泣いたラプンツェル‐06 

冷たくなったココアは、苦みの方が強いくらいだった。けれどその苦さが、かすかな甘さの中でほどけてゆくのが心地よい。

「人間みたいに接するのって、間違ってたのかな」
「そんなこと、ないよ。少なくとも、ぼくはそう思う。ぼくだって、今こうして話していても、ぼくの考えが全部リサさんに伝わってるとは思わない。けれど、言葉にも思いにも、嘘偽りはないよ」
「今まで通りで、大丈夫……?」
「うん。だって貴女はポケモンじゃないんだから。リサさんは、リサさんなんだから。貴女が思うように受け取ってほしい。僕たちがそれに応えられるかどうかは分からないけれど、そこはお互い様ってことで、僕たちもリサさんも納得出来るような、僅かにでも分かりあえるような何かが見つかるといいなって、思ってる」

彼らは、とても純粋で、まっすぐで、重たくて、でも、それを分かっていないものの方が、多い。
だから、時には間違った愛情表現を示すこともあるし、それが原因で人間を傷つけてしまうこともある。

「僕たちは、”出会ってしまったから”っていう、ただそれだけで、人間に好意を抱いてしまう。それがどんな類の好意であれ、ね」
「それが”運命”だから?」
「うん。僕はそう思ってる」
「置いて行かれたことも?」

何気なく言ってから後悔した。九十九が前のトレーナーに”返品”された話題に触れたのは、これが初めてだった。
もっと慎重に、聞くべきだったのに。
九十九の表情は、相変わらず穏やかなままだ。瞳のにたたえられた光は澄み渡っている。

「結果として、僕は今、幸せなわけだし」

面と向かって言われると、恥ずかしいな。ごまかすために、もう空っぽになってしまっているはずのマグカップを持ち上げて、飲むそぶりだけをしてみせた。

「まあ。幸せならよかったけど」
「うん」

屈託のない笑みに、恥ずかしさが募る。好きだのなんだの言われたときは実感がなかったのに、こちらにも実感が伴うような感情を口にされると、途端に恥ずかしくなってしまった。

「ねえ、リサさん」
「?」
「みんな、貴女のことが好きでたまらないってこと、それから、貴女がそれを重荷に思うことはないってことは、伝えたい」

英さんはこういうこと、絶対に言わないだろうけど。そう言って九十九は肩をすくめた。
逆に、琳太と美遥は好意を隠そうともしないだろう。人間の感情に触れれば触れるほど、彼らの立ち振る舞いは人間じみたものになっていくのだろうか。人のかたちをとったものの器の中に、どんどん新しい感情が、倫理観が、道徳が、放り込まれていくのだろうか。

「明日はきっと、いい天気だ」
「うん、洗濯日和だね」

美遥、手伝ってくれるかな。そうこぼすと、九十九はにこりと笑ってうなずいた。手伝わない理由がないよ、と。

「わたしのことが、”好き”だから?」
「うん」
「……わたし、返せる自信がない。どういう”好き”なのか分からないし、もしかしたらそれはわたしには理解しづらい”好き”なのかもしれない。だけど、それだけじゃなくて、その……みんなに平等に、同じだけの”好き”を返してあげられるか、分からない」

好意には好意をもって返したいって思うのは自然なことだけれど、限度がある。彼らの”好き”はわたしひとりに向けられたものだけれど、わたしからはみんなに文の矢印を出さなければならないから。それも、みんななるべく同じ長さと太さのものを。

「少なくとも僕は、見返りを望んだことはないけれど……。だって、もう受け取っているし」
「え?」
「選んでくれて、一緒にいてくれた。それ以上に嬉しいことは、ないと思うけどなあ」
「でも、それって当たり前……」

言いかけて、ハッとした。九十九がうんうん、とうなずいていたからだ。九十九たちにとっては、わたしが彼らに何かを返しているのではない。彼らが、わたしに何かを返そうとしているのだ。順番がそもそも逆なのだ。

「でそうやって悩んでくれていることが嬉しいと、僕は思う。だってそれは、どうやったら一緒に居続けられるかを考えてくれているってことだから」

わたし、何もしていないのに。
そう思う自分がいる半面、それを主張してしまえば、彼らの気持ちをないがしろにしてしまうことになると気づく。そして、悶々とした気持ちを抱えてしまったこと自体を、また彼らはうれしいと感じるのだ。

好きなひとが、自分のことで頭を悩ませている。それも、前向きな方向で。それを知って喜ばない人は少ないだろう。少なくとも、その人だけは、自分のことを好意的に思ってくれているのだから。

「あっごめん、悩めって言ってるわけじゃないよ?」

それは分かってるよ、とと息交じりに笑ってしまう。
なんだか身体の力が抜けてしまった。あったかいお風呂とあったかいココアで、身体が満足したらしい。九十九が話に来てくれたおかげで、気分も随分と楽になった。
九十九はしばらく思案顔でいたけれど、やがてあきらめたようにふう、と息をついて、おもむろに立ち上がった。わたしの目がとろんとしてきているのに気づいたのだろう。

「うーん、言葉って、難しいね。長く話すだけじゃ伝わらなくて」
「そうだね……それはよく思う」

うなずきながらも、それがこくりこくりと舟をこぐ動作になりそうで、眠い目をこすって立ち上がる。今ここで寝てしまったら椅子から転げ落ちてしまうだろう。それは避けたい。

「マグカップ……」
「いいよ、おやすみなさい、リサさん」
「うん……ありがとう、おやすみ……」

ドアを閉める直前に、2つのマグカップを持った彼が、何かを言っていた気がするけれど、わたしはもう眠たくてたまらなくて、彼の方を見てはいたものの、半分夢の中にいた。ベッドに身体を投げ込むようにして入り込み、ドアが閉まる音を聞きながら、すとん、とわたしの意識はそこで途切れたのだった。



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