泣いたラプンツェル‐04 

シチューはこっくりとした味わいで、よく煮込んである具材はやわらかくて、口の中でほどけるようだった。大きめに切られたじゃがいもをはふはふしながらほおばって、ぱりぱりに表面を焼いたバゲットをかじる。
久しぶりのちゃんとした食事を待っていましたとでもいうように、わたしの胃袋はぎゅううっとシチューのうまみを噛み締めていた。

「うめえ……」

もうちょっとほかの言い方あっただろっていう顔をしているはなちゃんを横目に、バゲットへと再び手を伸ばす。シチューと一緒に食べてもおいしいけど、バターだけ塗って食べてもシンプルでおいしい。
トマトともちもちした丸っこいチーズ……これ何ていうんだっけ、これもすごくおいしい。オリーブオイルのいい香りがする。

「食いすぎて腹壊すなよ」
「はーい。……これ何だっけ」
「モッツァレラチーズのことか?」
「それだ!」

会話を聞いていた琳太が「もっ……も?」と全く聞き取れていなくてもごもごしているので笑ってしまった。むっとした顔をしていた琳太の眼前に、甘さがギュッとつまった柔らかいにんじんをスプーンですくって差し出せば、ぱくりと受け取ってくれた。まだもごもご何かを言っていたけれど、いよいよもってまったく何を言っているのか分からない。ただ、ほっぺたがいっぱいに膨らんでいて、幸せそうな顔をしていたからよしとしよう。

「それにしても、今更かもしれないけれど、ずいぶんと賑やかになったよね」

バゲットを一口サイズにちぎりながら、しみじみとした口調で九十九が呟く。言われてみれば確かにそうだ。九十九は2番目に仲間になってくれたから、この中では古株といっても差し支えない。次がはなちゃん、美遥、それから……。
鞄に視線を向けると、やすらぎの鈴が目に入った。彼女は今、元気でやっているだろうか。いつか、また会えるだろうか。
そういった感傷に浸ろうとしたところで、不意に鞄が揺れていることに気づく。

「ん!?」

行儀が悪いと思いながらも、口の中のものを飲み込みながら席を立って、鞄を手に取る。何かと思えば、揺れているのはタマゴだった。
慌てて孵卵器から取り出して触れると、それは人肌の温かさを持っていた。今までこんなに温かかったことがあっただろうかと首をひねっていると、いつのまにか隣にやってきていたはなちゃんがもうすぐかもな、とこぼした。ああそうか、育て屋にいたからタマゴは見慣れているんだろう。

「そっか……」

目線の高さまで持ち上げて、かすかに振動しているそれを見つめる。

「もうすぐ、会えるね」

わたしの言葉に応えるかのように、ひときわ大きくタマゴが揺れた。
明日、コンディションさえよければジムに挑むつもりでいるけれど、その前にタマゴの様子をジョーイさんに診てもらおう。そういえばわたし、生まれたばかりのポケモンの世話とか全然知らなかった。人間みたいにミルクとか、離乳食みたいなものが必要なんだろうか。はじめから意思疎通はできるのだろうか、ある程度大きくなるまではモンスターボールに入れない方がいいのだろうか。何一つ知らないことに気づいて、途端に焦りが生じた。

「はなちゃん、このタマゴ、もうすぐ生まれそうなんだよね」
「ん?ああ。といってもこの感じだ今日明日の話じゃなくて、もうちっとばかし先だろうな」
「そ、そっかあ〜……」

安堵の表情を悟ったらしいはなちゃんが、怪訝そうな顔をしている。
このタイミングだと、まるで生まれてこない方がいいみたいなニュアンスになってしまっていることに気づいて口を開いた。

「いや、生まれたてのポケモンのこと、全然知らないし準備もしてなかったからどうしようって思って」
「ああ、そういうことか。俺も詳しくはないが、種族によるだろうし、ジョーイさんに聞いた方が早いだろ」

タマゴを孵卵器に戻して、ソファーへと置いておく。すみっこにあったブランケットを引っ張ってきて、孵卵器にかけてみる。なんとなく、暖かい方がいいような気がしたのだ。
食卓に戻ると、ちょうど九十九がデザートを持ってきたところだった。出来合いのものだけれど、と言って、木の実をふんだんに詰め込んだパイが、真っ白な箱の中から出てきた。格子状に隙間の空いているパイ生地の下に、色とりどりの木の実が顔を覗かせている。

「リサさんと美遥くんの、快気祝いってことで」

つやつやのパイ生地を、丁寧に包丁で切り分けた九十九が、はい、とお皿を手渡してきた。受け取って、小さなフォークで先っちょの部分を刺して、一口放り込む。
蜜で煮込まれた木の実のジューシーな甘酸っぱさが、口いっぱいに広がる。パイ生地の表面はサクサクしていて、木の実に触れていた部分は、蜜と果汁を吸って甘く柔らかい触感で、これもまたおいしい。温かい紅茶を流し込めば、口の中が幸せで満ちあふれた。


幸せな食卓を囲んだ後は、片付けが待っている。テーブルの方は琳太、はなちゃん、美遥に任せて、わたしと九十九はお皿を洗う。いつもだったら美遥はわたしにくっついてきていたと思うけれど、なんとなく、役割を分ければ自然と別れる流れになった。

「やっぱり、ちょっと気まずいな……」

お皿を洗っているときって、結構音が大きい。食器がかちゃかちゃとぶつかり合う音や、水で汚れや泡を流す音。それにさえぎられて、食卓の方にはこちらの声が届くことは、大声を上げないかぎりはないだろう。

九十九にも聞こえるかどうかぐらいの声だったし、聞こえなかったときはそれでもいいやと思っていたのだけれど、彼の耳はきちんとわたしの呟きを拾っていたらしい。

「時間がどうにかしてくれると思うよ……多分。美遥がリサさんを嫌うことなんでないだろうし」

あまりにもきっぱりとした物言いに、思わず皿を洗う手を止めてしまった。目が合うと、九十九はどうしたの、という顔で私の方を見ていた。彼の皿を洗う手は止まっていない。泡が洗い流されて、ピカピカの白いお皿が並べられていく。

「なんで、嫌うことがないって言えるの?いつか、見放されたりするかもしれないよ?」
「人が誰かを見放すことはあるけれど、僕たちが人を見放すことって、とても珍しくて、ありえないと言ってもいいくらいだよ」
「……」
「僕たちはただ、純粋に、リサさんのことが好きなんだから」

ふと、唐突に、怖くなって、皿を取り落としそうになった。ちがう、ちがう。泡で手が滑って、それで、取り落としそうになっただけだ。目を合わせていられなくなって、皿洗いを再開する。
何が怖かったのか、よく分からない。九十九の顔を見ていられなくなったけれど、九十九のことを怖いと思ったわけではない。何か、見えない壁に弾かれたようで、原因がよく分からなくて、分からないから怖いのだ。

急に隣にいる存在が、自分とは全く違う生き物に感じられて、激しい違和感を抱いてしまった。おかしいな、わたしだって半分は、彼らと同じはずなのに。

「……リサさん?」
「えっ、あ、ごめん、何?」
「いや、ぼうっとしているみたいだったから。もしかして、まだ気分が悪かったりする?」

きゅっと蛇口をひねって水を止めた九十九が、心配そうに顔を覗き込んできた。
それに対して大丈夫だよ、と答えて蛇口に手を伸ばそうとしたけれど、その前にもう一度名前を呼ばれて、油断したすきにお皿を取り上げられてしまった。

「今日はもう早く寝た方がいいよ、ほら、」
「う、うん……」
「あとで温かいもの持っていくから」

遠回しに、今日までは別の部屋で寝るように促されて、部屋を後にする。おやすみなさい、と言えば、4人分の返事が返ってきた。

夕陽がとてもきれいだったから、きっと明日はいい天気だろう。

たっぷりとお湯を張った湯船につかりながら、ほう、と息をつく。全身がほぐされていくようでとても気持ちがいい。じゃぶじゃぶとお湯をこぼしながらお風呂から上がって、髪を乾かし終えた頃。

こんこんこん、とドアが叩かれて、少し開いた隙間から、夕陽色の目が覗いた。

「入っても、大丈夫?」
「うん!」

小さなお盆に、湯気の立つココアを2つ持って、九十九が滑るように部屋の中へと入ってきた。
いつもの青い着物じゃなくて、ポケモンセンターに備え付けの浴衣を着ている九十九は、テーブルにココアを置いて、椅子を引いた。失礼します、と言って腰かければ、向かい側に彼も腰を下ろした。

夜に男の人が部屋に尋ねてきて2人きり、なんていう考えは、全く頭の中に浮かんでこなかった。それを思ったのは、ココアに口をつけたとき。だけれども、そういうのは全然想像できないような間柄だから、特に何とも思わなかった。

「ごめんね、夜に女の子ひとりの部屋に入ってきたりして」
「ううん、気にしてないよ」

ココア、ありがとう。そう言うと、九十九は笑みを浮かべてもうひとつのマグカップへと手を伸ばした。
洗い物の時から思っていたけれど、九十九が手袋をしていないのは珍しい。そりゃあ、寝る前なんだからしていないのは当たり前なんだけれども。本人も四六時中手袋をしているから無意識だったのか、マグカップを両手で包み込むようにして持ち上げた後、すぐに「あちち」と言ってコースターの上に置いていた。




back/しおりを挟む
- ナノ -