Remember XXX‐05 

Nにバトルを挑まれなかったことにほっとしつつ、ポケモンセンターに戻ってみんなを休ませた。そして、わたしは予約していた部屋のベッドに思い切り倒れ込む。ふっかふか。ずぶずぶとシーツの中にめりこんでいく感覚がする。そのまま意識も失ってしまいそうだ。

眠い。ひたすら眠い。
どうすれば美遥とうまくやっていけるかを考えて、とりあえずひねりだしてみた結論が、アーケンという種族をよく知るということだった。今まで彼の言動に振り回されることはたくさんあったけれど、そういう性格云々以前に、美遥はポケモンで、わたしはトレーナー。それは揺るぎない事実なのだから、根本的な部分を理解することから始めてみようと思った。
その結果として、ジム戦はうまくいった、と思う。迷うことも不安なこともたくさんあったけれど、美遥が応えてくれたような気がして、とても嬉しかった。

「ね、むい……」
「リサさん?」

九十九の呼びかけも遠い。水中から聞いているようだ。
コンタクトを外すことも忘れ、わたしは重たいまぶたが閉じられていくのを感じながら意識を手放した。


……かと思えば、急にすっきりと目が覚める。
教室の壁にかかった時計をチラリと見ると、まだ授業開始から10分程度しか経っていなかった。6限目。本日最後の授業、世界史。わたしの席は窓際後ろから2番目。日当たりもいいし空が近くて開放的。辺りを見回せば、既に各々の夢の世界へ旅立っている人も多い。

まあ、わたしも夢の世界から帰って来たばかりなのだけれども。
目を落とすと、世界史の資料集が風に遊ばれてぱらぱらとめくれてしまっていた。特にこれといって読み込んでいたページがあるわけではなかったので、そのままにしておいた。

風がやみ、ページがはらりとあるページを開いた。荒々しい岩肌に、今にも激突しそうな双竜が描かれている。蒼い雷光と、紅蓮の炎。絵に触れた指先が、熱く、痺れる。
そして、どうしようもなく苦しいほどに、胸が痛んだ。こみ上げてくる何かがかたちになってあふれ出てしまう前に、わたしは絵から目を逸らした。

どうして、こんなにも懐かしくて、切ない気持ちになるのだろう。しらないしらない。こんな絵なんて。資料集に載っていることにも気づかなかったのに。初めて見た絵なのに。

心臓がうるさく飛び跳ねる。苦しい。たまらなくなって、腰に手を添えた。

「……?」

苦しいのは胸なのに、わたしはどうして腰に手を。あるはずのものがない気がして、腰のあたりをさぐる手が止まらない。そうだ、鞄の中だったかもしれない。
机の横にぶら下げたお気に入りの鞄に手を伸ばしたとき、終業のチャイムが鳴った。


いつもの帰り道。友達にカラオケ行こうって誘われたけれど、何となく気分じゃなくて断った。駐輪場にとめていた、青い相棒にキーを差し込んだとき、ぎゅっと誰かに手を握られたような気がした。
鍵を握っていない方の手を何度も見たが、その手には何もない。首をかしげつつ、自転車にまたがって家路につく。

校門からの下り坂が、わたしは大好きだった。正面に沈みゆく夕陽が見えて、自然と目を細めた。
長い髪がなびく。視線を感じて、一瞬目を見開いた。夕陽みたいな色をした、優しい目。知っている気がするけれど、きっと気のせいだ。今日はなんだか変な感じ。世界史の授業の時から、ずっと何かが頭の端に引っかかったまま。忘れ物をしてしまったような感覚がぬぐえないのだ。

置いて行かれたのは、16歳の自分だったりして。何せ今日は、17歳の誕生日なのだから。
くだらないことを考えて、わだかまりには気づかないふり。

遠くから近づいてくる遮断機の警報音を聞きながら、晩ごはんのことを考えた。きっとお母さんがケーキを用意して待ってくれてるはず。それともプリンかな。あのフルーツや生クリームがいっぱいのってるパフェみたいなやつ。あれの名前、何だったっけ……。

心臓が、止まったと錯覚した。

「りん、た……?」

知らない人の名前が漏れて、はっと口をつぐむ。知らない、人?わたし、知らないのかな。本当に、知らないのかな。
黒髪で、おでこがつるんとしていて、ひらひらのポンチョを着てる男の子。きれいなマゼンタ色の目をした、笑顔の可愛い男の子。踏切の向こうにいる男の子の、名前は、

「!」

もう一度名前を呼ぼうとしたとき、夕陽入りの目をした男の子が、控えめに手を振っているのが見えた。琳太は、どこにもいない。
まばたきひとつ。
今度は浅黒い肌をした、不機嫌そうな顔の男の子。モノトーンのゆるいシルエットの服を身にまとう男の子の瞳には、星がちりばめられている。
まばたきひとつ。
茶髪の小さな男の子。細長い瞳孔をいっぱいに開いて、今にも泣きだしそうだ。置いて行かないで、と言われた気がして、つきりと胸が痛んだ。
まばたきひとつ。
まばたきひとつ。

まばたきひとつ。

「こっちにいても、いいの」

紫色のツインテールが揺れて、華奢な手がわたしの肩に添えられた。後ろにいる彼女の表情をうかがい知ることは出来ない。ゆるくウェーブのかかった髪が、わたしのまっすぐな黒髪とまざりあって、けれど絡まることはなく、ほどけていく。

「あっちにいても、いいの」

耳元で、鈴の音のような声が響く。
りりりん、感覚に呼応して想起された、本物の鈴の音。鞄に括り付けられたそれに手を添えると、響きが閉じ込められて、くぐもった鳴き声になった。

「リサは、どっちにいても、いいのね」

両肩に乗せられた手がぐっと重みを増して、自転車ごとアスファルトの中に沈みこんでしまいそうだった。



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