Remember XXX‐10 

わたしの言葉を聞いた燐架さんが、思案顔でうなずいた。
さらさらと逆さまに流れ出す滝の音だけが響く。燐架さんのふわふわとしたツインテールが、ろうそくの火のように揺らめいた。

「そもそも代償がいつ支払われるのかもよく分かってないのね……でも、今、そういう自覚がないのならば、きっといつかその時が来るのね」

それを教えたかったのだと言って、燐架さんは少し、うつむいた。

「あのね、私、あなたのこと、応援してるのね。でもね、でもね、代わってあげられないの。代われるものなら、代わってあげたいのに、……!」

顔をくしゃくしゃにして、燐架さんがぎゅっとわたしの手を包み込むようにして握りしめた。今にも泣きだしそうな様子に、どうしたらいいのかわからなくなる。だって、理由がない。わたしが燐架さんに、応援される理由も、手助けされる理由だって、何一つ知らない。どうしてここまで想ってくれているのか、わたしはわからないのだ。

「なあ、その代償は本人が支払うっていう決まりでもあんのか?」
「いいえ、でも、私は送りだす側だったから。干渉できないのね」
「じゃあ、ぼくたちは代わりになれる?」
「九十九!?」

九十九の口から飛びだした言葉に、わたしは驚いた。けれど、九十九も、他のみんなの目も、決して冗談を言っているような雰囲気ではなかった。

「あなたたちが、リサにとって大切なものならば」
「そうか……」

自分が代償になると言わんばかりの口調で、九十九が深くうなずいた。そしてわたしの方をちらっと見てから、難しい顔で困ったように笑ってみせた。

「本人か、その周りの誰かの大切なものが代償なのね、どうやって選ばれるのかは、やってみなくちゃわからない。……行きの代償は冥斗だったの。でも、帰りの代償がどうなったのか、私はよく知らないのね。だから、気を付けて欲しいと思って」
「ちょ、ちょっと待って!お父さんが何!?」

予想外の言葉に、思わず大きな声が出てしまった。

「冥斗は幸運だったの。冥斗もね、私と同じ死神だったのだけれど、その力を失うことが代償だったのね」

お父さんがどういう仕事をしていたのか、全く知らなかったわたしとしては、燐架さんの言葉を聞き漏らさないことだけで精一杯だ。
お父さんも死神だった。そしてその力を失った。それはポケモンとして戦うことができない、ということなのだろうか。

「泉雅はね、死神になる者に力をくれるのね。魂を運ぶ力を」

それは普通のポケモンよりもずっと強い力で、それ故に過去、死神を狙った事件もあったとか。ギラティナは黄泉を治める王。その力は絶大で、死の世界における彼は比類なき力を持つ者だった。そんな力の一端を預かるのだから、きっと燐架さんもお父さんも、死神になる前から強かったんだろう。

「じゃあ、お父さんは普通のポケモンになったってこと、ですか?」
「そうなのね。一緒にお仕事できないのは寂しいけれど、運が良かったと思うのね」

片腕を持って行かれるよりもずいぶんと軽い代償のように思えた。運が良かったと燐架さんは言うけれど、本当にその通りだ。

「きっといつか、あなたか、あなたが大切に思う誰かが、代償を支払うことになるのね。それを、忘れないでいて。憶えていてほしいのね」

お父さんの死神の力。それがひとつ目の代償だとすれば、あと3つの代償が待っているはずだ。

「どうしてそこまでして、世界を越えたかったのかな……」
「当時は、あなたにとって、とても危ない世界だったからなのね」

人とポケモンが結ばれることなど、神話の世界の絵空事で、地方によっては、擬人化したポケモンですら受けいれられていなかった時代。今はその時よりも少し、寛容な時代にはなったけれど。それでも、差別や迫害がないとは限らない。
お父さんは、自分がポケモンだということを、わたしがポケモンと人間の間の仔だということを、かなり気にしているようだった。きっと、この世界では生きづらいだろうからと苦慮してくれたのだろう。

「不安にさせることしか言えなくて申し訳ないのね……」
「いえ、そんな……」
「ま、お前だけが代償を支払うってことでもなさそうだしな」
「……!」

なんでもないように、はなちゃんがわたしの肩を叩いた。そうだ。世界を越えたのはわたしとお母さんなのに、代償を支払ったのはお父さんだった。つまり、私がいることで、琳太たちにそのつけが回ってくるかもしれないのだ。

「えっ、あの、だったら、」
「リサさんにとって、ぼくたちが大切じゃないって言うのなら、話は別だけれど」

ずるい。大切じゃない、だなんて、言えるわけないのに。
唐突に突きつけられた“代償”の話に臆することなく、ゆるりと九十九は微笑んで見せた。あんなに臆病だった彼が、こんなに余裕のある表情をしていることが、頼もしくもあり、少し、寂しくもあった。

「じゃあ、おれ、ばんごはんのグラタン、がまんしたらいい?そうしたら、だいしょう、なくなる?」
「いや安すぎるだろその代償」

ちょっと眉根を寄せて、真剣な表情をしている琳太には悪いけれど、私は思い切り笑ってしまった。案の定琳太はそんなわたしを見てむくれている。自分は真剣に話しているのに!と目が語っていた。

「んふふ、いい人たちと出会えたのね」

口元を緩ませた燐架さんが、ぴょん、と岩から飛び降りる。時間がないわ、と言って、燐架さんがぐっと大きく背伸びをした。ふるふると頭を振ると、それに合わせてツインテールがゆらゆらと踊る。
金色の目が瞬いて、トパーズのように煌めいた。彼女が手をゆっくりと動かして空気を仰ぐような所作をする。それに合わせて、今まで好き勝手に浮遊していた岩たちが、ぴたりと動きを止めたのち、ぐるぐるとわたしたちの周りを囲みだした。一瞬、エレベーターが動き出した直後のような、微かな浮遊感に襲われて、ずっしりと身体が重たくなった。

「憶えていて。でも、悲嘆しないで。まだ分からないことに振り回されてちゃつまらないのね!」

さよなら、と燐架さんが手を振ると、ぐんっと身体が引っ張られる感覚がして、あっという間に燐架さんが遠くなっていく。

「また!また会いましょう!」
「……!」

わたしの言葉に、燐架さんが何と答えたのかはわからない。けれど、手を大きく振り返してくれたことが、何よりの答えだった。
いつか、燐架さん自身のことも聞かせてほしい。どうしてわたしのことを助けてくれるのか、どうやってお父さんと知り合ったのか。知らないこと、聞きたいことがたくさんあるから、自然と「また」という言葉が口をついて出てきた。
遠ざかっていく風景の中で、鮮やかな紫色だけが、いつまでもひとりぼっちで輝いているようだった。


 20.Remember XXX Fin.

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