回転木馬の逃避行‐04 

 ポケモンセンターに戻る途中、ベルと繋いでいる方とは反対側の手を誰かに握られて、それが見たこともない人だったせいで、わたしは固まってしまった。
 雪のような白髪はさらりと腰の長さまである。耳の横だけメッシュが入っているのか、一房ずつ黒髪になっていた。華奢な体つきをしているけれど、わたしの手を握るそれは、黒い手袋越しでも手のひらの厚みを感じられる。

 さっきまでどこにもいなかったはずなのに、突然姿を見せたその人は、真っ白なまつげに縁取られた瞳を細めて、わたしに微笑みかける。この人の瞳の色、なんて言うんだっけ。水色よりは緑がかっていて、緑と言うには水色に近い。

「出てくるのが遅くなっちゃってごめんなさいね。これでも急いだ方なのだけれど」

 えっと、そう、かめのぞき。瓶覗だ。不思議な名前だったから、なんとなく頭の中に残っていた。空色よりはちょっとくすんだ感じの、落ち着いた色合い。

「あ、あの……」

 何を言われているのかさっぱり分からず、うまい言葉が見つからない。手を握られていることに対する恥ずかしさや不快感はないのだけれど、困惑だけが拭えない。
 この人、誰なんだろう。
 見上げたその人の頭頂部で、オレンジ色のリボンが揺れていた。頭に巻かれたバンダナが、冷たい風にはためく。

 ……夕焼けみたいな色がはためいて、粉雪のように火の粉が舞い散る。

「あ、あの!もしかして、塔の頂上で助けてくれた……」
「ええそうよ!本当に、間に合ってよかったわ」

 愛おしげに細められた目は、よく見ると瞳の形が十文字だ。それは、この人が人間ではないことを証明していた。

「リサ、その人、お友達?」
「違う……というか、よく分からない……」

 反対側から声をかけてきたベルが、え?と首をかしげる。そう言いたいのはこちらも同じだ。

「えっ。ちょ、ちょっと!何してるの!?」

 突然手を放されたかと思うと、何の断りもなくショルダーバッグを漁られた。取り出されたのは、空っぽになった孵卵器。空っぽ。シンボラーさんから受け取って、そこに入れてから、ずっとずっといつも一緒にいたタマゴ。綺麗な人が、孵卵器を頬に寄せ、うふふ、と微笑むものだから、状況を理解した瞬間、ぼろぼろと涙がこぼれてきてしまった。

「本当はもっと時間がかかるはずだったんだけれど、そうも言ってられなかったし、あんまりにもすごい炎と熱量だったから、利用させてもらっちゃったわ……って、リサ、聞いてる?」
「うん、うんっ!きいてる……!!」

 ベルに負けないぐらい、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったわたしの顔を見て、その人が困ったように眉尻を下げる。いつのまにかベルと繋いでいた手も離れていて、ふわふわのハンドタオルが頬にあてがわれた。

「まあ、そういうわけで、アタシも今日からあなたの仲間よ、リサ」

 ぱちんと、とウインクをしたその人は、孵卵器と入れ替わりに空っぽのモンスターボールを取り出して、わたしの前に跪く。そして、わたしの手を取り、それを優しく握らせた。黒い手袋が離されるのと同時、モンスターボールがかぱりと開き、白髪の人はその中へと吸い込まれていった。

「今の人、ポケモンだったんだねえ」
「うん、ずっと持ってたタマゴが生まれたみたい」
「そっか!よかったねえ!……ところで、あの人って男の人?それとも女の人?」
「え!?……言われてみれば……確かに……どっちだろう?」

 ポケモンには性別が存在しない種族もいるらしいし、もしかするとあの人もその類いなのかもしれない。そう思って図鑑を開いてみると、すでにデータが登録されていた。

「うる、がもす……」

 それが、蛾のようなポケモンの名前だった。タイプは虫と、それから、炎。図鑑を見るまでは「利用させてもらった」という意味が今ひとつ分からなかったけれど、レシラムの炎がエネルギーになったのかもしれない。
 データを見たところ、どうやら雄であるらしいということは分かった。でも、あの口調といい立ち居振る舞いといい、どことなく女性を彷彿とさせる。もしかしてどっちつかずの不完全な状態で生まれてしまったのだろうか。あとでジョーイさんにちゃんと診てもらおう。

「おーい、ベル、リサ」
「すぐ行く!」

 ウルガモスと話している間に、すっかりチェレンたちから遅れてしまっていた。すると、彼の後ろにさっきまではいなかった人がいて、こちらを見ていることに気がついた。
 雑誌で見たことがある。あの人は確か、このイッシュ地方のチャンピオンの。オレンジ色の豊かな髪の毛をわっさわっさと揺らし、鋭い眼光でわたしを見据えている。
 その迫力に、急ごうと思っていた足が急に震えた。獲物を狩るような目つきが怖くて、足がすくんだのだ。チャンピオンともなると、こうもオーラを持っているものなのだろうか。

「アデク。リサくんが怖がっておるぞ」
「これは失礼。あまりに深刻な事態なのでな。つい険しい顔になってしまった」

 アララギさんとアデクさんは旧知の仲なのか、空気はピリピリしているものの、軽い口調で会話している。アデクさんも騒ぎを聞いて駆けつけ、リュウラセンの塔での出来事を見聞きしていたのだという。

 本当はウルガモスともっとたくさん話したい気持ちがあるのだけれども、そうも言っていられないようだ。
 
 ポケモンセンターに戻って、各々がポケモンを預けたのを確認したハチクさんが、ジョーイさんから何かを受け取っていた。

「あまり表立ってできる話ではないだろうから、部屋を借りた」

 ポケモンセンターには、宿泊施設のほかに、会議室のようなものもある。入ってみると、長テーブルの周りにいくつかのパイプ椅子が置かれていて、堅苦しい会議が始まりそうな雰囲気をしていた。
 それもベルの「わあ、えらい人たちがお話しするところみたい!」というのほほんとした言葉で消し飛んでしまい、少々和やかな空気になった。

 アデクさんが議長のように、一番奥の椅子に腰掛けた。続いてそれぞれ適当に椅子を引き、冷たいパイプ椅子に体重を預けていく。

 まずは塔の中の出来事を直接目撃したわたし、チェレン、それからハチクさんが、ことのあらましを説明した。

「塔から放たれた、あのすさまじい火柱……。確か神話では、レシラムは炎を吹き上げ、もう1匹のポケモンと共に、昔のイッシュを一瞬にして荒れ果てさせた……。」
「しかも、レシラムを復活させたNというプラズマ団のボスは、もう1匹のゼクロムを探すよう言っていたらしい」

 腕組みをして難しい顔をしているアデクさんに、アララギさんが言葉を返す。その隣に座っているチェレンは、アララギさんの言葉にうなずきながら、口元に手を当てて、何やら考え込んでいるようだった。

「へっ、……へっ?」

 重苦しい雰囲気のさなかに、素っ頓狂なベルの声が響く。

「そんなすごすぎるポケモンを復活させるのって、危ないんじゃ……?」

 にわかにアデクさんの表情が柔らかくなった。かわいがっている娘や孫を前にしたかのような、優しい顔だ。こんな表情もできたんだ。

「お嬢さん、君は優しいんだな。……だが、」

 ほかのポケモンでは対抗できるかどうか分からん。
 続けられたその言葉に、わたしは無意識のうちにうなずいていた。
 あの圧倒的な力を前にしてしまっては、ポケモンですら、ちっぽけで無力な存在に思えてならない。 



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