のこされしもののうた‐08 

「それじゃあ、美遥はまだ入院してるの?」
「うん。でも、結局命に別状はなかったらしくて、明日の朝にでも退院していいって」

うなじのチクリとした痛みは、美遥が後ろに立った直後だったこと、異様にお風呂の排水溝がきれいだったこと、いろいろなことに合点がいく。
けれど、一体いつから?いつから彼は集め始めたんだろう。進化するまではそんなことなかったような気がするし。

「直接彼と話してみるのが一番いいと思うけれど、リサ、どうする?」

サツキの問いかけに、わたしは即答できなかった。
会って、話さなければいけないのは分かっている。けれど、何を話したらいいのかわからないし、正直なところ、美遥が何を考えているのか分からなくて、少し気味が悪い。この世界に来るまでは、人並みの人生で人並みの経験しかしてこなかったと思うし、そんなわたしには少し荷が重い。他人の心が読めるポケモンや、未来が見えるポケモンも存在するらしいけれど、そんなことができたらどんなに楽だろう。
もしかしたら美遥がポケモンだから、彼なりの考えがあって、ということなのかもしれないけれど。同じポケモンというくくりとはいえ、種族が違えば性質も考え方も異なってくるだろう。当たり前のように人の形をとって過ごしているから、時々彼らが異なる種族だというのを忘れそうになる。
わたしと琳太も違うし、琳太と九十九も違う。わたしは他の世界から来て、琳太は洞窟の中にいた。九十九は研究所で育てられた。種族も生い立ちも違うのだから、違う考え方があって当然だ。
だから、怖くても、話してみなければ始まらない。

「まあ、一晩考えるといいよ」
「いいのかはわからないけれど、もし2人きりが怖いなら、僕たちも立ち会います」
「うん、ありがとう」
「僕たち、美遥が何を考えてああしたのか分からないし、気になるところではあるんだけれど」

でも、それはリサさんが一番に知るべきだと思うから。そう言って九十九はちょっと笑った。何か面白いことがあるからという笑みじゃなくて、わたしの気を楽にさせるためのほほえみだった。たれ目がやさしい曲線を描く。それを見ていると、こちらの気持ちまでまあるくなっていくから不思議だ。

わたしの熱が伝わったのか、いつの間にか温まっていた琳太の手が、しっかりとわたしの手を掴む。見上げる2つの瞳には、苛烈さが宿っていた。

「美遥、リサに、ひどいことしたの?」
「うーん、今のところわたしはそう思わざるを得ないかなあ」
「やっつける?」
「ううん、やっつけないよ」
「いいの?」
「うん」
「リサ、美遥のこと、嫌いじゃないの?」
「うん」

すっっと、琳太の瞳に宿っていた鋭い光が消えた。目をぱちくりとまたたかせ、いつもの琳太に戻る。
今のは何だったんだろう。琳太の表情に、違和感を覚えた。感情が薄いというか、冷徹というか。うまく言えないけれど、ほんの少しだけ、怖かった。けれどそれは一瞬のことだったから、反応する暇もない。気のせいかな、と思ってしまう方が自然に感じられた。

「よくわかんない、けど、リサがいいならいいや」
「うん?」

再び頬ずりしてきたする琳太を抱きとめる。ベッドに上半身を預けるようにして足をばたつかせている琳太だったが、やがて部屋に入ってきたはなちゃんが、琳太の両足を掴んで回収した。エビ反りになって上半身を空中でばたつかせている琳太。見た目のわりに結構な腹筋と背筋をお持ちのようだ。きついと思うんだけどな、その姿勢。
そう思いながら見ていると、やがて力尽きたのか、琳太はだらりと床に手を付けた。そのまま足を持ちあげられて逆バンジーの姿勢のまま、ソファへと運ばれていく。
1本釣りされた魚のように、琳太はソファの上にへにゃん、と横たえられたのだった。

一仕事終えた、というように小さく息をついたはなちゃんが、様子はどうだと聞いてくる。
さっきよりましだと答えると、はなちゃんは空になった器を見てうなずいた。

「まだ顔には熱がありますって書いてあるけど、まあ、寝ときゃ治るだろ。……いやすっげえ今更なんだけどその顔どうした」
「あ、この目のこと?」

はなちゃんがわたしの顔を凝視してくる。九十九にそうされたときはちょっと恥ずかしいかなってぐらいだったけれど、はなちゃんのそれは圧が違う。ガンつけられているといっても過言ではない。正直すっごく怖いです英さん。
眉間のしわを一生無くならないんじゃないかっていうくらいに深く刻んだはなちゃんが、ずんずんと近寄って来て、さらにわたしの顔を間近で見て、というか睨みつけてくる。
夕暮れの星が瞬き始めた時間帯のような瞳はとてもきれいだけれど、圧力がかかりすぎてきれいだなあと感じ入る余裕がない。

「まあまあ、説明はぼくがやるから。リサ、きみはもう寝なよ」

歯磨きはちゃんとするんだよ〜と言い残し、サツキは半ば強引にはなちゃんの背中を押して部屋を出て行ってしまった。そのあとを九十九がついていく。

「琳太、」
「ん……」

開いたドアの前で振り向いた九十九が呼び掛けると、琳太がむっくりと顔を上げる。仕方ないというふうに、しぶしぶ琳太はソファから身体を起こして九十九の後に続いて行った。

「おやすみなさい、リサさん」
「おやすみー!」
「おやすみなさい」

琳太達と共に過ごすようになってから初めて、ひとりの夜を過ごすのだと自覚した。いつも誰かがそばにいるというのは、落ち着かないところもあったというのは否定できないけれど、いざみんながいないとなると、少し寂しいものだ。
布団から這い出てみると、足の先がひんやりとする。ふんわりとした感触のスリッパをはいて、歯磨きのために立ち上がる。汗をかいてしまったから、身体がべたべたして気持ち悪い。本当はお風呂に入りたいけれど、そこまで体力は回復していない。立ち上がるだけで頭がぐらぐらするのだ。お風呂なんか入ったら転んでしまうかもしれない。
歯磨きをした後、タオルを濡らして身体を拭いて、バスルームに置いてあった着替えを手に取る。
自分が布団に潜り込む音しか聞こえない部屋の中で、わたしはゆっくりと目を閉じた。



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