のこされしもののうた‐04 

目を覚ますと、自分が寝たときと同じ場所の天井が見えた。寒くない。毛布と羽根布団とが、しっかりと自分の身体にかかっているのがわかる。重たくて暖かいそれの中で身じろぎすると、頬に自分の髪の毛がかかった。

そこで、思い出す。昨晩何が起きたのかを。
暖かい布団の中で、一気に自分の体温が下がっていくのを感じた。
昨日の夜、寝ていたとき、美遥が、わたしの髪の毛を食んでいた。彼がやたらとわたしの後ろ側に立つ理由、お風呂がきれいになっていたこと、すべてすべて、わたしの髪の毛を集めるためだとしたら。

きもちわるい。

仲間に、親しい者に、およそ抱くことのない感情が湧き上がってくる。そう思ってしまうことが申し訳なくて、でも一度思ってしまったら、その感情は拭いようもなくわたしの心にべっとりとはりついてしまった。
どうしてあんなことをしていたのかは知らない。お腹がすいている様子でもなかったし、進化する前はそんなことしていなかった、と思う。前からしていたなら、気付くチャンスはいくらでもあったし、わたしが気付かなくても他の誰かがきっと気付いていた。

だから、どうして。
後ろ髪引かれながら美遥を置いて行ったことの代償だとでもいうのだろうか。進化して、その思いが溢れ出てしまったとでもいうのだろうか。
今後、美遥にどうやって接すればいいのか全く分からない。声を聴くのが怖い。目を合わせるのも怖い。

胎児のように丸く、毛布にくるまって息をする。生ぬるく酸素の薄まった空気を何度も吸って、吐いて。頭がくらくらするけれど、顔を出すよりもましだと思った。寒さが、現実を突き付けてくるようで怖かった。

「リサ?」

低い、男の声が、毛布越しに伝わってくる。ドアの開扉音がして、スリッパをひっかけた足音が近づいてくる。

「起きてる……よな?」

はなちゃんが、わたしの丸まっているベッドの端っこに腰かけてきた。ぎしっと音がして、わたしの身体が反動で沈んで浮いた。

「美遥は別の部屋に行かせてる」

わたしが風邪を引いているからということでジョーイさんに頼んで、もう一部屋借りてくれたらしい。

「触ってもいいか?」

そこでようやく、わたしはそろりと布団から顔を出した。はなちゃんがわたしの顔を覗き込んでいる。節くれだった男の人の手が伸びてきて、わたしの額にあてがわれる。少し低い体温が心地よい。

「やっぱ下がってねえな」
「え?」

明らかに熱が出ているような対応をされ、びっくりして声が出た。その瞬間、猛烈にのどが熱く痛みだす。声を出したのがまずかったらしい。しゃがれた、水分のないぱさついた声で、のどが擦り切れる。どう考えてもこれは風邪だ。別の部屋を借りた理由は、はなちゃんのうまい嘘というわけではなかったらしい。

食欲はあるかと聞かれたが、寝起きだというのもあって何も食べる気になれない。何か温かい食べ物のにおいがするけれど、とくに食欲をそそられることはなかった。ただ、何も食べないというわけにはいかないので、ゼリーだけ口の中に流し込んで、薬を飲んだ。粉薬の苦さが舌の両端に染み込んで、自然と眉間にしわが寄る。昔から粉薬を飲むのは苦手だった。おいしい水を一気に飲んで苦さを押し流す。

「あり、がと……」
「おう」

幾分か潤ったのどで、声を絞り出す。それに対して短く返事をして、はなちゃんはすぐに部屋を出て行ってしまった。
そっけないような気もして少し寂しかったけれど、彼なりの気遣いだったのだと思う。普通ならおでこに触ってもいいか、なんて聞いてこないだろうし、なんなら問答無用でデコピンかましてくるくらいなのに。

「どうしたらいいんだろ」

誰も聞いていないからか、ぽろっと心の声が出た。
本当に、どうしたらいいのだろう。わたしはトレーナーで、美遥はポケモンで。でも、それが何だというのだろう。ポケモンがトレーナーの髪の毛を集めていた時の対処法なんて、そんなのどこにも載ってないに違いない。むしろ人間同士だったら何かしら大問題になっていてもおかしくないくらいだ。

少しだけ咳き込んで、喉の奥が苦くなった。もう寝よう。寝てしまえば、このけだるさもきっとマシになるはずだ。熱があると自覚した途端、身体が鉛のように重たくなった。ベッドに埋もれて、ずぶずぶと沈み込んでいく。布団を頭まで被ったからか、自分の呼気が熱くてくらくらする。かといって布団をはねのける力ももう残されていない。こういうときの布団ってどうしてこんなに重たいんだろう。
しびれるような、震えるような指先を自分の首筋にあてがえば、そのかすかに残った冷たさにほっとする。燃えるような首筋の熱を感じながら、わたしは瞼を閉じた。

夢を見ていた。
髪の毛をぐいぐいと引っ張られる夢だ。暑く照りつける灼熱の太陽と、それを覆い隠すようにして吹きすさぶ砂嵐。細かい砂の粒が混じった風に遊ばれるはずの髪の毛が、1本も残らず引っ張られている。抜けてしまうのではないかというほどには強くない力だけれど、淡々と引っ張られる一定のリズムが、わたしの心をざわつかせた。
振り向こうにも、髪の毛を掴まれてる以上、それはかなわない。

後ろに手を伸ばそうとするけれど、そこで、うなじに生き物の息遣いを感じた。途端に、動けなくなる。


「うしろのしょうめん だあれ」




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