マアトの羽ばたき‐01 

 ハチクさんと昨日約束したとおり、セッカジムへとやってきた。
 何の件かは言われなかったので、てっきり励ましの言葉とか、餞別だとか、そういうものだと思っていたのだが、そういったわたしの予想を遙かに裏切るようなものを、ハチクさんは差し出してきた。
 それは、きらきらと新雪のように輝くバッジ。セッカジムを突破し、ジムリーダーに認められたものにのみ与えられるそれだった。

「あの、私、まだハチクさんに挑戦してないのに、そんな」
「ジムリーダーに勝つことが条件ではないからね。あくまでも、ジムリーダーに”認められる”ことが条件なのだから、キミには受け取る権利がある」

 とはいえ、相当まれなケースであることには違いない。
 なんだか悪いなあと思いつつも、外気ですっかり氷のように冷たくなってしまっているバッジを受け取り、そっとバッジケースにしまうのだった。
 これで、残る空白はあとひとつ。ここが埋まれば、わたしはチャンピオンロードに挑むことができる。そうすれば。
 ・・・・・・そうすれば、どうなるのだろう。

「リサ、そろそろ時間だ」
「あっうん!」

 はなちゃんに急かされて、現実へと引き戻された。
 バッジを手に入れたことによる物思いにふけっているらしいと思われたのだろうか、ハチクさんは「気を抜くなよ」と激励してくれた。
 ありがたい言葉にうなずいて、頭を下げる。ポケモンセンターに戻ると、目立つオレンジ色の髪の人が、わたしの姿を認めて手を上げた。

「おお、来たか。それでは行くとするか!」

 てっきりチェレンがいると思ったのだが、彼の姿はなかった。現地集合の予定で先に行っておいてほしいとアデクさんに頼んだ後、どこかへ行ってしまったらしい。
 ライブスキャナーを見ると、チェレンからの着信がひとつと、「先に行っててくれ」というタイトルだけのメールが1通来ていた。わたしが紡希と出かけている間に電話が来ていたようだ。

「頼んだぞ、ウルガモス」

 アデクさんがモンスターボールを放り投げると、紡希とは別個体のウルガモスが姿を現した。紡希よりも一回り大きい。どこが、とはうまく言えないけれど、同じ種族でもなんとなく違う気がして、きっと同じ大きさだとしても見分けがつくと思えた。
 一応、ウルガモスは珍しいポケモンのはずだ。でもまあ、チャンピオンになるぐらいの人なのだから、珍しいポケモンを連れていても不思議ではない。

「ハチクから聞いたんだが、あんたもウルガモスを持っとるそうだな!」

 そう言ったアデクさんの表情は興味津々で、少年のような無邪気さが垣間見えた。ずいずいっと近づいてきた強面な顔にややたじろぎつつ、ええ、と返す。髪の毛もボリュームも相まって、視界いっぱいいっぱいアデクさんで埋め尽くされそうだ。

「美遥にするのか?」
「おわっ!う、うん、そのつもり」

 新品ふかふかのマフラーを後ろからはなちゃんがぐいっと引っ張る。その力でぽすん、とはなちゃんの胸に、わたしの後頭部がぶつかるかたちでおさまった。

「おお、すまんすまん!まだうら若き少女だというのに」

 ポケモンの、それも、好きなポケモンのこととなるとついつい節度がなくなってしまうな、と言ってアデクさんは破顔した。どうやらわたしが驚いて後ろへと飛び退いたように見えていたらしい。

「リゾートデザートの場所は分かるか?」
「はい、大丈夫です!」

 美遥にとってはあまり行きたくない場所なのかもしれないとも思ったけれど、ボールから飛び出してきた彼は、わたしを乗せて初めて長距離飛行ができることにはしゃいでいて、行き先や、そこで起きたことについては、さして気にならないようだった。

「それならば大丈夫だな!では行くとするか!」

 ウルガモスが、アデクさんを6本の脚で抱えた。そしてジェットコースターのセーフティのように、アデクさんもその脚を掴む。あ、そういう飛び方もあるんだ。足が宙ぶらりんの状態になるのは結構怖かったから、わたしは背中に乗せてもらう方がいいかな。はなちゃんには戻ってもらって、美遥のボールを取り出した。

『リサ、どうやって乗る?』
「うん、背中に、と思ってたんだけど……」
『わかった!ちょっと待ってて!』

 言うなり美遥はどこかへと駆け出した。鳥のくせにその足の速さは何だ、と思わず突っ込まずにはいられないくらいに速い。そのまま見えなくなるくらいまで小さくなったかと思うと、走って行ったときの倍ぐらいの速度で地面ぎりぎりを滑空して突っ込んでくる。

『リサ!今!今乗って!』
「え?」

 ばびゅん、という効果音がぴったりの速度で、美遥はわたしのすぐそばを飛んでいった。そして舞い上がり、旋回して再び低空飛行を始める。またこちらへと飛んできた。

『いーまー!のってー!!』

 ドップラー効果で美遥の声が上下していくのを聞いているのがやっとだ。わたしの髪の毛は、美遥の起こした竜巻のような旋風に好き放題弄ばれている。ぐっしゃぐしゃだ。せっかく紡希がセットしてくれたのに。

 あまりにも埒があかない上に、美遥のやりたいことがいまいち分からないので、手を振って止まるように合図した。
 超高速で滑空している美遥の背中に飛び乗るって。わたしはポケモンじゃないんだから。どう考えても無理に決まっている。
 三度目の低空飛行を試みていた美遥は、速度を落としてわたしの目の前へと着陸する。

『もうちょっとゆっくり飛んだ方がいい?』
「いや、多分そういう問題じゃないと思う」

 わたし達があまりにも上がってこないことを心配したのか、上空で待機していたアデクさん達が降りてきた。申し訳ない。

「背中に乗せてもらおうと思ったんですけど、どうやら飛び乗ってほしいみたいで……」

 それを聞いたアデクさんは大声で笑い出した。何がおかしいんだろう。いや、さっきのやりとりを上から見ていたんだから滑稽に思ってのことかもしれない。

「アーケオスっていうのはな、助走がないと飛べんのだよ」

 言われて始めて気付いたことだが、美遥をボールから出すとき、いつもそのまま空中へと飛び出していたから、飛び始める姿を見たことがない。だからさっきは走っていたのか。

「つまり、わたしを背中に乗せた状態で走って飛び上がるのは無理だから、飛んでから乗ってもらおうと……」
「そうなるな」
「う、う〜ん」

 これはアデクさんと同じくように空中散歩するしかなさそうだ。
 そう思っていたわたしの肩が、何者かにがっしりと掴まれる。

「え!?なに!?」
「よし、ウルガモス、頼んだぞ」

 視界の端にオレンジ色の羽の羽ばたきが見える。アデクさんのウルガモスだ。

「よーしアーケオス、うまくリサを乗っけてやれ」
『おー!おっさん頭いいんだなあ!』

 感嘆符を飛ばした美遥は、またダダダダと地面を蹴って飛び上がる。そうしている間にも、ウルガモスはわたしを空中へと吊るし上げていく。ああ、また足下がふらついていく……地面が恋しい。

『リサー!』
「美遥?」

 美遥が色鮮やかな羽を器用に使い、ウルガモスに吊るされているわたしの真下までやってきた。ホバリングしている美遥が、長い首を捻って、わたしを見る。

『うーん、もうちょっと上……ここ!今!』
「う、うんっ」

 わたしのつま先が美遥の背中に触れた瞬間、ウルガモスがわたしの肩を離した。重力に従って、わたしの身体はすとん、と美遥の背中へと収まった。落ちる瞬間は肝が冷えたが、受け取るために美遥が少しだけ上昇してくれたのもあって、さほど恐怖心はない。

『どう?うまくいった?』
「美遥〜ありがとう〜!」
『えっへへへ』

 首筋をやや荒めに撫でると、満足げな声が聞こえてくる。軽々しく背中に乗りたいだなんて言ってしまったせいで、美遥には手間を掛けさせてしまった。
 大丈夫かー、と再びウルガモスに回収されたアデクさんが目の前に現れた。

「お手数おかけしました!もう大丈夫です!」
「よしよし!ならば行くぞ!」

 風に負けないよう、手でメガホンを作って声を張る。豪快な笑い声を響かせたアデクさんの顔に、会議の時のような真面目な表情が浮かんだ。一瞬で塗り替えられた表情に、身体がきゅっと引き締まる。
 遊びに行くのではない。それが痛いくらいに感じられて、ああ、寒いなと思った。
 
 

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