絵空事の握手‐04 

潮風が鼻をくすぐり、磯の香りを置いていく。

どういうわけか、アーティさんに連れられてやってきた波止場には、ベルがいた。そわそわと落ち着きがない。よく見ると目元が赤いが、もしかして彼女に何かあったのだろうか。育て屋の前で起きた一件を思い出す。あの時、ベルは直接の被害者ではなかった。じゃあ、今回は……?
ベルの隣には、幾分か彼女よりも年下の女の子が立っている。小麦色の肌に、幼いながらも凛々しさをにじませた顔つきだ。

「プラズマ団……このコのポケモンを奪ったって」
「えっ」
「リサ、どうしよう!あたしのムンナ……プラズマ団に盗られちゃったあ」

アーティさんの言葉に、一気に心が曇る。まんまるの瞳に大粒の涙を浮かべたベルが、両手を伸ばして抱き着いてきた。しっかりと受け止め、安心させるようにやさしく背中を叩く。実のところ、わたしだってかなり動揺しているけれど、ベルの比ではない。彼女は。大切なポケモンを奪われてしまったのだから。

ベルの震えている肩越しに女の子の方を見る。名前をアイリスというその女の子は、ベルの悲鳴を聞きつけて、プラズマ団を追いかけてくれたのだという。しかし、この雑踏の中では捕まえるのが困難で、ついに見失ってしまったらしい。顔中に悔しさをにじませる彼女に、アーティさんがなぐさめの言葉をかけた。

「アイリス……きみは出来ることをしたんだから」

「……でも、ダメだもん!ひとのポケモンを盗っちゃダメなんだよ!ポケモンと人は、一緒にいるのがステキなんだもん!お互いないものを出しあって、支えあうのがいちばんだもん!」

そのまっすぐな言葉に、心を打たれた。迷いのない口調、真剣な光を灯す瞳。その幼さゆえに、簡単な飾らない言葉であるがゆえに、こうまで心に届いたのか。それとも、裏も表もないようなきっぱりとした性格がそうさせるのか。何にせよ、胡散臭さを感じさせない彼女の声と表情は、純粋に好感の持てるものだった。

「……アイリスちゃん」

涙声で、ベルが彼女の名前を呼ぶ。少し落ち着いたのか、ありがとうと言ってベルはわたしからそっと身体を離した。

「ボクたちがポケモンを取り返す。ね、リサちゃん?」

しかと、アーティさんにうなずきを返す。ベルが被害に遭っているというのならば、アーティさんたちばかりに任せっきりにしているわけにはいかない。それに、探すというのならば人手が多い方が得策だ。

「……とはいえ、このヒウンシティで人探し、ポケモン探しだなんて、まさに雲をつかむ話。やれやれどうし」
「何でジムリーダーがいるの!?」

その場の誰もが思った。これはチャンスだと。突如としてプライムピアに現れたのは、味を占めてもう一度ベルからポケモンを奪おうとやって来たプラズマ団の女だったのだ。大人しくムンナだけで我慢しておけば、尻尾を出さずに済んだかもしれないのに。いや、わたしたちとしては好都合でしかないのだけれど。

ばたばたと慌ただしい足音を立てて逃げ出したプラズマ団のしたっぱを、わたしとアーティさんが追いかける。アイリスという少女は、ベルのボディーガードとしてその場にとどまるとのことだった。


「んぬん、ジムの方向だな!?」

コンパスの長さと土地勘ゆえか、わたしとアーティさんの距離はぐんぐん開いていく。人と人の隙間を縫うようにして、どうにかこうにか彼に追いついたとき、プラズマ団の団員たちはアーティさんを囲んでいた。何やらもめている様子だが、明らかに建物の入り口をふさぐようにして立っているのだ。奥に何か隠しているのはわかりきっている。

うまいこと穏便に事が進む、なんてことはなく、結局プラズマ団の方が先にしびれを切らしてモンスターボールを放り投げてきた。

「リサちゃん、そっちをお任せするよ!」
「は、はい!」

ジムリーダーで顔の割れているアーティさんの方に、複数のプラズマ団のしたっぱたちが勝負を仕掛けている。対してわたしの相手は1人だけ。警戒の度合いが違うのは当然のことだ。複数人を相手にしなくて済んだので、アーティさんにそっと心の中で感謝する。

「いけ、メグロコ!」
「りん……」
『おいらやってみたい!』

わたしの手がダークボールに触れる前に、新品のモンスターボールが弾けた。意気揚々と勝手に飛び出してきたアーケンくんは、ぽてっとわたしの目の前に着地する。

ヤグルマの森を抜けるときも、わたしはアーケンくんをバトルに出さなかった。なんとなく、借りているポケモンのような気がしてためらわれたのだ。
でも、アーケンくんがやりたいと言っているのだから、そうするべきなのだろう。

「アーケンくん、……ううん、アーケン、よろしく!」
『おう!』

がちがちと歯を鳴らして、アーケンを睨むメグロコ。硬いアスファルトに覆われた地面では、穴を掘る技はそうそう使えないだろう。

「アーケン、でんこうせっか!」

先手必勝とばかりにアーケンが地を蹴り、一直線にメグロコへと突っ込んでいく。メグロコは、大きく口を開けてアーケンを迎え撃とうとしていた。

「跳ねて、かげぶんしん!」

でんこうせっかの勢いで飛び上がったアーケンの身体が、無数の残像となりメグロコを惑わす。つばさでうつを指示すれば、重力落下に合わせてアーケンは綺麗に技を決めてくれた。
一度距離をとったアーケンが、ちらりとこちらを振り返って、得意げに笑う。

「アーケン、前!」

けれど、まだ終わっていない。頭を左右に振って、メグロコが動き出した。

「メグロコ、どろかけだ!」

広範囲にわたって飛び散る泥は、影分身を牽制するものだったようだ。避けるために後退したアーケンに、メグロコが大きな口を開けて迫る。

「いわおとし!」

直接攻撃を仕掛ける前に、ワンクッション。そのつもりで口にしたわざだったが、当たり所が良かったのかメグロコは目を回して倒れてしまった。勝負あり、だ。
アーケンの初陣は実にあっさりしたものであったのだった。




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