マアトの羽ばたき‐02 

 ようやっとリゾートデザートへと向かうことになったのはいいものの、背中に初めて人を乗せた美遥は、どんどんアデクさん達から引き離されていく。もしかして、いやもしかしなくてもわたしが文字通り重荷になっているからか。
 けれど紡希にはあまり負担を掛けたくない。朝の散歩と違って急がなければならないし、距離も遠い。休み休みというわけにもいかないだろう。

「アデクさーん!先に行っててくださーい!」

 分かった、というようにアデクさんが少しこちらを振り向いて、片手を挙げた。途端にウルガモスの飛行速度が加速していき、あっという間に彼らの姿は見えなくなってしまった。今までもこちらの様子をうかがって、わざわざ遅い速度で飛んでくれていたのだと分かり、申し訳なさが募る。

「美遥、安全運転でね!」
『任せとけ、だぞ!』

 美遥のマイペースなところが幸いしているのか、彼は特に焦ることもなく、今まで通り、ていねいに羽ばたき続けた。疲れている様子もないし、少し遅れてしまうけれど、問題なくリゾートデザートには到着できそうだ。
 そういえば、チェレンはどこに行ったのだろう。先に行っててくれということは、どこか寄る場所があったのだろうか。

 美遥の飛行速度は決して遅いわけではない、と思う。他の人と比べたことがないから分からないけれど、眼下に広がる景色は次々と新しいものに塗り替えられているし、目を細めてみると、地平線の彼方にうっすらと砂漠の砂の色が広がり始めているのが見える。
 エスパータイプのポケモンの中には、テレポートを使って一瞬で別の場所まで移動することのできるものもいるらしいけれど、それではこの風を切って進む感覚を味わうことはできないだろう。
 ……普通の高校生だったあの頃からしてみれば、想像もつかないような状況だなあ。校門から勢いよく自転車で坂道を下っていくあの感覚とはまた違うスピード感。
 あのときは自転車で行ける家と学校の周りだけがわたしの世界の全てで、街を飛び出して旅に出て、屋根のないところにテントを張って過ごすことだなんて想像もしていなかった。テレビでたまに特集を組んでいる、大陸を自転車で縦断する人や、大海原をヨットで渡りきる人達みたいに旅をするのが、当たり前の世界に来てしまうだなんて。
 いきなり旅に出る決心ができたことも、よくよく考えてみれば、以前のわたしではあり得なかったことだと思う。わたしに流れているこの世界の血が、そうさせたのだろうか。

 だんだんと頬に当たる風が生ぬるくなってきた。
 ついさっきまで寒い街にいたからすっかり忘れていたけれど、リゾートデザートはとても暑い。マフラーもコートも身につけている場合ではない。今すぐ脱ぎ捨てたくなってしまったが、空中でそんなことをするのは自殺行為に等しい。
 仕方ないが、買ったばかりの冬物を砂まみれにしながら着替えるしかない。

 美遥の降りるぞお、というかけ声と共に、ぐんと高度が下がった。着陸態勢に入ったようだ。
 首の付け根にしっかりと捕まり、態勢を低くする。着地の反動でおでこを思い切り美遥の背中にぶつけてしまったけれど、歯を食いしばっていたおかげで、舌を噛むことだけは免れられたから良しとしよう。初めての長距離飛行だったから許してほしい。
 誰に対しての言い訳なのかも分からないことを心の内で呟きながら、美遥にお礼を言ってボールに戻ってもらう。

 視界が悪いから砂漠の端の方に着地したのだが、周囲には奇妙なかたちの像がいくつも置かれていた。青緑色をしただるまのように丸い像で、わたしの身長くらいの大きさがある。等間隔で並んでいるということもなく、適当に設置されている。あえてばらばらに設置したのか、それとも、どこかからか運んできたのか。以前のトレジャーハンターの件を思い出す。後者もあり得なくはない。

 コートをはたいてバッグの中にしまいつつ、周りをよくよく見てみると、象の群れの中に紛れて、下に続く階段を発見した。地下は迷宮のように複雑だから、この階段の下は、もしかすると城の跡地まで繋がっているかもしれない。

 そう思って階段へと足を向けたとき、背後からチェレンの声が聞こえてきた。砂嵐がノイズのように邪魔をしているが、間違いない。

「ストップ、リサ!」

 よかった、追いつけて。そう言って肩で息をしているチェレンの額には、たくさんの汗がにじんでいた。眼鏡には細かい砂がたくさんついていて、曇りガラスのようになっていた。

「大丈夫?」
「ああ、なんとか。リゾートデザートのポケモンに意外と手間取ってしまったけれど……僕のポケモン達のおかげで、ここまで来られたよ」

 目に見える疲労度の割に、穏やかな表情をしている。彼の視線は、腰についたモンスターボール達に向けられていた。急にチェレンが大人びたように見えて、ちょっと驚いた。いつもいつも鋭く尖って、ひたむきに強さを求めていた彼の姿が、もう昔のことになってしまったみたいだ。

「よし、行こう」
「うん」

 チェレンの息が整うのを少し待ってから、今度こそ階段を下った。下に降りてしまった方が涼しいし、砂まみれになることもない。
 玉のように浮かんでいた汗が、すっと引いていくのを感じる。
 しかし、階段を降りた先で見た光景によって、今度は冷や汗が吹き出した。
 頭の上に乗せるだけの帽子を被り、ゆったりとしたローブを身にまとう白髪まじりのの男。彼は確か、プラズマ団の仲間ではなかったか。

「ゲーチス様は言われた」

 まっすぐとわたしに歩み寄ってきたその両手には、何も握られていない。彼自身が戦うつもりはない、ということだろうか。チェレンが警戒してモンスターボールを構えたが、それにすら意に介することなく言葉を紡いでいる。

「お前の実力がどれほどか、確かめよ、と」

 ヤグルマの森や冷凍倉庫で震えていた七賢人の顔がおぼろげでよく思い出せないが、わたしとこの七賢人はここで会うのが初めてなのだろう。品定めをするような目つきで見られているのはいい気分ではない。
 攻撃を仕掛けてくるのではないと分かれば、さっさと先に進んでしまう方がいいだろう。

「チェレン、行こう!」
「放っておいていいのか?」
「多分!それより急がないと!」

 アデクさんはとっくの昔に到着しているはずだ。早く追いつかなければ。
 駆け出したわたしとチェレンの前に、プラズマ団の団員達が立ち塞がる。なるほど、実力を確かめる、とはこういうことか。こちらが真剣に急いでいるというのに、それすらも試すようなゲーチスの思惑は全く理解できないけれど、団員まで無視して追い掛けてこられるのも面倒だ。

「リサ、やるよ」
「うん!」

 今度こそ、空中へとボールを放り投げる。
 琳太と、チェレンのジャローダが並び、口を開く。

「りゅうのはどう!」
「リーフストーム!」

 青白い光線の周りを包み込むようにして、鋭い緑色の破片が渦を巻く。
 プラズマ団のポケモン達は、あっけなく壁にたたきつけられてしまった。勢いに驚いたプラズマ団の団員達は、腰を抜かしている。
 悔しそうな表情をしている彼らに構っている暇はない。

『リサ、リサ!おれ、がんばった!』
「うん、ありがと。チェレン、急ごう」
「ああ」

 足下に駆け寄ってきた琳太をボールに戻して、流砂の中へと飛び込む。
 まだ琳太が何か言いたげにしていたような気がするけれど、急いでいたわたしはそれを聞こうとしなかった。聞く余裕がなかった。
 ……後から振り返ってみれば、無理矢理にでも立ち止まるべきだったと思う。

 

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