クオリアの見た色‐03 

連れられるがままに洞穴の中を進んでいくと、進行方向にひとりの男が立っていた。その人は、わたしたちを取り囲んでいる2人よりもラフな出で立ちで、目深に帽子をかぶっていた。仄明るい洞穴の中で、淡い緑に色づく髪は、よく見覚えがあるものだった。

「Nさま、連れてきました」
「それと、報告がひとつ」

男たちはNへと何かを耳打ちし、少し頭を下げた。その内容は聞き取れなかったけれど、Nはさして怒っている気配もなく、むしろ少し喜んでいるようだった。

「では」

そう言い残すと、男ふたりの気配がまたたく間に掻き消えた。辺りを見渡しても、冷たい色の岩壁がほんのり光っているだけだ。

「今の連中はダークトリニティ。ゲーチスが集めたプラズマ団のメンバーだよ」

Nは両手を広げ、わたしを歓迎するような仕草を見せた。
ここでわたしを待っていたということは、あのデンチュラというポケモンの仕業とかいう邪魔なネットのことを、何か知っているのかもしれない。彼が妨害工作をしたということも、十分に考えられる。

「入り口にネットが張ってあったのは……」
「ああ、あれも彼らの仕業さ。デンチュラたちには逃げられてしまったらしいけどね」

きっと解放を望んでいたんだ、と言ったNの声は、僅かに弾んでいた。先程の報告とはデンチュラが逃げ出したことなのだろう。
Nは、心の底からポケモンの解放を望んでいるというのが、言葉の端々から滲んでいた。。けれど、彼だってポケモンを持っている。自身の目的が達成されたら、その後に開放するつもりなのだろうか。

「電気石の洞穴……ここ、いいよね。電気を表すのは数式、そしてポケモンとのつながり。……人がいなければ理想の場所だ」

Nは一旦言葉を切り、じっとわたしを見つめる。そこに敵意はない。ただただ興味深げに、わたしの反応を窺っているだけだ。わたしが何も言わないでいると、さらに彼は言葉を続けた。

「さて、キミは選ばれた……そう言うと驚くかい?」
「……どういうこと?」
「やはり意味がわからなくて、驚くこともできないか」

わかっていたさ、というふうにNはうなずく。彼は、わたしたちのことをゲーチスに話したのだという。すると、ゲーチスはダークトリニティを使ってわたしたちのことを調べ上げた。そうこともなげに言われて、わたしは背筋が粟立つのを感じた。見えない何かに、背後から首を絞められるような息苦しさに、足元がふらついた。

いつの間に、いつから、わたしは彼らに監視されていたのだろう。誰かに見られている感覚をおぼえたことなんて、鈴歌の時を除いて一度も感じられなかった。わたしが気付いていなかっただけならまだしも、もっと感覚の鋭い琳太たちが気付いていなかったのだから、相当入念に、密かに、監視されていたに違いない。

「チェレンは強さという理想を求めている……。ベルとやらは誰もが強くなれるわけではないという真実を知っている。でも、キミはどちらにも染まっていない、いわばニュートラルな存在……それが良いらしいんだ」

調べられていたのはわたしたちだけではなかったらしい。チェレンと、ベル。彼らまで監視されていたというのならば、もしかしてわたしの親は、サツキは……!

「この先でプラズマ団がキミを待っている。ゲーチスが、キミがどれほどのポケモントレーナーか試すそうだよ」
「待っ……!」

Nはわたしの制止も聞かず、言うだけ言って洞穴の奥へと消えていった。白っぽい、華奢な背中が見えなくなると、金縛りが解けたかのように、手に力が入る。慌ててライブキャスターを起動し、自宅の番号を押した。しばらくのコールの後、お母さんが電話に出る。

「あっ、お、お母さん」
「あらリサ、どうしたの?」
「えっ……と、」

まさか「監視されたりしてなかった?」だなんてストレートに尋ねるわけにもいかず、言葉に詰まる。何を聞いたら、怪しまれないだろうか。

「あの、お父さんは……?」
「お父さんならこの前からシンオウ地方まで出かけていて、しばらく帰って来ないって言ってたけど」
「あ、そうなの……!?」
「お父さんに何か用事?あら、あなたにお父さんの電話番号教えてなかったっけ」

お父さんがイッシュ地方にいないということは、お父さんまで監視されていたとは考えづらい。それならば、わたしがハーフだっていうこともばれずに済んだかもしれない。……ただ、こうなると心配なのはサツキの方だ。

「リサ、リサ、聞いてるの?」
「あ、ご、ごめん!お父さんいないならいいんだ!大した用事でもないから!」

これから洞穴を抜けなきゃいけないから、といって早々に電話を切った。これ以上はなすとぼろが出てしまいそうだったから。嘘をついたり、誤魔化したりするのは、あまり得意じゃないし、好きでもない。

「お前が何を心配してるのかはわかるけど、サツキなら大丈夫だろ」
「そうかな……」
「きょうだいなのは事実だけどよ、さすがに血縁関係までは見抜けないと思うぜ。人のもとに居るポケモンは人間のことを親だって思ってても何ら不思議じゃない。人間のことをお母さんって呼んでもまあ、違和感はないと思うぜ」

はなちゃんの落ち着き払った声が、わたしのざわついた心をなだめてくれる。
そうか。わたしはポケモントレーナーで、琳太たちの「おや」だ。だから、サツキとお母さんの血が本当に繋がっているかどうかなんて、傍から見ればトレーナーとポケモンの関係にしか見えない、そういうことだ。

だから、きっとサツキは大丈夫。自分のことばかり考えていたから、周りから自分がどう見られているのかなんて全く考えている隙がなかった。

「はなちゃん、ありがとね」
「ん、ああ」

わたしのこともお母さんって呼んでいいいよ、と言えば、ばかと言われてしまった。
半分冗談で「おかーさん!」と飛びついてきた琳太を抱きとめてから、Nの去った方向をじっと見つめるが、ただほの明るい岩々が浮かんでいるだけであった。



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