだ場所に、ダークストーンが眠っているかもしれない。
 ここはとても複雑で広いから、二手に分かれた方がいいだろう。そう思って、わたしも手分けして探すと提案する。
 うまくシンボラー達と再会できれば、何か情報を握っているかもしれないし手伝ってくれるかもしれない。
 何より、紡希を彼らに会わせたい。きっと彼らは、紡希のことを心待ちにしていたはずだ。病気のことは申し訳なく思うけれど、今はその気持ちの方が強かった。

「わたし、あっちを探すね!」
「分かった!ぼくはこのまま奥を調べる!」

 アデクさんが穴抜けのひもを使って遺跡から出て行くのを見送って、わたしとチェレンは二手に分かれた。
 奥の方は薄暗くて先が見えないけれど、歩いてみるとそうでもない。光源が遮られていそうな場所でも、さして暗さは気にならない。ただ、先ほどから何回か、同じような場所を通っているような気がする。

「はなちゃん、道覚えてる?」
『前、この辺は通ってねえってことは分かる』

 つまり分からないということだ。

 「だよねえ……」

 足を使って探すしかない。
 うまいことシンボラーやデスカーン達に会えたらいいんだけど。
 1度地上に出て、前に入った場所から地下へと潜った方がいいだろうか。
 
「紡希、道分かる……わけないか」
「そうねえ……」

 ひょっこり飛び出してきた紡希は、人の姿を取って開けた場所に立つ。
 タマゴの時、ここにいたから分かるかなあって思って半ば冗談で聞いてみたものの、彼は否と言わなかった。これは期待してもいいのだろうか。

「なんとなく、だけど、どちらが奥の方かは分かるわね」

 アタシ、そこにずっといたわけだし。
 そう言って紡希はわたしの手を取った。エスコートされるがままに歩いて行くと、本当に、どんどん知らない場所へと進んでいく。奥に進むにつれて、なぜだか明るくなってきている。

「リサ、聞こえる?」
「何が?」

 そう言った瞬間、わたしにも聞こえてきた。誰かの足音だ。うっかりチェレンと合流してしまったのだろうか。それとも。



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