泣いたラプンツェル‐05 

照れ笑いをしている九十九を見ていると、お皿を洗っているときに感じたあれは何だったのだろうと思う。あのとき中途半端になっていた会話の終着点を求めて、わたしはほどよい温度になったココアを置いた。

「あの、さっきの会話の続きなんだけど」
「うん、僕もその話がしたくて来たんだ」

こんな時間に、病み上がりの女の子のところまで、一人で部屋を抜け出すのは気が引けたけれど。そう付け加えて、九十九はテーブルの上に置いていた手を合わせた。指を絡めるようにして組まれた手。どう切り出したものかと迷って、細くて白い指が絡み合っているのを眺めていると、九十九の唇が動いたのを視界の端で感じ取った。

「好きっていう言葉を使われたこと、嫌だった?」
「ど、うなんだろう。……分からない」

好き。食べ物が好き、音楽が好き。そういったものとは違う種類の”好き”を見せられた気がして、わたしはたじろいでしまった。恋愛感情的な”好き”でもなかったけれど、それに近いような、何か、重たいものを感じてしまったのだ。……いや、恋愛ごとにはとんと疎かったから、そう断じてしまうのもおかしいような気はするけれど。

「嫌だっていうわけじゃなかったけれど、なんといか、こう、重たい?みたいな」
「そっか」

ありのままを口にすると、九十九は深くうなずいた。肩のあたりでゆるくひとまとめにして、サイドに流してある淡い色の髪の束が、遅めの呼吸に合わせて上下している。

「なんでわたしのことを嫌いにならないどころか、好きって断言できるのかが、不思議だし、その、どういう”好き”なのかも、よく分からなくて」
「誰かを好きになるのに理由がいる?」
「え?」
「好きになることに理由なんてなくて、必要なのは多分、きっかけだよ。どうして好きなんだって聞かれても、答えられないけれど、どうして好きになったんだって聞かれたら、僕はたくさん、たくさん答えられるよ。美遥も、美遥だけじゃなくて、僕たちはきっと、みんな、そうなんだ」

わたしが、トレーナーだから?そう言うと、九十九は少し考えてから、首を横に振った。それもあるけれど、と前置きをして、言葉を紡ぐ。

「美遥が好きなのは、リサさんなんだ。人だから、ポケモンだからじゃない。“リサさん”が好きなんだ。僕だってそうだよ」

今日の九十九は、やけによくしゃべる。

「ぼくは貴女に会えたことが本当に嬉しい。戦わなくてもいいって言ってくれたこと。こんなぼくを連れ出してくれたこと。一緒に旅ができること。なんと言ったらいいのか分からないくらい、嬉しくて、どうしようもない気持ちなんだ」

当たり前のように旅をして、当たり前のように一緒に歩んできた彼らは、もしかして、わたしが思っているよりも、もっとずっと、わたしのことを慕ってくれていたのだろうか。こんなにも非力で、頼りにならない、ちっぽけなわたしのことを。

わたしが楽しいと思っている以上に、彼らはこの旅を楽しんでくれていたのだろうか。わたしが感じている以上に、ご飯をおいしいと思って、夜空をきれいだと思って、ふかふかの布団を恋しいと思いながら、朝を迎えていたのだろうか。

「リサさんは確かに、半分はポケモンかもしれない。でも、貴女はずっと、自分のことを人間だと思って生きてきた。だから、きっと、僕たちの考えていることが分からないことも、あると思う。僕たちにも、人間が考えていることが分からないこともあるから」
「そうなの?」
「だって、違う生き物だから」

その言葉がすとん、とわたしの心に落ちてきた。腑に落ちる、とはまさにこういうことを言うのだろう。
確かに、同じ人間どうしても伝わらないこと、理解できないことはたくさんある。ましてや、わたしとポケモンたちとでは、生きている世界が違う。彼らが技を使えば、人間を傷つけることはたやすい。そんな彼らが、すすんで人間にを貸してくれていることも、不思議なことだと思う。力のあるものが、力のないものを押さえつけて、従わせることなんてよくあるのに、ポケモンたちはそれをしない。彼らは、身に余るほどの力を持ちながらも、人間と共に歩むことを選んでいるのだ。

「わたしも、聞きたいことがあるの」

どうして、ポケモンは人間を従えようとしないのか。どうして、彼らはトレーナーからの指示を受けて、それに従ってくれるのか。

「それは、難しい質問だなあ」

少し冷め始めている、甘さ控えめのココアをすすって、九十九は困ったように眉根を寄せた。

「どういう風に、難しいの?」
「きっと、僕たちと貴女たちとでは、感情、というか、心?っていうのかな。行動や態度にあらわれるもととなっている気持ちの部分が、なんとなく、違う気がするんだ。……気味が悪いと思われることを承知で言わせてもらうけれど、」

いったん言葉を区切った九十九が、目線を上げた。まっすぐに射抜かれて、動けなくなる。その唇が開いていく様を、ただ、眺めていることしかできなかった。きっと、このときのわたしは、呼吸すらも忘れかけていた。

「うまく、言葉に出来ないな。でも、多分、一番近い言葉は、……そう。貴女は、僕のすべてだ。人間ならこの言葉を重たいと思うかもしれないけれど、信頼しているトレーナーがいるポケモンたちなら、みんなそう言うはずだよ。言わなくたって、気づかなくたって、きっと思ってる。命を差し出したって惜しくない。土砂降りの雨の中で途方もない時間待たされても、ひとりぼっちで暗闇の中に置いていかれたとしても、それは揺るがない。だって、信じているから」

とんでもないくらいとびきりの口説き文句のように、聞こえなくもない。けれど、それを男女の話だと捉えてしまうような雰囲気は、一切感じられなかった。夕陽色が、燃えるようにわたしを射抜く。焦がれているような、縋っているような、包み込まれているような。
不思議な感覚を覚えるけれど、これだけの好意を寄せられているのに、恥ずかしいとも、嬉しいとも、ましてや嫌だとも思わない自分がいた。きっと、脳が処理落ちしてしまっているのだろう。これだけの好意を、まじめに、正面切ってぶつけられたことなんて、今まで生きてきた中で、ただの一度もなかったから。

うなずくことすら精一杯のわたしにへと、九十九が畳みかけるようにして言葉をぶつけてくる。それは決して鋭いものではなかったけれど、重みがあって、厚みもあって、抱え込めるようになるまでには、たくさんの時間がかかりそうだった。

「貴女はきっと、僕たちに平等に接してくれている。人間と同じように。でも、僕たちは人間じゃない。だから、感じ方も、動機も、貴女たちと噛み合わないことがある。僕たちに言わせれば、リサさんは、運命、なのかもしれない。貴女はぼくの全てで、運命で、琳太にとっても、英さんにとっても、美遥にとっても、貴女がぼくたちのすべてなんだ。多分、ポケモンはそういう生き物だから」

人よりも、ポケモンの方が、まっすぐな感情構造を持っている、らしい。どこかのポケモンセンターで読んだ雑誌に、そんなことが書いてあったのを思い出す。

九十九は研究所にいて、ポケモンのことも、人間のことも、たくさん見てきた。わたし以外のトレーナーのことも知っている。
はなちゃんもそうだ。育て屋によく顔を出していた彼は、もっとたくさんのポケモントレーナーを見てきたことだろう。わたしよりもずっと優秀なトレーナーだって、きっとその中にはたくさんいたはず。それでも、彼はわたしに協力して、ついてきてくれた。

九十九とはなちゃんは、わたしと彼らが少し違うことを知っている。人と接する時間が長かったから。
そう思ってみると確かに、九十九とはなちゃんは、琳太や美遥と比べて大人びているというか、対応が柔軟な気がする。てっきりそれは、個々の精神年齢に影響されているものだと思っていたけれど、美遥の例があるから、そういうわけでもないというのはもう分かっている。

琳太と美遥は、好きなものがはっきりしていて分かりやすい。理解できない行動を示すこともあるけれど、基本的にはすべて、わたしのへの好意に基づいた行動をとっている、ような気がする。
それと比べてみると、確かに、九十九やはなちゃんは人間的だ。理性的、とでもいうのだろうか。自然とこの2人を頼りにしているのは、人間に近い立場で物事を考えてくれるからなのかもしれない。

きっと、人間のそばにいて、もっと複雑な感情を知って、人間のような感情構造に近づいたとき、琳太や美遥も、もっと、わたしが理解しやすい場所へと近づくのかもしれない。




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