Remember XXX‐09 

お腹を満たしたわたしたちは、再びタワーオブヘブンの頂上を目指した。美遥はずっとわたしの後ろに立って、がっしりと肩を掴んでいる。

「み、美遥、近い」
「リサ、いいにおいするぞ?」
「えっ?」

すんすん、と美遥が後ろで鼻を鳴らしているのがわかる。もう大きな猫が擦り寄ってきているように思ってしまえば楽なのかもしれない。ただ、身体が大きくなった分歩きづらいし重たいので、いつかちゃんと言っておかないと。

「静か、だね……」

ぽそりと九十九が呟いた。確かに彼の言う通り、不気味なほどに静かで、生き物がいるような気配はない。前に来たときはここまで肌寒い感じはしなかったのに。

「なんか、この前と違うような……」
「だれもいないね」

琳太の声がやけによく響くような気がした。今日はお墓参りに来ている人も見かけない。自分たちの足音、息遣い、服の衣擦れの音。それらが塔の中で反響しているようで、やけに大きく聞こえてくる。微かな音すらも逃しはしないという堅牢な壁が、どこまでも高くそびえ立っているようで、それに囲まれているのだと思うと、目眩がする。

そういえば、どこに行けば燐架さんに会えるのかを、わたしは知らない。ただタワーオブヘブンにいるということだけを頼りにやって来たものの、この前は会えなかったし、もしかすると隠し通路のようなものがあるのだろうか。

「燐架さん、どこにいるんだろう……」
「お前、場所聞いてねえのかよ」
「う、うん。すっかり忘れてた」

壁に手をつきながら、手すりのない階段をぐるぐると上っていく。下を見て、また目眩がした。見るんじゃなかったと思った瞬間、ぐらりと身体が揺れて、遥か下にある地面が見えた。吸い込まれていく。

「リサ!!」

わたしの肩を掴んでいたはずの美遥の手が、なびく髪の毛を掠める。

「ようこそなのね!」

ぎゅっと目をつぶったところで、華奢な腕に抱き留められて身体が浮いた。視界に映ったのは、淡い光に包まれた紫色のツインテール。耳元から聞こえてくるのは、嬉しげな少女のくすくす笑い。

燐架さんが、お姫様抱っこのようにしていたわたしの身体をたやすく放り投げて、荷物を持ち替えるかのように小脇に抱える。この華奢な身体のどこにそんな力があるのだろう。

「こんにちはなのね〜」

ちらっと顔を上げてみると、誰もが殺気立った顔をしていて頭を抱えたくなった。ただ、抱えられてこの姿勢では首を持ち上げている状態が長続きしない。首の骨から変な音がするまえに、わたしはさっさと身体の力を抜いて、この状況ごとすべて、燐架さんに預けることにした。

「リサたちとお話ししたかったから、ちょっと人払いしたのね」

燐架さんがあいている方の腕を一振りするだけで、世界が変わった。
無数の岩が漂い、滝は逆さまに流れ出す。萎れた花々が、風もないのにそよいでいて、一枚、また一枚と花びらを落としていた。浮遊する岩の群れの向こう側は、靄がかかっていてよく見えない。

一枚岩に着地した燐架さんは、ゆっくりとわたしを立たせてくれた。
いきなり宙に放りだされた琳太たちはというと、手近な岩にしがみついていた。

「ここどこだよお……?」

わたしと琳太は一度来たことがある場所だけれど、美遥たちにとっては初めての場所。何度来ても慣れることはない場所だと思うし、みんなが不安げな表情をしているのも納得だ。かくいうわたしもいきなり連れて来られて困惑している。ここで前に会ったのは泉雅さんだった。この場所を通してカノコタウンまで送ってもらったんだっけ。

「ここはやぶれたせかいに近い場所なのね」
「やぶれたせかい?」
「みんなが黄泉の国って言ってるようなところなのね!」
「え、ぼくたち死んだの?」

以前のわたしと全く同じ反応をする九十九。そういうわけじゃないのだと、燐架さんがかぶりを振る。

「ここが私の世界。私が守る場所。ゆっくり話すにはちょうどいい場所なのね」

近くにやって来た岩の上に腰掛けて、燐架さんが微笑む。足を組み、にこにこと笑う様は、本当に愛くるしい少女そのものだ。けれど、琳太以外はそわそわと落ち着かないようすで燐架さんのことを睨んでいた。

「どうしてぼくたちをここに?」
「ん〜、大切な話のため、なのね」

燐架さんは言う。リサは不安定な存在。人間でもポケモンでもない。さらには世界線すら越えたことがある。曖昧でどっちつかずで、はっきりしないもの、と。
そして、こうも続けた。
世界を越えるには代償がいる。本来あるべきものがなくなり、なくていいものがあるのだから。その代償が何なのかは、世界を越えてみなければわからない。

「私は境界を守る仕事をしているのね」
「境界?」
「私の境界は、生と死。生きているものと、死んでいるものの棲み分け。タワーオブヘブンはその境界線だから、こうして時々やってきては様子を見ているのね」

そうやって境界を守り、死者の魂をあるべき場所へと返す務めを果たしている存在は他にもたくさんいて、彼らは“死神”と呼ばれているのだという。

「泉雅が死の世界を守っているのね。だから、世界線を越えるようなことは許されない」
「でも、わたし……」
「そうなの。あなたたちは世界線を越えた。二度も。だからきっと、いつかそのツケがくるのね」

本来世界が交わりあうことなど、あってはならない。生と死の境界然り、別世界の境界もまた然り。

「腕一本かもしれないし、大切な記憶なのかもしれないし。……リサは、何が代償だったのね?」
「わから、ない……特に何かを失うようなことは、なかったと思ってる、けど」
「けど?」
「もしかして、お母さんの方に何かあったのかなって……」

代償を払った記憶はない。お母さんもお父さんも、サツキだって、特にそんなそぶりは見せていなかった。わたしが知らなかっただけなのかもしれないけれど。でも、わたしが何かを失ったことがないのだとすれば、多分、わたし以外の誰かが代償を支払っている。それも、二人の人間が世界を往復するだけの何かを。




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