のこされしもののうた‐09 

***

おい、と呼び止められて振り向く。
もう帰ろうとしてドアノブに手をかけていた僕は、出会った頃よりもずいぶんと背が伸びた白髪の彼に返事をする。
琳太と九十九はもうモンスターボールの中で眠っていて、部屋の中で立っているのは僕と彼だけだ。
薄暗い室内で、星を散らしたような瞳が瞬く。剣呑な表情だ。

「なに?」
「”アレ”は治るものなのか?」
「リサ次第、かな」

彼らはきっと、リサと同じように代償の話を気にしている。
代償だと思ってしまえば簡単に諦められるけれど、回復は望めない。代償ではないのならば、回復の見込みがある。どちらが彼女にとって良いものなのかは分からないけれど、彼女のそれはきっと違う。代償とは、すでに支払われているべきものなのだ。
……だから、僕と彼女は違うんだ。

「あの子の目は、ついこの間まで普通だった。だから、彼女がああなってるのは、彼女の心の問題だ」
「……」

再びドアノブに手をかける。目くばせをすれば、彼は僕の後ろをついて来た。
ポケモンセンターのロビーでミックスオレを2つ買って、片方を放って寄越すと、彼は直にお礼を言ってきた。

「こうやってふたりで話すのも久しぶりだね」
「内容があまり好ましくねえけどな」


ソファーに深々と腰かけて、蛍光灯をぼうっと見上げる。

「お前の”それ”とあいつのは違うってことか」
「うん、そうだね」

足をぷらぷらさせていると、英が僕のそれに視線を落とした。彼は知っている。僕の両足が義足だということを。
生まれつき、と言えばそうなのかもしれない。原型ではそもそも足がないのだから、何の問題もない。ふよふよと漂う人魂みたいな存在だし。むしろ顔しかないし。目玉もひとつだし。
だから、初めて擬人化した時に、僕は普通とは違うということにようやく気が付いたのだ。膝から下がストンと抜け落ちていて、だるま落としでも食らったようだった。
擬人化に慣れていないから、失敗したのだと思っていた。けれど、何度試しても結果は同じで、視界は低いまま。

父親に擬人化のコツを教えてもらっても、毎日練習しても、だめなものはだめだった。
そして、五体満足に擬人化できないと諦めたとき、父親から渡された義足を身につけながら、代償の話を聞かされたのだった。

「普通なら恨みそうなもんだけどな」

英は僕が義足だと知った後に、リサから代償の話を聞かされたんだろう。僕は代償の話をしていないけれど、それだけで彼は、僕の義足に理由があると悟ったようだった。

「まあ、僕の足がお守りになったとでも思えば、そんなに暗い感情は抱かなかったよ。それに、」
「それに?」
「……進化したら、足が生えてくるかもしれないしね」
「怖いんだろ」

びっくりしてしまった。心の奥底の震えを見抜かれたようで、僕は目を瞬かせることしかできなかった。小さくため息をついた英は、そういうところが似てんだよ、と呟いた。

彼の言うとおり、進化すると原型でも足がついていることに気づいた僕は、そこに希望と恐れを抱いた。進化すれば、擬人化しても両足が手に入るかもしれない。でも、もしも、進化しても変わらなかったら?それどころか、原型ですら足のない身体になってしまっていたら?そう思うと、僕は強くなることにためらいを覚えたのだった。

強くなることがすべてじゃないと父親は言ってくれたけれど、正直父親はべらぼうにバトルが強くて全く参考にならなかった。
結果、強くなるのは僕じゃなくてもいいやと思って、育て屋で働くことにした。たくさんのポケモンと戯れるのは嫌いではなかったし、もともと結構世話好きな気質だったらしい僕に、その仕事はよく合っていた。

僕は進化を拒んでいる。新しい一歩を踏み出せるだけの力はあるはずなのだけれど、どうにもそんな気にはなれなくて、小さいままでいる。高い視界を得た英のことを羨ましいと思わない、と言えば嘘になる。
でも、英と僕は違うから。

「案外、お前自身に問題があるのかもな」

僕がリサに言ったのと同じようなことを、英が言う。
そう、きっとこれが代償だろうと何だろうと、結局は僕自身の問題なのだ。足がないことを恐れているから、進化できないままでいる。

「リサのこと言えないなあ」

へらっと笑ってみせると、英が顔をしかめて、ミックスオレの残りをぐいっと一気に飲み干した。武骨で節くれだった手が、べこりと缶を握り潰す。

「あいつには言わないのか?」
「……」

僕は答えられなかった。口を開く代わりに、無理やりミックスオレの缶に口をつけているけれど、横からの突き刺さるような視線が痛い。
言ってしまえればどんなに楽だろう。お前のせいだ。お前が人間として生まれてきたから、僕は。そういった類の感情を抱いてもおかしくないとは思う。怒りを、恨みを、抱いていても何ら不思議じゃない。
けれど、そんな気持ちが沸いてきたことはなかった。まだ見ぬきょうだいのことを思っていた時も、実際にこの目で彼女の姿を見たときも。
彼女を見ていると、父親が母親のことを語るときの目を思い出す。なんとなく、それとは色味が違うような気もするけれど、同じような感情、きっとこれが、”いとおしい”という感情なのだろう。
彼女のためなら足の1本や2本、どうということはない。だから時々、思うのだ。

「代償って、本当に足のことなのかな」
「?」

もともと僕には力が足りなくて、両足を形作るに足る擬人化の能力はなかった。そこへ代償の話が耳に入ったものだから、僕は自分の足のことを代償のせいにしてしまっているのではないか。代償は、僕の心の問題に付け込んで揺さぶりをかける”何か”なのではないか。
父親が代償として特異な能力を奪われたと聞いていたから、代償が目に見えるものだと限らないとは分かっていた。
だから、代償が精神を苛もうとしている”何か”だとしても、何ら不思議ではない。

「代償代償って、めんどくせえな」
「あはは、ほんとにね」

彼女はきっと、大丈夫だ。独りで抱え込んでしまいそうなことも、こうやって一蹴してくれる存在がいるんだから。考えすぎる彼女には、そんなこと、と適当にあしらってくれるような人がいるくらいでちょうどいい。

空っぽになった缶を潰すでもなくぺこぺこ言わせていると、英の手が伸びてきて、ひょい、と僕の手の中のそれを奪った。そのまま2つまとめてゴミ箱へ。

「いつかはリサにも話してやれよ」
「うーん、どうだろうなあ」
「お前なあ……」

彼女の負担になるのは本意ではない。僕がこの話をすれば、彼女はきっと、自分のせいだと思ってしまうだろう。それこそが彼女を苛む”代償”なのだとしたら、僕はそれを阻止したい。

いつか。いつか、笑って「こんなこともあったんだよ」って言えるようになりたい。五体満足な体で、陽気な声音で、世間話でもするかのように。

「じゃあ、そろそろ行くね」
「泊まって行かないのか?」
「うん」

英に、彼女の様子がおかしいと聞いて飛んできたけれど、あとは任せても大丈夫だろう。僕だって彼女と一緒にいたい気持ちはあるけれど、今はまだその時じゃない、と思う。
いつか、自分で地に足をつけて立てるようになったその時は、彼女と同じ景色を見てみたい。

「ミックスオレ、ごちそうさん」

ひらりと手を振った英の表情を見て、どうしてだか泣きだしたい気持ちになってしまった。これ以上見つめられてしまえば、縋ってしまいそうだった。
違う、彼に縋っていいのは彼女だけだ。僕じゃない。彼はトレーナーに仕えるポケモンなのだから。

きびすを返して、ポケモンセンターの自動ドアをくぐる。うすら寒い風が容赦なく身を切るようで、肩をすくめた。義足と生身の身体の繋ぎ目が、キリキリと痛む。
乾いた唇を舐めると、ミックスオレの甘さがほんのりと残っていた。
目を細めながら、ネジ山へと向かう道を歩いていると、懐の端末が震えた。
こんな夜中に誰だろう。そう思いながら端末の画面を見ると、そこに浮かび上がったのは父親の名前だ。

「もしもし?」
「サツキ、今どこにいる」
「え、っと、ちょっと外に出てて」

父親にも母親にも、リサの調子が悪いことは伝えていない。言ってしまえば心配してカノコタウンから飛んで来かねないからだ。親とはいえ、彼女たちの問題に干渉すべきではないような気がして、返事をごまかした。だって、この世界では、ポケモントレーナーとして旅に出たその瞬間から、彼女たちは一人前の”大人”なのだから。

「義足のメンテナンス、今日だっただろ」
「あっ」

すっかり忘れていた。月に1度ある、義足のメンテナンス。リサのことで焦ってしまって、何の連絡もなしに飛び出して行ったから、無断でほっぽり出したことになる。よくよく端末を見てみれば、いくつかの着信が入っていた。

「ど、どうしよう……」
「先生にはまた連絡すると言っておいたから、空いてる日が分かったらまた教えてくれ」
「うん……」

口調に怒っているような感じはないし、咎められもしていないけれど、自然とこちらの声のトーンは下がっていく。

「ごめんなさい」
「いや、いい。次からは気をつけろ」
「はい」

特に事情を深くは聞いてこないことがありがたく心苦しくもあった。これがリサだったら、何かあったのかって聞いてくれたりするのかな、なんて。

「……気を付けて帰れよ」
「怒らないの?」
「叱ってほしいのか?」

そうじゃ、ないけど。
掠れた声でそう返すと、受話器の向こう側で、ふっと空気が緩む気配がした。笑っているんだろうか。

「なんか知らんが大切な用事があったんだろう。お前は理由もなく約束を破るような奴じゃないからな」

ぱたた、と温かい雫が暗い地面に染みをつくった。
どうしようもなくこみあげてくるものがあって、歩みを止めてしまった。ぽっかりと開いた、ネジ山への入り口の前で、空を仰ぐ。きれいな星空。明日はきっと、いい天気になるだろう。

「うん、うん、次は大丈夫だから」

おやすみ、とお互いに言いあって、端末を操作し、通話を終了した。鼻水が出るのは寒さのせいだ。きっと。目から流れ出る水滴の方はどうしようもないけれど。
ぎゅっと一度だけ、ポケットに入れた端末を握り締めてから、少し大きめに1歩を踏み出した。


 21.のこされしもののうた Fin.

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