金色の海に溺れる‐06 

ぐらりとよろけたわたしの身体を、荒々しく長い爪が受け止めた。かと思えば、腹部に回されたそれが荒々しくわたしを地面に引き倒そうと、体重をかけてくる。なすすべもなく尻餅をつく形で、わたしはドリュウズにとらわれてしまった。腹部、それから首元に、鋭い爪があてがわれる。頬のすぐ横には、ドリュウズの頭。触れればそれだけで裂けてしまいそうだ。喉の奥が引きつり、うまく息ができない。

首元の腕が一瞬離れて、わたしの腰についていたボールを乱暴な動作で振り払う。硬い床をころころと転がったボールは、琳太の足元で止まった。

『リサ!!』

泣きそうな声で琳太が叫ぶ。反応したかのように、3つのボールが弾けた。出てきた九十九たちもこれまでにないくらい不安そうで、表情が凍り付いていた。はなちゃんの混乱状態は元に戻ったようで、それだけが幸いだと言える。でも、本当にそれくらいしか、幸いなことは何ひとつとしてなかった。

わたしに駆け寄ろうとした美遥を、九十九が引き留める。ばたばたとはじめは暴れていた美遥だったけれど、はなちゃんが短く何かを呟いた直後、すぐに大人しくなった。
その後ろで男がにやりと笑う。ドリュウズにわたしを狙うよう仕向けていたような男だ。きっととんでもないことを考えている。

「よくやったドリュウズ。いいかお前たち、妙な動きするんじゃねえぞ。……そこのお前も降りろ」

シンボラーが力なく地面に降り立ち、ぺったりと地面に羽を付ける。そんなことをしたら、きれいな羽が汚れてしまうのに。そして無慈悲にも、その羽をガマゲロゲがどっしりと踏みつけた。短く悲鳴を上げたシンボラーは、もがくこともなくされるがままだ。見たところ翼を折るためではなく、あくまで動きを抑えるために体重をかけているようだけれど、男の機嫌次第では、一生シンボラーは飛べなくなってしまうだろう。……わたしの、せいで。

「そこのちびっこいポケモンたちも、動けばお前らのトレーナーがどうなるかはわかってるよな?」
『下衆が……!』

琳太たちの動きが完全に止まったのを確認してから、男がまた口を開く。

「よし、お前らは俺が飼ってやる。ボールに戻れ!」

身ぐるみ剥ぐ気だ。その指示に、琳太たちが素直に従うことはなかった。戸惑うようにわたしと男を交互に見て、それから足元へと視線を落とす。暗緑色の球体が、琳太の足元で揺れている。

「早くしろ!じゃねえと……ドリュウズ!」
「っ!」

首元にあてられた爪が、ほんの少しだけ食い込んだ。痛いはずなのに、それすら感じられない。もう目を閉じてしまいたかったけれど、それでは全て投げ出すような気がして、許せなかった。
ずかずかと、男がわたしのもとまでやって来る。それを睨みつけることしか出来ない琳太たちを見て、さらに申し訳なさが募っていく。

「よーしいいぞドリュウズ」

そしてドリュウズを突き飛ばすようにして、男はわたしを荒々しく掴んだ。金属の軽く擦れる音がして、歪な曲線を細かくいくつも含んだサバイバルナイフがぬらりと光った。見せつけるようにゆっくりと、冷たいものが鋭い爪の代わりにあてがわれる。本気でわたしたちを脅しにかかっているのだ。

まず真っ先に動いたのは九十九だった。はなちゃんが続き、それから琳太と美遥がほぼ同時。次々とボールの中に吸い込まれていき、びくともしなくなった金属の塊が4つ。そこで男は首をかしげる。シンボラーのボールがない。それはそうだ。だって、わたしはシンボラーをゲットしていないのだから。

「おい小娘。シンボラーのボールはどこだ?」
「そ、その子は、わたしのポケモンじゃな」
「くだらねえ嘘ついてんじゃねえぞ!!」

男の怒号に合わせて、カタカタとボールが揺れた。恐怖と、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。わたしがこうして足を引っ張らなければ、琳太たちは戦えるのに……!

「……文字通り、身ぐるみ剥いでやるよ」

どうしてそんなことを、平然と、笑いながら言えるのだろう。
シンボラーが小さく鳴いて羽を震わせるが、ガマゲロゲは微動だにしない。それどころか翼の、より根元の方を踏みつけ直すように足踏みをした。それを男が褒めるような言動をしていて、更に気分が悪くなる。耳もとに響く声すら不快でならない。

いつのまにか、ぐっと拳を握りしめていたせいで、爪が手のひらに食い込んでいた。けれど、それが気にならないくらい、ひりつく痛みが腕に、鎖骨に走る。裂けたブラウスから、うっすらと赤が滲んで広がった。

「これ以上傷モノになるのは嫌だろう、嬢ちゃん」

猫なで声に吐き気がする。こめられる限りの力でこぶしを握り、歯を食いしばり、男を睨んだ。男はそんな私の態度が気に入らないのか、笑みを崩したかと思うと、ぎょろりと目を剥いてわたしを見下ろした。

「早く言う事聞けっつってんだよ!!」

耳を直接刺激する怒号が、部屋中に響き渡って弾け飛ぶ。
それと同時に、今までにないくらい、腕に深くナイフが食い込んで、詰めていた息を吐き出しそうになった。だめだ、だめだ、今ここで力を抜けば、泣いてしまう。

けれど、下を向いて、自分の髪に覆われた狭い視界。そこに移った石畳には、2粒だけ、濡れた跡が残っていた。その涙の染みがぐるぐると渦を巻いているような感覚にとらわれる。軽い目眩。それから、どこが光源かわからないこの部屋で、わたしの落とした影がかすかに揺らめいた。

「うぎゃあ!?」

男の情けない悲鳴に、勢いよく顔を上げる。
黒い影が、いくつもわたしから伸びて、手のかたちを取り男を雁字搦めに捉えている。わたしだけじゃない。モンスターボールからも、シンボラーからも、いくつもいくつも、光を求めるように真っ黒な手が這いだしているのだ。

それから、わたしの足元に再び衝撃が走る。硬い地面が盛り上がり、わきにいたドリュウズがバランスを崩した。男は影を振り払おうと必死で、わたしから注意が逸れている。今しかない。わずかな隙を突いて、痺れた足に力をこめて、前へと踏み出す。お願い、動いて。
一歩目はよろけ、膝をついてしまったものの、男の腕から抜け出すことに成功した。もう一歩、というところで、足首をがっしりと掴まれた。




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