絵空事の握手‐08
アーケンはぴょこぴょこと跳ねて興奮しているようだった。かと思うと、一目散にわたしの足もとへと駆け寄ってくる。
「ありがとう、アーケン!」
『へへっ!なあなあ、次も勝てたらおいら、ごほうびほしい!』
「ごほうび?」
『うん!』
何を求められるのか、全く予想がつかなかったけれど、わたしにできることかと尋ねると、アーケンは首を縦に振った。
『リサにしかできないこと!』
そう言って、かすり傷だらけの顔で笑うアーケン。一体何が欲しいというのだろう。けれど、やる気が出るというのならそれでいいのかもしれない。
「やるねえ……じゃあ最後はこのコでいくよ!」
アーティさんの最後の一体。ハハコモリと呼ばれたそのポケモンは、優雅に細い身体でバトルフィールドへと降り立った。
ちらりとアーティさんの方を振り仰ぐその姿からは、彼らの間にある信頼関係が見て取れる。
「アーケン対ハハコモリ、試合開始!」
アーケンは耐久性に優れているわけではない、どちらかというと素早さと攻撃で押し切るタイプだ。そして、それは向こうも同じだったようだ。
「でんこうせっかからつばさでうつ!」
「近づけさせるな、はっぱカッターだ!」
鋭い緑の刃が、無数に飛び散る。これでは近づく前にアーケンの体力が尽きてしまうかもしれない。
「いわおとし!隠れて!」
落とした岩の影に小柄な体躯を忍ばせて、はっぱカッターを凌ぐ。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。はっぱカッターが途切れた瞬間を狙って、アーケンが岩陰から飛び出した。
「げんしのちから!」
こちらにだって遠距離攻撃の手段はある。不思議な念力のようなもので浮かび上がった岩たちが、うなりを上げてハハコモリへとのしかかった。全てが命中したわけではないけれど、わずかにハハコモリの動きが鈍る。
「でんこうせっか!」
今しかない。近づけば、否が応でも互いに接近戦となるだろう。そうなれば、相性の有利なアーケンに、わずかでも分があると、そう願ったのだ。
こうそくいどうで上げていたスピードのおかげもあって、でんこうせっかは勢いよくハハコモリの腹部に当たり、細い肢体をはね飛ばした。
「つばさでうつ!」
「いとをはく!」
『んぎゃ!?』
アーケンの両翼が、白く粘着質な糸によってがんじがらめにされてしまった。うまくバランスが取れないのか、若干ふらついている。それでもアーケンは、突っ込むことをやめなかった。アーケンがひるんだすきに、すかさず体勢を立て直そうとしたハハコモリだったが、間に合わなかったようだ。
「ついばむ!」
翼がだめなら口だ。大口を開けて、アーケンはハハコモリに突っ込んだ。
ハハコモリが起き上がることはない。その事実を認識した時には、けろりとした顔でアーケンが目の前までやって来ていた。包帯のように白い糸でぐるぐる巻きにされた翼のままで、よたよたと、とても嬉しそうに。
「ハハコモリ、戦闘不能!よってチャレンジャー、リサの勝利!!」
「ぬうん……!?負けちゃったよ」
勝てた。審判の高らかな宣言と、ハハコモリをボールに戻すアーティさん。見て、聞いて、ようやくわたしは、目の前の勝利を噛み締めることが出来た。
「アーケン、おつかれさま!」
『おう!今すぐごほうびほしいけど、やっぱ、ちょっと疲れた……』
重たい翼を地面にぺったりと付けて座り込むアーケン。ねぎらいの言葉をかけてから、モンスターボールの中へと帰ってもらった。
「良いバトルをありがとう。これジムバッジ!」
「ありがとうございます……!」
手渡されたのは、ビートルバッジ。虫の翅をかたどった、淡い緑が美しいバッジだった。
「きみならきっと、この先も大丈夫だね。頑張って」
「はい!」
お礼を言って、それから慌ててポケモンセンターを目指す。のんびりしちゃいられない。九十九とはなちゃんは、ぼろぼろなんだから。
ポケモンセンターへと駆けこんで、用を済ませたらロビーのソファで時間をつぶす。思いの外軽傷で済んだアーケンと琳太が両側にいて、2人とも満足げにミックスオレを口にしていた。どちらも床に足が届いていなくて、ぷらぷらさせている。
「ねえ、アーケン。ごほうびのことだけど……」
「そう!ごほうび!」
「なにが欲しいの?」
「おいらね、おいらね……」
話を振ると一気に目を輝かせたアーケンだが、すんでのところで顔を俯かせた。もじもじとミックスオレの缶を握りしめている。足のばたつきが少し激しくなって、それから、ぱったりとやんだ。
少し縦に長い、彼の真っ黒な瞳がわたしをいっぱいに映す。
「おいらね、おいらにもね、名前、ほしい……!」
子どもがおもちゃをねだるような、憧れと期待と、それから、与えてもらえるだろうかという不安の入り混じった声音だった。
「……いいの?わたし、アーケンの住むところが見つかったら、」
「いい!ほしい!みんな持ってるのにおいらだけないんだもん」
いじけた表情に、思わず笑みが零れる。アーケンが欲しいと言っているのだから、それでいいんだ。約束したんだから、守ろう。それに、……。
「わたし、実はね、アーケンにつけたい名前を考えてたんだ」
「ほんと!?」
わたしから言い出すと、縛ってしまうようで気が引けていた。けれど、アーケンが欲しいと言うのだから。
何を見ても新鮮な反応を示して、目を輝かせ、素直に驚いているその姿がとても印象的だった。だから、一緒に旅をして、はるか遠くの美しいものも、その目に映して欲しいと思ったのだ。
「美遥、でどうかな」
「みはる?」
目を瞠る。出会って間もない彼が、わたしに見せてくれたたくさんの表情の中で、一番素敵だと思ったもの。まっすぐに心を開いて感動する、その仕草。
みはる、みはる、……。何度か呟いて、口に馴染ませているようだった。それからぎゅっと、わたしのお腹を圧迫するように抱き着いて、頭を押し付けてきた。
と、いうことは……。次の瞬間、予想通りに琳太も飛びついて来た。二人の頭に手を置いて、かき混ぜる。両側から嬉しそうな声が上がった。
「おいら、今から美遥な!」
治療を終えて帰ってきた九十九とはなちゃんに、そうやって美遥が胸を張るまで、あと少し。
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