千代の傷跡‐09 

ジムリーダーのいる部屋に、しかも挑戦者がいることがわかっているというのにそれを承知で飛び込んできたということは、相当急を要する事態だと簡単に予想がつく。副館長のキダチさんは、ずれた眼鏡もそのままにわたしたちの下へとやって来た。

「ママ!大変だ!プラズマ団という連中がやって来て、ホネを頂くって……!!」
「なんだって!どういうことだい!?」

プラズマ団という言葉に、嫌な予感がむわりと沸き起こった。彼らはこの街でもトラブルを起こすというのだろうか。道中プラズマ団と遭遇したことを思い出し、眉間に皺が寄る。
不穏な言葉に血相を変えたアロエさんが、ずかずかと階段を上って行った。そして途中で振り向きざまに、わたしに向かって口を開く。

「リサと言ったね、アンタもおいで!」

アロエさんの気迫に圧されてその背中を追う。そわそわと困惑しているジムトレーナーたちがいる図書館のようなフロアを抜け、真っ直ぐに博物館へとつながる道を走った。目の前には何人ものプラズマ団員たちがいて、軽いめまいを覚えた。まさかこんな手狭な場所での戦闘にはならないだろうけれど……。それでも、相手が何をするかわからない以上、演説の時以来の大人数を前にするというのは気が引けた。はなちゃんを早く手当てしたいのに。
そんなわたしの気持ちを余所に、アロエさんが統一感のある奇妙な服装の集団に向かって怒鳴り込む。

「ちょっとアンタたち!おふざけはよしとくれ!!」
「来たか、ジムリーダー。我々プラズマ団はポケモンを自由にするため、博物館にあるドラゴンのホネを頂く」

どうやらキダチさんの言ったとおり、本当にドラゴンのホネを奪うつもりでやって来たようだ。博物館にちらほらいたお客さんたちは、すみっこに集まってひっそりとプラズマ団の様子を見ていた。受付の人たちも表情を硬くしている。

「我々が本気であることを教えるため……あえてお前の前で奪おう」

緊迫した空気の中で、プラズマ団の男の声はよく通った。男がほかの団員に合図をすると、プラーズマー、という少し気の抜けた返事が一斉になされ、目の前が真っ白になった。煙を思い切り吸い込んでしまい、口元を押さえて咳き込む。煙幕のようなものが博物館中に充満しているようだった。ハンカチで口と鼻を覆い、一息つくまでには結構な時間がかかった。誰かが換気扇を回したのだろうか。意外とすぐに煙幕は晴れた。しかし、再び色を映した視界に飛び込んできたのは、頭部のかけたドラゴンの骨格標本であった。

「なんてこったい……」

エプロンで口元を覆っていたアロエが目を見開く。慌てて博物館の外へと飛び出していった彼女はわたしについて来いとは言わなかったけれど、考えるよりも先に足が動いていた。

でも、その足はたまたま腕を掠めたボールの感触ではたと止まる。はなちゃん。
このままプラズマ団を追いかけるような展開になったとして、もしもポケモンバトルを仕掛けられたら。はなちゃんは大きなダメージを負っているし、琳太もほとんど無傷とはいえ、消耗していないわけがない。このまま突っ込んでいくのは無謀な気がして、日の当たる場所への一歩がどうにも踏み出せない。

『おい……何してんだ』
「はなちゃん!?」

ボール越しに聞こえた声は、刺々しさこそあるものの、いつもよりずっと弱い。きっと意識を取り戻したばかりなのだろう。

「はなちゃん大丈夫?すぐにポケモンセンターに……」
『ばか!』
「えっ」
『だからばかっつってんだろこのばか!…けほっ、何がポケモンセンターだよ!』

でも。でも。
ぼろぼろのはなちゃんに叱咤されて、涙が出そうだ。わたしは結局我が身が、身内が可愛いからはなちゃんを優先したいし、そうしようとしている。でもそれはわがままだと、他にやるべきことがあると、当事者であるはなちゃんに言われてしまった。したいこと、しなきゃいけないこと、どれもこれもを一緒にすることは出来なくて。ぐっと唇をかむ。

『最悪を想定すんのもわかるけど行ってみねえとわかんねえだろ……それに、いざとなりゃ九十九、』
『ひっ、何?』
『お前、その傷はお飾りかよ。今まで何見てきたんだよ』
『……!』

九十九の傷、という言葉で、彼の貝殻についた、癒えることのない小さなそれを思い出す。近くでじっと見つめなければわからないほどの、とても小さなものだけれど、九十九のすべすべとした手触りのホタチには少々似つかわしくないようにも思えるものだった。

それをどうして今、はなちゃんが口にしたのかはわからない。けれど、はなちゃんの言葉で息を呑んだ九十九は、それきり黙ってしまった。何か思うところがあるのだろう。

もう一度はなちゃんに急かされて、わたしはようやく博物館から飛び出した。薄暗い空間にずっといたせいで時間の感覚も明るさの感覚もずれていたのだろう。太陽の光がとても眩しくて、手で陰を作る。
また涙が出そうになった目をぎゅっと一度強く閉じて、明るさを甘んじて受け入れる。まぶた越しの日差しですら突き刺すほどだったけれど、ゆっくり、ゆっくり開いた目が、滲んだ視界をクリアにしていくにつれて、ようやくわたしの感覚が外の世界に馴染んだのであった。


 10. 千代の傷跡 Fin.

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