回転木馬の逃避行‐01 

 塔の内部は灯りもないのに明るくて、口の字型のエントランスの中心には、透明で澄み渡るような青さをたたえた水が、波ひとつ立てずにたたずんでいた。鏡のようで、覗き込めばきっと、自分の顔に見つめ返されるのだろう。
けれど、そんなことをしている場合ではない。深緑色のタイルの上を、かつかつと鳴らして小走りに進む。先に行ってしまったチェレン御後ろ姿はすでにない。奥の方に階段が見えるから、もう上の方まで行ってしまったのだろう。

「琳太、ちょっといい?」
『ん!』

 いつプラズマ団が奇襲を仕掛けてくるか分からない。用心のために、琳太をボールから出して、並走してもらうことにした。
 はなちゃんは蹄の音が大きく響いてしまうだろうし、九十九は体が大きすぎる。美遥を肩に乗せるという手も考えたけれど、もうそんな大きさではないから、走れなくなってしまうだろう。屋内ではせっかくの飛翔能力も満足に発揮できないだろうし。

 そういうわけで、琳太にボディーガードをお願いする次第である。
琳太は任されたことが嬉しいのか、心なしか弾んだ歩調でわたしの横を歩いている。

 階段の前にやってきたところで、ぐらぐらと視界が揺れた。党全体が揺れているが、地震の時の揺れとは違う気がした。

「塔の上の方から……?」

 口に出してみて、しっくり来た。そうだ。塔の上部から、揺れは伝わってきているように感じた。琳太を抱きしめ、姿勢を低くしてじっと息をつめて、揺れが収まるのを待つ。耳をすませば、何かが大きなものが軋むような音も聞こえてきた。

『ん〜』

 揺れが収まったころ、苦しかったのか、琳太が腕の中でもがいた。
ぱっと離すと、琳太は小型犬のように体をぷるぷると震わせた。

 1歩、2歩、慎重に足を動かすと、しっかりとした地面の感覚が、足裏から伝わってきた。よし、進もう。

 階段を上ると、そのフロアは下の階よりもやや薄暗かった。
それに、とてもほこりっぽい空気だ。倒壊した柱が無造作に倒れているさまは、 巨人が積み木を散らかしていったかのようだった。上に続く階段を探すが、見当たらない。それどころか、倒壊した柱が視界を遮っていて、どちらに進んだらいいのかもわからない。

「琳太、誰かいそう?」

 琳太に他の人の気配がしないかと尋ねると、首を横に振っている。琳太はあまり目がよくないし、視界も狭い。ここは美遥に頼んだ方がよさそうだ。

「……美遥、偵察お願いできる?」
『いいぞお!』

 ボールから勢いよく飛び出した美遥が舞い上がると、より一層ほこりっぽさが増して、わたしはげほげほと咳き込んだ。涙目になりながら、口元を霊界の布で覆う。

 しばらくしてから帰ってきた美遥が、わたしの両肩を、そのたくましい足でがっしりと掴んだ。
 わしづかみにされてはいるものの、気を遣ってくれているのか、鋭い爪が食い込むことはなかった。
 反射的に美遥の足首を掴むと、内臓が持ち上げられるような浮遊感がやってきた。足が、床から離れる。

「ええええええ!?」
『誘導しづらいから連れていくぞお』

 そのままUFOキャッチャーのぬいぐるみのように、わたしはしばし宙を漂った。ぷらぷらと揺れる足がとても不安定で、思わず美遥の足を掴む手に、力がこもる。
 着地地点は確かに美遥の言うとおり、わたしの足でたどりつくには少々手間取りそうなポイントだった。

 わたしが降ろされるのとほぼ同時、目の前を黒い塊が落ちていく。ゴムまりのように弾んで、わたしを見上げる。琳太だ。いつのまにか、美遥の背中の上に乗っていたらしい。
 美遥にお礼を言って、再びボールに戻ってもらおうとしたが、思い直す。次のフロアも今の部屋のような有様ならば、また美遥の力を借りることになるだろうと思ったからだ。

 ぽっかりとあいた入口に向かおうとすると、琳太が毛を逆立てて唸った。
とっさに身体が硬直する。

 そっと耳を澄ませると、争っているような声と、何かが激しくぶつかり合っているような音がした。
この向こうで、誰かと誰か、あるいはもっとたくさんの人が、戦っている。

 身構えながら足を運ぶ。
 開けた視界の先では、たくさんのプラズマ団員たちが、チェレンやハチクさんの妨害をしているようだった。ぐるりと上下左右を見渡して、空間全体を視界に納める。

 白熊のような、とても大きなポケモンが、ハチクさんの指示を行けて勢いよく飛び出す。その勢いで、ミネズミが2体、部屋の隅っこの方まで弾き飛ばされていった。
 乱戦状態で、どう加勢したらいいのかわからずうろたえていると、わたしがやってきたことに気付いたハチクさんが、視線をプラズマ団の方に向けたまま、わたしに声を掛けてきた。

「リサくん!きみがこの先に進むんだ!」
「っわ、かりました!」

 良く通る声で、わたしに進めとハチクさんは言った。彼の後ろをすり抜けて、チェレンの横を駆け抜ける。
 わたしが上の階に行こうとするのを邪魔しようとしたプラズマ団のワルビルは、ジャローダの尻尾によって地面にたたきつけられた。

 こんなにプラズマ団がいるなんて、メンドーだな。そう言いつつも、チェレンはわたしに一瞬だけ視線を寄越した。進め、ということだろう。うなずく時間も惜しくて、わたしは思い切り地面を蹴った。

 煙と砂塵と氷の破片、それから怒号の間を走り抜ける。

「琳太、ちょっと戻って!……美遥!」
『りょーかいしたぞお!』

 手を伸ばせば、わたしの意図を理解したのか、美遥は再び私の肩を掴んだ。
先ほどのまったりとした空中散歩とはうってかわり、ぐんぐん高度を上げていく。

 タワーオブヘブンのように螺旋状の階段になったこのフロアは、空さえ飛べればどんどん上に昇っていける。
 美遥にぶら下がって、その羽ばたきを聞いているうちに、再び轟音が鳴り響いた。今度のは、塔が軋むような音と、何かが吠える音。上の方で、何かが激しく暴れているのが容易に想像できた。それが神さまなのか、伝説のポケモンなのかは分からないけれど、何かとても大きな、わたしなんて指先ひとつで捻り潰してしまえるような、圧倒的な質量をもつ存在がいるということは分かった。

 一直線に天辺を目指し、いくつかのフロアを飛び越えていく。驚いたような顔をしているプラズマ団たちを視認したかと思えば、次のフロアへ。そうやっているうちに、何かの咆哮が、どんどん大きくなっていることに気付いた。頂上に近づいているのだ。

『リサ、もうすぐ!』
「わかった!次で止まって!」

 声が塔の壁に反響しているひと呼吸の間に、美遥はわたしを着地させた。
 一気に頂上まで飛んでいくのはためらわれた。空中では戦うことも、身を守ることも難しい。ここからは、自分の足で進んでいこう。



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