回転木馬の逃避行‐06 

 ジョーイさんが部屋を出ていってから、ウルガモスがまあまあ座って、と丸椅子を指さしたので、それを引きずりながら、ウルガモスのすぐそばに腰かけた。

「リサ、火傷は?もう痛くないの?」
「……うん」

 今のわたしは、恨みがましい顔になっていただろうか。何か言いたげなわたしの顔を見て、ウルガモスが眉尻を下げて笑う。
 火傷も擦り傷も、とっくの昔に治っている。チェレンたちからは、あの現場にいたにしてはけがが少なくてよかった、なんて言われたけれど、実際それなりにけがはしていたと、思う。ただ、すぐに治ってしまっただけの話だ。それにももう、慣れてしまった。

「あのね、リサはとても辛くて苦しいと思うけれど、アタシ、後悔なんかしてないわよ」

 きっぱりと言い切ったウルガモスの瞳は、強かった。少しくすんだ明るい色の奥に、固い意思が伺える。もしかしたら、陽の光にあふれた場所でこの人の瞳が見れたなら。きっと、抜けるような青空みたいに、どこまでも透き通った色をしているのだろうと思った。

「きっとあなたは優しいから、アタシがこんなになっちゃったら心配すると思ったけど、そんなこと言ってらんないじゃない?あそこで死んじゃっても悔いはなかったわよ。生きてるけど」

 そう言ってからからと笑うものだから。またわたしは泣いてしまった。

「ちょ、ちょっと、今の泣くところ!?」
「うー……ウルガモスのばか……!」

 ぼたぼたと馬鹿みたいに大きな雫が膝を濡らす。伸ばされた手、黒い手袋が汚れてしまうのも厭わずに、ウルガモスがそっとわたしの頬をなでた。

「あなたはもう十分、頑張ってきたわ。アタシ、ずっと見てたんだから」

 ウルガモスの言葉一つ一つが、心にじんわりとしみていく。
 いつの間にかわたしは、ウルガモスの胸にすがって、声を上げて泣いていた。
 怖かった。痛かった。死んでしまうと思った。……それから、助けてくれて、本当に嬉しかった。奇跡が起きたのだと思った。

「まさしく奇跡だと、アタシは思うわ。だって、こうしてあなたに触れられる。それに、これからも、アタシを色んなところに連れて行ってくれるんでしょ?」
「うん、うん!一緒に行こう……!」

 ウルガモスはわたしのことを、命を賭して守ってくれた。あの爆発的な炎のエネルギーを吸収して、希望を紡ぎ出した。それがどれほどの僥倖であることか。
 ただただ、無事に生まれてきてくれることを願っていたわたしとしては、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったけれど、ウルガモス自身が望んでこの世に生まれたその意思を尊重することこそが、彼に対する祝福なのだろう。

「あのね、ちょっと思ったんだけど」
「何かしら?」
「なんで雄なのにその話し方なのかなって……言いたくないならいいけど……」

 正直、肺が弱いだとか、満足にバトルができないだとか、そういうことよりもよっぽど聞きづらいことだったが、聞かないままでは今ひとつ釈然としなかったので、この際聞いてしまおうと思っていた。
 図鑑で確認した性別と、話し言葉が、どうにも一致しないのだ。

 わたしの質問を受けて、ウルガモスはまたからからと笑う。貴無為とのようにまっすぐな髪の毛が、さらりと彼の身体に合わせて揺れる。

「だってこのパーティ、むさ苦しいじゃない?」
「そ、それだけ……?」
「?ええ、そうだけど」

 むさ苦しさを減じるために、その口調だというのか。確かに、気がつけばわたし以外に女の子が一人もいない状態にはなってしまっていたけれど。

「女の子として生まれられたらよかったんだけどねえ。こればっかりは無理だったから、せめてそれらしく振る舞おうかしらと思って!」

 これも、彼なりの気遣いなのだろう。生まれたばかりだというのに、すっかり彼はこのパーティのことを把握していて、泣き虫なわたしのことも、きっと、よく知っている。
 殻を破るよりもずっとずっと前から、彼はわたし達と一緒に旅をしてきたのだから。

「あのね、名前考えたいんだけど、」
「あら!楽しみにしてるから!」
「う、うん、明日の朝までには決めたいなーって」

 食い気味に言われて、若干腰が引けた。丸椅子に背もたれがないことを思い出して、すぐに思いとどまったけど。
 目をきらきらと輝かせて、ウルガモスはわたしの手を取る。
 どんな名前がいいかなあ。まだまだ生まれるのは先の話だと思っていたから、名前はゆっくり考えようと思っていたのだ。まあ、生まれてこないと分からないこともあるし、前もって考えていたものが採用されないこともあるとは思うけれど、心の準備の問題があるでしょ。
 
 心の中で言い訳をしつつ、先ほどからずっと揺れているボールを見やる。ウルガモスに断りを入れてから手を離してもらい、ボールの開閉スイッチを押した。一斉にみんなが飛び出してくる。

「またずいぶん変なのが仲間になったな……」

 はなちゃんのストレートな物言いにも、ウルガモスはどこ吹く風だ。

「あら、もっと可愛らしい子供が出てきてくれると思った?ざーんねん。言っておくけどアタシ、ここにいる誰よりも年上よ?」
「えー、さっき生まれてきたばっかりなのに変だぞお?」
「タマゴだからって、意識がないわけじゃないもの。ちゃんと聞いてたし、感じていたわよ。あの城の中の出来事も、あなたたちがわたしを守ってくれたことも」
「どれくらい前のことまで、覚えてるの?」
「うーん……」
 
 口に手をあてがって思案顔のまま、ウルガモスは言う。

「ざっとここ3,40年ぐらいの記憶ならあるけれど……」
「そんなに!?」

 あっけにとられてはなちゃんたちの方を見ると、彼らも同じように驚いていた。
 ポケモンのタマゴって、生まれるまでにそんなに時間がかかるものだっけ、と思ったけれど、普通はそうではないのだろう。育て屋にいたはなちゃんがびっくりしてるぐらいだし。

「あの城、暗くて静かじゃない?なんかこう、いまひとつ気が進まなかったのよねえ……」

 タマゴから生まれるのに気が進むも進まないもないだろう。多分みんなそう思っていたけれど、誰も突っ込まなかった。
 タマゴは元気なポケモンと一緒に連れ歩くと孵ると聞いていたから、きっと、あの城ではそういう機会に恵まれなかったのだろう。シンボラーたちが悪いのではない。彼らはウルガモスのことを特別視しているようだったし、奥の人目につかないような部屋で大切に見守っていたのだろう。

「あのむさ苦しくて汚い感じのするおっさんから助けてもらったとき、ああ、この子だ、って思ったのよ」

 そういえば、シンボラーが言っていた。シンボラーも生まれる前から動いたことがなかったタマゴだったのに、わたしが触れた途端、動いた。だから、わたしは選ばれたのだと。

「あーそういやそんなこともあったな」
「ほんと嫌だったんだから!あのとき生まれられる状態だったらギッタンギッタンにしてたわよ!」
「ぎ、ぎったんぎったん……」

 憤慨するウルガモスに対して、九十九が若干引いている。そんな顔もできたんだって思うくらいには、なんともいえない表情だ。



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