泣いたラプンツェル‐01 

みはる、美遥。はるかかなたの美しい景色を見られますように。
もう、いつでも遠くへ羽ばたいて行けると思っていたひな鳥は、ずっとずっとわたしの足元でうずくまっていたのだ。

「お腹、空っぽになっちゃったぞ」

彼の薄い腹には、小指1本分くらいの長さの手術痕が残されていた。縫合されたそこは、ポケモンの治癒力をもってすれば数日で抜糸することができて、痕もきれいさっぱりなくなってしまうらしい。

ぺたぺたとお腹に手をあてがう彼は、真っ白な病院着からいつもの服装に着替えて、ベンチに座っていた。
ポケモンセンターの屋上にあるベンチに腰かけてみると、よく晴れた青空が見える。屋上の出入り口にあった自販機でおいしい水を2本買って、片方を美遥に手渡す。喉なんて乾いていなかったけれど、緊張して口の中はからからだった。

こぶし3つ分くらい開けてベンチに座った私から水を受け取りながら、美遥は手術痕に視線を落としていた。

「痛む?」
「ううん、何ともないぞお」
「そっか」

それっきり、会話が途切れる。
何か世間話でもしてから本題に、とは思ったけれど、美遥もわたしもあまりおしゃべりな方ではない。かといって、どうやって本題に切り込めばいいのかもわからない。

目線を上げるには、目を細めなければいけないほどに天気の良い日だ。肌寒い時季とはいえ、陽射しの降りそそぐこの場所は暖かい。
片方だけぽっかりと穴が開いたようになっている目のままで部屋の外に出るのは気が引けたから、九十九たちに頼んで眼帯を買ってきてもらった。半分しかない視界で出歩くのは少し不安だったけれど、階段の上り下りくらいは問題なかった。

2人きりで話すのは少し怖かったけれど、これは2人の問題なのだから、こうするしかないと腹をくくった。不安と緊張でいっぱいになって、朝ご飯が喉を通らなかったくらい、ぐらついたままのちっぽけな決心を抱えて、美遥を屋上に誘った。

「おいら、朝ね、つー達から聞いたんだ」

ぽつり、美遥が言葉をこぼした。
何がわたしを怖がらせてしまったのかも、わたしの目がどうなってしまっているのかも。

「髪の毛、集めるのは気持ち悪いんだって、なんとなく、分かってたんだ」
「そう、なの?」
「うん。でも、やめられなくて。リサは置いて行かないって約束してくれてたのに、おいら、やっぱり怖かったんだ」
 
いくじなしでごめんなさい、と美遥が消え入りそうな声でつぶやいた。その言葉を受けて、何と返したものかと逡巡してしまう。

ずっと、美遥は悪気無くやっていたと思っていた。わたしに置いて行かれたことがトラウマになって、少しでもわたしにそばにいてほしくて、その思いのはけ口が分からないから、こうなってしまったのだと思っていた。あるいは、ポケモンなりの理由があって、無意識に行動しているのだと。
だから、彼にどうすれば髪の毛を集めるのが悪いことだと分かってもらえるのか、それを一生懸命考えていたし、それを分かってもらえれば、この問題も解決すると思っていた。
けれど、そうではなかった。美遥はちゃんと、何が悪かったのか、分かっていた。

「リサは、怖かった、よね?すごい悲鳴を上げていたから、きっと怖かったんだろうなって思って、いけないことだって、わかってて、でも、おいら、どうしたらいいのか、わかんなくて……!」

美遥もずっと、苦しかったんだ。

ああ、でも、ごめんなさい。今の私はきっと、美遥のことを笑って許してあげられるような心を、持ち合わせていない。自分のことでいっぱいいっぱいだ。あなたも苦しかったんだね、じゃあ仕方ないねって、言えるような、心の広いトレーナーじゃなくて、ごめんなさい。わたしも、苦しかったんだから。

「あのね、美遥、」
「うん」
「わたしね、怖い思いして、あの、正直ね、美遥のことも、気持ち悪いって思っちゃったし、今も、2人きりでいるのが怖いの」

身体を少し、美遥の方に向けて、でも、美遥の顔は見ない。手元のおいしい水のボトルに縋りつく手が、白くなっていた。

「美遥と一緒に旅を続けたい気持ちはあるけど、今のままじゃ難しいって、一緒にいるのが怖いって、思ってる自分もいて……っ」

分かってる、分かってるんだ。美遥が不安がってしまうのはわたしのせいだって。あのとき置いて行こうとしたからだって。でも、そこで美遥が不安がるからと彼の行動のすべてを受け入れてしまったらきりがないし、”普通じゃない”行動をせずに支えてくれている他の仲間たちと比べたら不公平じゃないか。

わたしが少しでも距離を置こうとしたときの美遥は、幼子が自分のおもちゃを独り占めできなくてぐずってしまうときのようで、生まれたばかりだから仕方ないと思う反面、許容してしまえば他の仲間たちへの後ろめたさが募るばかりだった。九十九とはなちゃんは遠目で見守ってくれるからいいけれど、美遥と同じくらいわたしとのスキンシップを求めてくる琳太がいる以上、美遥にばかり構うことはできないし、わたしの身体はひとつしかない。

「はなにね、捨てられても文句は言えないぞって、言われたんだ」
「そ、っか、」

そうだね、と言いかけて、途中で言葉を切り替えた。

「リサが怖がるようなことはしちゃいけなかったんだって言ったら、それも違うって言われた、けど、言われたこと、難しくてよくわかんなかった」
「何て言われたの?」
「リサが怖がるか、そうでないかで決めるなって。自分の気持ちと、相手の気持ちの、ちょうどいいところを見つけろって」

はなちゃんはきっと、わたしへの好意を示すことや、甘えることは構わないけれど、それを相手に押し付けることがよくないのだと言いたかったのだろう。

「我慢してるつもりになるのもやめろって言われた、けど、それもやっぱりよくわかんない」

わたしが臥せっている間に、結構いろいろと言われたらしい。ちょっと可哀想かなとも思ったけれど、それだけはなちゃんは美遥のことを気にかけてくれているのだ。手のかかる弟みたいに思っているんだろう。

言われたことをかみ砕けないまま、もやもやと抱え込んでいるところだから、追い打ちをかけてしまうようだけれど、この際、言いたいことは全部ぜんぶ、吐き出してしまった方がいいと思った。お説教は、はなちゃんにお任せするとして。

今だけ、我慢するのやめる。美遥が言いたい放題、やりたい放題だった分、わたしも好き放題言ってしまおう。

「美遥はね、わたしが思い通りに動いてくれないとすねるでしょ。バトルに出してもらえないときとか、特にそう」
「うん、だっておいら、必要じゃないのかなって思っ、」
「わたし、美遥に、もう必要ないって言ったことある?」
「ない!ないよ、でも、」
「わたしのこと、信じてないの?」
「信じてるよ!」
「うそだ!!」

わたしが出した大声で、美遥は雷に打たれたかのように身を震わせたのち、硬直した。目を見開いて、わたしのことを見つめている。はくはくと口が動いて尖った犬歯が見え隠れしているけれど、何かを言い出すような様子はない。

はじめてだ。
はじめて、大声を出した。叫んだ。
こんなに大きな声なんて出したの、初めてかもしれない。喉が焼け付くようにひりひりして、ひたすらに熱かった。

「美遥が信じてるのはわたしじゃない!美遥の中にいる”なんでも受け入れてくれる理想のわたし”だ!わたしは美遥のことを置いて行かないって約束した。それでも不安になる気持ちがあるのは仕方ない。でも、わたしは美遥を置いて行かないって約束したんであって、美遥の言うことを何でも聞くって約束したわけじゃない!何かにつけて美遥をいちばんにするって約束したわけじゃない!!バトルしたい、役に立ちたいって、それは美遥のわがままでしょ!?」

そこまで言って、ぐっと奥歯をかみしめた。涙腺からとめどなくあたたかい雫が落ちてきて、わなわなと唇が震えだす。
言葉が出なくなってしまった。
嗚咽があふれて止まらない。



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