退き潮は寄るばかり‐06 

「あのね、リサ」

わたしの鼻を啜る音が時折響くだけだった部屋に、ようやく別の音が生まれた。掛け布団をきつく握りしめたわたしの手に、そっと琳太の手が重ねられる。あたたかくて、少し、わたしよりも小さな手。思ったよりも強く、琳太の手はわたしの手を掴む。涙でぐしゃぐしゃな顔を上げると、夕焼けよりも鮮やかな瞳がわたしを射抜いた。

「リサがそんなことしなくてもいいように、おれ、がんばるから」

わたしが怪我しないように、いいや、琳太たちが怪我しなくていいように。そもそもの話、琳太たちが負けなければいいと、そう言いたいのだろう。じゃあわたしは、琳太たちにちゃんと的確な指示を出せるように頑張ればいい、のかな。

……そう、そうだね。強くなればきっと、大丈夫。わたしが強くしなきゃいけない部分はきっと、内面的なもの。臆病ですぐに戸惑ってしまうところ。わかっていてもなおすのは難しいだろう。けれど、それが、仲間を傷つけずに済むということに繋がるなら。

郷に入っては郷に従え、というのならバトルは避けられないって認めている。決められた枠の中で、いかにわたしの考えが通るかは、わたしのやり方次第なのだ。この傷は、間違いの証。でも、わたしがみんなを大切に思っているからこそ起きた、間違い。手を伸ばさなければ良かっただなんて思っていないし後悔はない。でも、みんなに迷惑をかけてしまったことは申し訳なく思っているし、二度とあっちゃいけないことだ。

「一緒に、頑張ろうね。わたしももっともっと頑張らなきゃ……!」
「ん!」
「九十九、言うの遅くなっちゃったけど、進化おめでとう」
「……!あ、ありがとう」

照れて赤面した九十九に、ほっこりと心が和む。白い髪だったイメージがまだ残っているから、まるで綺麗に髪を染めてしまったかのような感じがする。そばかすがないすべすべの肌に、すっきりとした目元。真顔ならなかなか凛々しく見えるはずだけれど、性格補正がかかっているので温厚そうな印象を受ける。子どもと言うよりは少年という年頃に見える九十九の成長はうれしくもあり、ちょっぴり寂しくもあった。

「あっ、いけない!ジョーイさん呼ばないと……」

どうやらわたしの様子を見に来て、もしも目が覚めていたならジョーイさんに伝えるようにと言いつけられていたのだろう。わたしが起きていたからびっくりして、すっかり頭から抜け落ちていたらしい。今まで気づかなかったけれど、ベッドの横には丸椅子と畳まれたブランケットがあって、交代でわたしのことを看ていてくれたのだとわかった。

ベッドわきにあるナースコールのボタンに九十九が手を伸ばしたとき、こんこんとドアがノックされた。お加減いかがですか、と言いながら入ってきたのはジョーイさんだ。

「さっき、リサさんの目が覚めたと聞いたので。腕を見せてください」

わたしの意識が戻ったことを知っているのは、この場にいる琳太と九十九、そして、出ていったはなちゃん。琳太と九十九はこの部屋にいて、今まさにナースコールをしようとしていた。となると、わたしのことをジョーイさんに伝えたのはどう考えてもはなちゃん。彼の優しさの残り香を受け取りながら、わたしはそっと包帯だらけの白い腕を伸ばした。

知らぬ間に縫合手術を受けていたらしい跡が見て取れる。ジョーイさんはわたしの腕を見て、あら、と驚きの声を漏らした。

「結構深い傷だったから、もしかすると痕が残ってしまうかもと思っていたけれど……これなら綺麗に治りそうね」

「本当ですか?」

怪我がどれほどひどいものだったかは知らないけれど、ともあれ痕が残らないのは嬉しいことだ。もう一度新しい包帯を巻き直されて、今日はこの部屋から出ず安静にしているよう言われた。

「動けるまでどれくらいかかりますか?」

「そうね……、貧血がおさまって、抜糸で来たら退院ということにしましょう。少なくとも今日を含めてあと三日は入院してもらいます」

三日かあ……。明日からはポケモンセンター内であれば動き回ってもいいと言われたけれど、結構な足止めだ。急ぎの旅ではないから、とは思ったが、琳太たちには退屈な思いをさせてしまうかもしれない。

ジョーイさんが退室した後、お見舞いに来てくれたのはアロエさんだった。アーティさんはもうヒウンシティに戻ってしまったのだそうだ。一応ジムリーダーなのだから、多忙な身なんだろう。そしてわたしはアロエさんから、わたしがプラズマ団員を倒してドラゴンのホネを取り戻せたこと、わたしが倒れているのをアーティさんが見つけてくれたことを聞かせてくれた。

「アンタのおかげで展示品が守れたよ。ありがとな」

「い、いえ……こちらこそ迷惑をかけてしまって」

「なーに言ってるんだい!アンタも、アンタのポケモンたちも、十分よくやってくれたよ。危険なことに巻き込んじまって、謝りたいのはこっちの方さ!」

傷に響かない程度の強さでわたしの肩を叩き、豪快な笑みを浮かべるアロエさん。アーティさんが“ねえさん”と呼ぶ理由がわかった気がした。

「しばらく入院するって聞いたから、暇つぶしになればと思ってね。退院したら元気な顔見せに来ておくれよ」

「わあ、ありがとうございます!」

アロエさんから差し出された紙袋には、数冊の本が入っていた。これなら当分はベッドの上で退屈しなくて済むだろう。出ていくアロエさんに頭を下げて見送り、紙袋をそっとベッドの傍にあったサイドテーブルに置いた。


 

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