金色の海に溺れる‐07 

真っ黒な手に引き倒された男が、ギラギラした目でわたしの足首を鷲掴みにしていた。必死に足を引っ張るも、ずっと硬直していた身体からは、思うように力が出ない。影の手が男を引き留めようとする度に、わたしの身体も引きずられる。転ばないようにするだけで精一杯だった。

「逃がさねえ……!」

男が渾身の力を振り絞ったのだろう、絡みついた手を振りほどいて、もう片方の手を振り被る。その手には鋭いナイフ。そのころにはもう、男の腰から下は真っ黒で、影に飲みこまれていた。道連れにする気だ。

「放し、てっ!!」

もがくことをやめない足が、急に空気を蹴り抜いた。思わずバランスを崩したものの、足のあった場所にナイフか突き立てられ、硬い音を立てたのが見えて、反射的に走り出した。前へ、前へ。

男と同じように、ガマゲロゲは黒い手に捕らわれてもがいている。シンボラーは、大丈夫。影はわたしたちを襲うそぶりを見せていない。
振り向く余裕はない。ほとんど倒れ込むようにしてモンスターボールの転がっているところまで駆け寄ると、次々にボールが開いて出迎えてくれたのだった。情けない足のまま駆けて、はなちゃんの背中にもたれかかる。重たいだろうに、ごめんね。

わたしと入れ替わるようにして、九十九と琳太が飛びだした。向かうはドリュウズのいた所。彼らを追って振り向いた先で、ようやくわたしは先ほど何があったのかを知る。
メグロコが、ドリュウズと対峙していた。おそらくシンボラーに助けを求めていた、あのメグロコだろう。九十九と琳太の加勢もあってか、あっという間にドリュウズは戦闘不能になっていた。

ガマゲロゲも男も、数多の這い寄る手によって、一切身動きを許されないほどに締め付けられている。そのまま絞殺されてしまいかねない勢いだ。そのまま影に飲みこまれて、やがて、その影すらもどこかへ消えていった。唯一、4本の手が残っていたが、そこには男が盗み出したというタマゴがあった。

再び宙を舞ったシンボラーが、影の手の前に降り立ち、人の姿をとった。うやうやしく、雪の結晶に触れるかのような柔らかい動作で、タマゴを受け取るシンボラー。それだけで、あのタマゴが並大抵のものではないと分かる。
役目は終わったとばかりに引っ込んでいく影は、手を振るように揺れていた。

足元で震えている美遥の頭を撫でながら、どこか神秘的な儀式のようだとその光景を眺めていると、シンボラーと目が合った。

「こげな苦労かけてしもて、ほんに申し訳ない……すぐに治療せんと」
『リサ、リサ!』

だっと駆け寄ってきた琳太を受け止める。ぐらぐら揺れる瞳でわたしを見上げてくる九十九には、ちょっと笑ってしまった。

足の震えも痺れも消えて、しっかりと地に足を付ける。一体男たちがどうなってしまうのかはわからないけれど、わたしが気にすることではないのだろう、多分。

シンボラーがゆっくりとわたしたちのところへ歩み寄ってきた。それから、じろじろとわたしの周りをまわって、怪我の具合を確認してくれる。何となくひりひりする感じはあるけれど、そこまで深い傷は負っていないはずだ。

「服がぼろぼろになってしもうたねえ………」
「ほらよ」

わたしも気にしていたことをシンボラーが言うと、ばさり、真っ白な布が掛けられた。はなちゃんのものだ。

「い、いいの……?」
「そんな格好痛々しくて見てらんねえよ」
「あ、ありがとう」

なんとなく、タンクトップ姿のはなちゃんをじっと見ていられなくて、視線を逸らした。
ほっとした様子のシンボラーが、大事そうにタマゴを抱え直す。それ自体が光っているのではないかと錯覚してしまうくらいに、真っ白なタマゴ。点々と散らされた朱色が、鮮やかな彩りを添えていた。
わたしの視線に気づいたシンボラーが、そっとタマゴを差し出した。持っても、いいのだろうか。あんなに繊細で、慎重な扱いをしていたタマゴに、部外者のわたしが、触れてもいいのだろうか。

いつまでも腕を差し出したままで居させるわけにもいかず、そっと両手でタマゴを受け取った。重いような、軽いような、不思議な感覚。つるりとしているのに、取り落しそうなほどに滑らかではない。片方の手で下から支えて、もう片方の手を、そっと撫でるようにすべらせた。シンボラーの体温が移っているから、とは言い難いほどにしっかりとした体温を持ったそれは、確かに、生きていた。

「わ、動いた」
「なんじゃって!?」

思わずといった風に大声を出したシンボラーは、わたしとタマゴを交互に見比べていた。

「本当に、動いたん?」
「え、は、はい。だってほら、」

抱えたまま、シンボラーに近付く。彼の指先がタマゴにかかったとき、再び、タマゴが微かに揺れた。

「……!」

驚きで目を見開いたまま、シンボラーはしばらくそうしていた。その間にも、タマゴはときどき気まぐれに動いては、生きていることを伝えてくれていた。

「今まで、一度もこのタマゴは動いたことがなかったんよ」
「えっ」
「それなのに、あんたが触れたら動き出した……」

たまたまじゃないですか。そんなわたしの言葉を、シンボラーは真っ向から否定した。そんなことはない、と。

「わしが生まれる前から、そのタマゴは動いたことがなかったと言われちょるけえ」

シンボラーが何歳かは知らないけれど、きっとそれは、相当前なのだろう。ポケモンの擬人化した時の容姿は、彼らの実年齢と必ずしも一致することはない。現に、サツキは片手で足りるほどの年数しか生きていないのに、わたしと変わらない背格好なのだ。その逆があったって、何ら不思議ではない。

「タマゴは、元気なポケモンと一緒にいれば孵る……」

育て屋で知った知識のひとつだ。これには生みの親が世話できる状態ではない、という前提がある上に、少しだけ、言葉が足りない。だって、これだけの条件ならば、いつ孵ってもおかしくないのだ。ここにはシンボラーをはじめとした、たくさんのポケモンたちがいるのだから。

「あんたが連れ歩いてくれたら、いつかは生まれてきてくれるかもしれんねえ」

タマゴの孵化には“おや”が必要。つまりは、そういうことなのだ。




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