退き潮は寄るばかり‐04 

とん、とん、とん。一定の安定したリズムが私の身体を揺らしている。温かくて心地よい。ふわふわとまどろんでいた意識が、一定のリズムに音を添えはじめた。かつかつと、硬い地面と靴底がぶつかって鳴る音。誰かが、歩いている。わたしの足はリズムに任せて揺れるだけで、地面を鳴らしてはいない。
ゆっくりと開いた目が、クセのある亜麻色の髪を映し出した。

「あ、れ……?」
「んうん?起きたかい」
「えっ」

アーティさんの顔が間近にある。ぱちぱちと何度もまばたきをしてしまったけれど、それでも目の前の光景はかわらない。少しずつ周りの景色が変わっていくことにも気づいて、そこでようやく、今自分がどんな体勢なのかを悟った。

「お、降ろしてください……!」
「だめだよ、きみ、さっき貧血で倒れたばかりなのに」

貧血、そうつぶやくと、呼応するかのようにつきりと利き腕が痛んだ。
そうだ、わたし、はなちゃんを抱きかかえようとしたときにミネズミに噛みつかれて、それで……。思い出すだけで、身体中の血液がサッとどこかへ隠れてしまったように酷いめまいがする。
やっぱり歩けそうにないね、とアーティさんに苦笑されたことが恥ずかしくてうつむいた。もちろん、今のこの状況をあまり受け入れたくないという気持ちもあってのことだけれど。
一生のうちで一度だって、誰かにお姫様抱っこなんてされることはないと思っていた。それが今、シッポウシティの街中をこうして抱きかかえられて歩いている。

アロエさんが大丈夫かいと尋ねてきたけれど、うなずきを返すだけでも頭が痛い。思ったよりも酷い出血のようだ。応急処置だろう、血の滲んだハンカチがわたしの腕にきつく結びつけられている。わたしがプラズマ団員たちを追い払った後、アーティさんとアロエさんが迎えに来てくれたらしい。すっかり迷惑をかけてしまったようで申し訳ない。

早くどこかへ、そう、地面でいいから下ろしてはくれまいか。ずっとそう思いながら耐え忍ぶ。自動ドアをくぐる音がして、ぱっと顔を上げると見慣れた内装が目に入った。ポケモンセンターだ。

「あ、あの、琳太たちを」
「ああ、アタシが一緒に預けておくよ。アンタも早くジョーイさんのお世話になりな!」

わたしはすぐにストレッチャーへと乗せられて、アーティさんから解放されたと安堵する間もなく治療室へと連れていかれた。琳太たちのボールはアロエさんに託したから心配ない。横たわっているうちに、今度は疲れや緊張の糸が切れたことによる眠気がやって来て、ぐっとわたしの意識は深みへと沈んでいった。



目を開けると真っ白な天井があって、蛍光灯の無機質な光がまぶしかった。ゆっくりと上体を起こせば、右腕に巻かれた包帯が目に入る。起床直後の気怠さはなくて、むしろすっきりと目が冴えているくらいだった。
丁寧に巻かれた真っ白な包帯と同じ色の布団が、ぱたりと上半身から離れていく。その静かな音を皮切りに、部屋の外からこちらへと近づいてくる足音がした。視線を上げたところで、がちゃりとドアノブが回される。まさか自分の部屋のドアが開くとは思っていなかったので、びくりと身体がこわばった。きゅっと包帯をした腕が圧迫されて、鈍く痛む。

「リサ!」
「こらやめろばか!」

無音の病室にいきなり琳太の大きな声が響いて、それを掻き消すように続いたはなちゃんの声。起き上がっているわたしに飛びつこうとした琳太を、はなちゃんが後ろから羽交い絞めにした。二人の身長差のせいで、じたばたと琳太の足が宙に浮いている。

「はーなーしーて!」
「リサは怪我してんだから突進したらだめだろうが!」
「うっ」

口を尖らせた琳太が手足をばたつかせるのをやめ、大人しくなったのを見計らってはなちゃんは腕を離す。解放された琳太が、今度はゆっくりわたしの傍へとやって来た。包帯が巻かれていない方の手で頭を撫でれば、にぱっと笑う。

「おかえり、元気そうだね。……はなちゃんも、もう大丈夫なの?」
「ん?ああ……お前、自分が丸二日寝てたって気付いてねえだろ」
「えっ本当に!?」

琳太の頭の上で動かしていた手が止まる。わたし、丸々二日寝ていたのか。道理で瀕死状態だったはなちゃんがぴんぴんしているはずだ。頬や腕にいくつか絆創膏の類が貼られているほかはいつもと変わりない姿に、本当に二日寝込んでいたのだと実感せざるを得なかった。壁に掛けられた時計は、ちょうどわたしがヤグルマの森に向かった時間帯を示している。

もっと、と無言でせがむ琳太の頭に置きっぱなしだった手を再び動かしはじめたところで、九十九の姿が見えないことに気付いた。一番酷い怪我を負っていたはなちゃんが、こうして何でもない風なのだ。九十九だって、もう元気になっているはず。どうして一緒にいないのだろう。はなちゃんに尋ねると、ため息が返ってきた。

「あいつならドアの外にいるぞ」
「そうなの?おーい、九十九ー」

くぐもった控えめな返事が返ってきたけれど、ドアが開くことはなかった。どうしたというのだろう。進化おめでとう、あの時はありがとうって言いたいのに。もう一度呼びかければ、やっとドアノブが回ってこぶしひとつ分の隙間を作った。

「あ、あの、」
「いーからとっとと入れよ……ったく」

しびれを切らしたはなちゃんに引きずり込まれるようにして、九十九がよろけながら部屋の中へと転がり込んできた。


 

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