浮世は眩し‐03 

まだひとつも傷が入っていない、まっさらな開閉ボタンをゆっくりと押す。何度も見てきた赤い光が飛び跳ねて、デスクの上へと着地した。

『あー狭かった!!ん?あんた、だれ?』

短い羽をばたつかせて、そのポケモンが口を開ける。ずらりと生えそろった小さな牙は、本気で噛まれればかなり痛そうだ。よくよく見ると、羽の先にも数本、爪のようなものがついていて、ぱっと見れば鳥のような姿なのに、どこかちぐはぐだった。
歯のある鳥というと始祖鳥が思い浮かぶ。きっとこちらの世界で言うところの始祖鳥が、目の前にいるポケモンなんだ。

《アーケン。さいこどりポケモン》

図鑑を向けると解説が流れ出した。ステータスを見ると、一応飛行タイプではあるものの、飛ぶことはできなかったらしい。まあ、この小さな羽では無理もない。ぱっちりと丸い目が数度まばたきをして、わたしを見た。

「こんにちは。わたしはリサっていうの。アーケンくん、でいいのかな。これからよろしくね」

もし彼が望むのならば、わたしはアーケンくんをリゾートデザートまで送り届けてお別れしようと思っている。彼が故郷と思しき場所に行って、そこを懐かしい、恋しいと思うのならば、そこで暮らすのが一番だから。そうするのがアーケンくんにとって幸せなんだと思う。

こつこつとデスクの上で爪を鳴らして、アーケンくんが首をかしげる。

『なあなあ、あんたがおいらを起こしてくれたのか?』
「えっ?」

違うよ、と言いそうになったけれど思いとどまる。今ここで返事をしてしまえば、わたしがポケモンと話せることがばれてしまう!色々話したいことはあるけれど、場所を変えるべきだ。

「ええっと、あの、お世話になりました!」

慌ててアーケンくんをボールに戻し、スタッフルームを後にすることにした。アーケンくんのボールががたがたと震えているが、無視だ。ごめんねアーケンくん。心を鬼にして、けれど顔には精一杯の笑みを貼りつけて、アロエさんと受付のお姉さんに頭を下げる。

「困ったことがあったらいつでも連絡するんだよ!」
「はい、ありがとうございました」

アロエさんから借りた本の間には、彼女のライブキャスターの番号を記したメモが挟まっていた。それをわたしはありがたく自分のものに登録させてもらっている。それだけで随分と心強くなったものだ。

博物館内は歩いて、外に一歩出てからは小走りで。人気のない路地裏へと身体をすべり込ませて、そこでようやくわたしはアーケンくんのボールを投げた。

『あーやっと出られた!えーとそれで、あんたはリサだっけ?』
「うん。あなたのトレーナーになったの」
『とれーなー?とれーなーって何だ?』

化石から復元されたということは、もしやポケモントレーナーという概念が存在していなかったような時代に生きていたのだろうか。これは説明に手間取りそうだ。

「トレーナーはポケモンと一緒にごはんを食べて、寝て、いろんな場所を旅するの。仲間って言ったらわかってもらえるかな」

アーケンくんの目線に合わせて膝を折り、目を見て話す。落ち着きなく動かされていた彼の尻尾が、ぱたりと動きを止めた。その様子に敵意は見られなくて、ひとまずほっとする。

『うーん?よくわかんないけど敵じゃないならいいや!それで、おいらのおうちはどこだろう?』
「アーケンくんの住んでいた場所はわからないけれど、あなたが化石として見つけられた場所ならわかるよ」
『かせき?』
「アーケンくんは、ずっと長い間寝ていたの。だから、アーケンくんの知らないうちに、世界はきっと変化してしまっている。だから、もうアーケンくんが知ってる場所は少ないかもしれない」

わたしの言葉を聞いて、アーケンくんはしょんぼりとうなだれた。無理もない。目覚めてみたら自分の知っているものは何一つとしてなくて、見知らぬものばかりに囲まれて。不安でいっぱいの顔を見て、少し前、この世界に来たばかりのわたしの面影がちらついた。

放っておくという選択肢はそもそも存在しないことを、改めて認識する。アーケンくんに帰巣本能のようなものがあって、自分一人でも故郷に帰れる力があるならば、わたしと一緒に来る必要はない。けれど、彼はひとりぼっちで何も知らない。目覚めたというよりは、生まれたと言う方がきっと正しいのだろう。

それに、旅をするなら仲間が多い方が心強い。わたしの目が行き届くかは不安だけれど、はなちゃんと九十九はしっかりしているし、琳太だって手のかかる子という印象はない。むしろわたしの方が彼らに頼ってばかりいるくらいだ。

「アーケンくん、リゾートデザートに行こう。あなたはそこで眠っていたんだって」
『そこがおいらのおうち?』
「今のところそうなるかな……」

まあ、おうちと言って間違いないだろう。そこがアーケンくんの生きていた時代にジャングルだったのか、それともすでに砂漠だったのか、はたまた別の何かだったのかはわからない。けれど、行ってみる価値はあると思う。

「わたしは、わたしたちはアーケンくんと一緒にリゾートデザートまで行こうと思っているんだけど、どうかな」
『行く!おいら、ここがどこか全然わかんないし、空も飛べなくて遠くまで行けないし……だからつれてって!』

すぐにうなずいてくれたアーケンくんに、これからよろしくねという気持ちを込めて手を差し出せば、羽ではなく頭をすり寄せてきた。くすぐったそうに鳴き声を上げるアーケンくんを撫でていると、琳太が勝手に飛び出してきて、わたしの両手はふたつの頭で塞がってしまったのであった。




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