泣いたラプンツェル‐03 

まるでこどものけんかみたいでへたくそだった、てんでダメだったな、今度はもっとうまくやろう、とひそかに反省会をしていたとき、美遥の手に力がこもったことに気づいて、視線を彼に向けた。

「リサ、目が、」

逆光で美遥の表情はよく分からなかったけれど、なぜだかとても眩しくて、両の瞳のほとんどをまぶたで覆った。
……両の、瞳?

ばっとものすごい勢いで美遥の手の中から自分のそれを抜いて、左手で左目を覆う。視界が少し、狭くなった。
けれど、赤い右目はさっきと変わらず見えたままだ。左手を膝に落として、まばたきをする。交互に目をつぶると、少し焦点がずれながらも、美遥の顔がしっかりと見て取れた。

「見え、てる、」

美遥も、その後ろに広がるだいだい色の夕焼け空も、黒いシルエットになってしまった山々も。小さくなっていく鳥ポケモンたちのシルエットも、羽ばたきのひとつひとつが、よく見える。

全部見えている。
視力がまだ弱いようで、ぼやけるような感じはあるけれど、左目もしっかりと、役割を果たしてくれていた。

「ほんとに?ちゃんと見えてる?」
「うん、見えてる……。見えてる、よ」

何度まばたきしても、広々とした視界が狭まることはない。少しずつピントもあってきたようで、世界の輪郭がはっきりしてきている。
もう用済みになってしまった眼帯をポケットにねじ込んで、未開封のペットボトルを持って立ち上がる。

「そろそろご飯の時間だろうし、行こっか」

ジョーイさんに確認して、今夜は美遥も一緒に食卓を囲みたい。わたしと彼の胃腸は本調子でないから、消化のいいものを用意しよう。

肌寒い空気に肩を震わせながら、美遥がうなずく。立ち上がった彼の背は、出会った頃からは想像もつかないくらいに大きくなっていた。
九十九の時にも思ったけれど、こうして仲間がぐんと大きくなったところを見せられると、感慨深い気持ちになる。
反対に私は、少し縮んでいるようで、旅を始めたときから履いている靴が少し、ぶかぶかになっている。革製だから足になじんで伸びたのかとも思ったけれど、それにしたって緩い。この辺はカノコタウンと比べてとても寒いから、靴を買うついでにもう少し暖かい服を調達してもいいかもしれない。

「美遥、寒い?」
「寒いけどへーきだぞお」

そういえば、はなちゃんや美遥は結構寒そうな格好をしているのに、風邪のひとつも引いていない。もとがポケモンだから、服装はフレーバーみたいなものなんだろうか。

とんとん、足取り軽く階段を下りて、宿泊中の部屋へと向かう。

ドアを開けると、まっさきに琳太が飛びついてきて、お腹に衝撃を感じた。胃の中に何も入っていなくてよかったと思いつつ受け止めて、暖房の効いた部屋の中へと歩を進める。

「ただいま!」
「おかえ……あれ!?」

食卓にお皿を並べていた九十九が、夕陽色の目を真ん丸にしてわたしの顔を凝視する。声が聞こえていたのか、台所からひょこりと顔を出したはなちゃんも、同じように驚いた顔をしていた。

「もう、目は大丈夫なの?」
「うん、そうみたい」
 
美味しくて温かい匂いにつられて、返事が上の空になってしまった。頭をぐりぐりとわたしのお腹に押し付けていた琳太が、おなか鳴ってる、と言って笑う。うん、お腹すいちゃった。

暖かい部屋の空気に、ついついまた眠気が押し寄せてきたし、お腹もぺこぺこだけれど、ご飯の前にジョーイさんのところに行かないと。洗面所でコンタクトレンズを入れてから、軽く身支度を整える。

美遥に声を掛けて、いったんボールの中に戻ってもらってから、琳太と手をつないで部屋を出る。思えば、こうして琳太と手をつなぐのも随分と久しぶりのような気がした。

「どこ行くの?」
「ジョーイさんのとこ!ちょっと美遥診てもらう」
「分かった。もうすぐ晩御飯できるからね」
「はーい!行こ、琳太」

ん、という琳太の返事を聞いてから、空いている方の手でドアを開ける。
寒い日の夜はシチューに限るって何気なく言ったわたしの言葉を、彼らは覚えてくれていたんだろうか。久々にみんなと食卓を囲めることが嬉しくて、わたしの歩みは弾んでいる。

ジョーイさんはわたしの顔を見るなり、何の用事できたのかを察してくれたようで、奥の診察室へと通してくれた。そこで美遥の入ったボールを診察台に向けてかざすと、ばさばさと羽音を立てながら美遥が細長くて白い台の上に立った。

長くてかさばる、けれど軽い翼をやや粗雑にたたんで、ジョーイさんを見上げる美遥。病院を嫌がるようなイメージを勝手に持っていたけれど、ジョーイさんの診察を、終始彼は大人しく受けていた。
仰向けになった鳥の姿というのはどうにも少し間抜けに見えてしまうけれど、原因がアレなだけに笑えるような空気ではない。
聴診器をあてがっていたジョーイさんが、今度は診察室のさらに奥の部屋へと美遥を連れて行った。

しばらくして戻ってくると、パソコンを操作してわたしにも画像を見せてくれた。どうやらレントゲンを撮っていたらしい。

琳太はというと、暇そうに床につかない足をぶらぶらさせていた。背もたれのない丸い椅子の上でぐるぐる回転していたけれど、目が回ったのかそれもやめてしまって、今はわたしの背中に額を押し当ててぼーっとしている。

「この前の手術であらかた取り除いてしまっていますが、残りは自然な排泄で体外へと排出されるでしょうということで様子を見てもらっていました」

そう言ってジョーイさんは、プリントされたレントゲン写真を見せてくれた。これは手術前と、直後のものとのこと。赤い丸で囲まれている部分に、何か糸くずのようなものが溜まっているのが分かる。手術後の写真では、ほとんど視認できなくなっていた。

「この2枚の写真と今のアーケオスのレントゲンを見比べてみると、どうやらこのまま様子を見ていれば大丈夫そうですね」
「よかった……」
「アーケオスの食欲や睡眠の状態がが普段と変わらないのであれば、もう気にされなくても大丈夫でしょう。……とはいえ、しばらくは気にされるでしょうけど」

わたしの顔を見たジョーイさんがそう言ったので、苦笑してうなずく。手術までしたのだから、心配に決まっている。

「診断書と、簡単にアーケオスの状態を記録したものをお渡ししておきますので、もしも不安になったときは各地のポケモンセンターでそれを見せてください」
「はい、ありがとうございます!」

タブンネが茶封筒に入れてくれた書類を一式受け取ってから、診察室を後にする。
早く帰ろう、晩御飯のシチューが待っている。

ぎざぎざの歯がたくさん並んだ口をおおきく開けて、くあ、と美遥があくびをする。それにつられて琳太も口を開けた。
その様子にふふ、と笑みが漏れてしまう。

「美遥、行こ」

わたしが差し出した手をしばし見つめ、首をかしげていた美遥が、人のかたちをとる。おずおずと、手を伸ばしかけて、引っ込めて、それから、ゆっくり、握るというよりはつまむという感じで、彼はわたしの人差し指だけを握った。

それでもいいか、と思って3人で手をつないで帰る。

明らかに美遥が緊張している雰囲気が伝わってきて、もどかしいような、くすぐったいような、何とも言えない気持ちになった。距離の詰め方が分からないのだろう。正直なところ、わたしもよく分からない。人間関係には波風を立てたくないタイプだし、きょうだいはいないと思っていたから、親しい誰かとけんかしたことがないのだ。きっと美遥もそう。

だから、しばらくはぎこちないままなんだろう。

少し汗をかいた指先の感触をくすぐったいと思いながら、ゆっくり足を動かした。




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