退き潮は寄るばかり‐05 

抜けるような青い空と言うよりは、静かに流れていく清流を思わせる髪に、変わらない黒の瞳。あどけなさが少し抜けて、手足はすらりと伸びている。身長はもしかしたら、わたしと変わらないか、少し大きいくらいかもしれない。

「九十九、だよね……?」
「……!うん!」

わたしが名前を呼ぶと、なぜか九十九は嬉しそうに返事をした。進化して、確かに容姿は変わったけれど、九十九の雰囲気は変わらない。まっすぐな瞳だとか、不安げな表情のときの様子だとか。でも、何だろう。どこか前の九十九と違う。変わったというよりは、内にあるものが一層磨かれたというか、成長したというか……。

「こいつ、擬人化した時に見た目が変わったから“リサにわかってもらえない〜”って嘆いてたんだぜ」
「ちょっ、い、言わなくてもいいじゃん!酷い……。だって髪の毛が、」
「髪の毛?」

九十九の髪の毛、という言葉で彼が隠れていた理由に思い当たるものがあった。そういえばわたしが九十九という名前を付けるとき、真っ白で綺麗な髪を九十九髪と見立てていた。もしかしたら彼は、髪の色が変わってしまったことを気にかけているのかもしれない。

「髪の色が変わっても九十九は九十九だと思うけど……」
「本当に?怒らない?」

どうして怒るの、と噴き出してしまった。思わず口元に添えた手が利き腕で、ずきっと痛んだ。わたしの痛がる顔を見て三人が焦ってしまって、またそれが何だか可笑しくて。笑うな、とはなちゃんに怒られてしまった。

「怪我が治ってきてからにするつもりだったけど、そんだけ元気そうなら今説教垂れても文句ねえよな」
「説教!?」

わたしは一体何をしてしまったのだろう。確かにジム戦ではなちゃんを痛い目に遭わせてしまったし、ヤグルマの森でもそうだ。トレーナーとして至らないところがあったから、はなちゃんはそこに不満を持っているのだろう。もっともっと彼がポケモントレーナーを嫌いになってしまったらどうしよう、わたしの責任だ。彼を救ってくれた育て屋さんにも、サツキにも顔向け出来ないよ……。

「いてっ」

うつむいたわたしの上から影が差し、額にぺしっと軽い衝撃。反射的に痛いと言ってしまったけれど、実際それほどでもない。顔を上げると、はなちゃんが怖い顔で見下ろしていた。眼光が威圧感を秘めていて、何も言えなくなる。

「お前はポケモントレーナーだ。トレーナーがポケモン同士のバトルに干渉すんな」
「干渉……?」
「俺が倒れても駆け寄ってくんなってことだ。うかうかしてっからそんな怪我すんだよ」

でも。でも。そのつもりはなかったとはいえ、わたしがあそこで手を伸ばして、ミネズミに噛みつかれていなかったら。瀕死のはなちゃんがさらにダメージを負うことになっていた。わたしが納得していない様子を感じ取ったのか、更にはなちゃんの眉間のしわが深くなる。

「お前はポケモンじゃねえ。だから、ホイホイ怪我が治るわけねえだろ!お前は突っ立ってりゃいいんだよ」

そりゃあポケモンじゃないよ。でも、人間でもないもん!口走りそうになって、ぐっとこらえた。言ったところでみんなを困らせてしまうだけだし、何の解決にもならない。それでも、はなちゃんの言い方が、まるで怪我をするのは彼らの仕事で、わたしはそれを眺めているだけのような感じがして腑に落ちない。置いていかれたような気がするのだ。どうしていつも一緒にいるのに、わたしは独りぼっちにされなきゃいけないんだろう。

はなちゃんの目を見ていられなくて下を向いていたら、荒々しく扉の閉まる音がした。琳太と九十九しかいなくて、ああ、はなちゃんに愛想をつかされたんだな、と思うと鼻がつんとした。

「リサ?泣いてる?」
「……ちょっとだけ」

大丈夫、とは言えなくて、ぽろっと言葉を零す。背伸びをした琳太が、いつもわたしがしているように、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。ぽたり、ぽたりと分厚い布団に雫が落ちて、薄い色の染みをゆっくりと広げていく。

「リサがけがするの、いやだ。きのうも、その前の日も、さびしかった」
「うん、ごめんね……でも、でもっ、わたしもみんなが怪我したら心配だよ……」

ポケモンバトルでポケモンが怪我しないことなんてありえない。けれどやっぱり、あんなにボロボロになるまで戦っている姿を見てしまうと、嫌だと思う。戦いたくないと思う。

「リサさん、これはアララギ博士から聞いたことだけれど……公式のポケモンバトルだったら、トレーナーはバトルフィールドに入れない。指定された枠を越えれば、そこで失格だって」

九十九は遠まわしに言っている。だからわたしはあの時、はなちゃんに駆け寄るべきではなかったと。はなちゃんよりもやわらかい、穏やかな言い方だけれど、考えていることは彼と同じだ。琳太も、きっと二人と同じ気持ちなのだろう。

「はなにいちゃん、言いかたひどい。でもまちがってない」
「そう、だね。間違ってないんだよね」

間違ってない、はなちゃんたちが正しい。わたしが間違ってる。止まらない涙を病院服の袖で何度も何度もぬぐう。

もし、またあの場面が繰り返されたとしたら。それでもわたしは迷わずはなちゃんに駆け寄るだろう。九十九は失格だと言ったけれど、あれは公式バトルではないし、途中からミネズミが標的にしていたのはわたしだった。トレーナーが怪我するのを防ぐ意味でのルールだから、公式だとかそうでないとか関係なしに守るべきルールだと、頭では分かっている。

やりたいこととやらなきゃいけないことがまた矛盾して、もう涙をぬぐう気力もわいてこなかった。


 

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