千代の傷跡‐08
勢いよく挙げられた旗が空気を切る音と共に、ミルホッグが駆け出した。今度は先手を取られてしまったようだ。
「第二試合、シママ対ミルホッグ、開始!」
そんな審判の声も耳に入らないくらい、目の前の状況を把握しようとわたしの頭と視界ははなちゃんたちのことでいっぱいいっぱいだった。
「はなちゃん、電気ショック!」
今から駆け出しても間に合わない。ならば迎え撃とうと遠距離攻撃を指示する。しかし、素早くミルホッグは電撃をかわし、はなちゃんの懐へともぐりこんだ。
「さあミルホッグ、かたきうちだ!」
やわらかいがら空きのお腹に、下から思い切りミルホッグが突撃した。体当たりよりも強烈なその衝撃に、はなちゃんの身体が真上へと突き飛ばされる。
『がっ……は……!』
「はなちゃん!」
落下するはなちゃんへの追撃のために、ミルホッグが待ち構えている。しかし、はなちゃんはミルホッグを見ていない。おそらく急所に当たったのだろう。瞳はどこか遠くを見ているように焦点が合っておらず、意識があるかどうかすら怪しい。それに、ミルホッグがもう一撃加えなくとも、地面に落ちた衝撃でまたダメージを負ってしまうだろう。
「戻って!」
突き出したボールからまっすぐに赤い光が伸びて、はなちゃんを球体へと吸い込んでいく。かろうじて地面に激突する前に、はなちゃんをボールへと戻すことができた。待ち構えていたミネズミは、軽い足音と共に体勢を立て直し、アロエさんの元へと戻っている。お疲れさまの気持ちを込めて、そっとボールをホルダーに留め、ダークボールを取り出した。
「琳太、よろしくね」
『ん!』
歯をかちかちと鳴らし、琳太はフィールドに降り立った。かたきうちという技は強力だから気が抜けない。なるべく接近戦を避けた方が良さそうだ。
アロエさんもわたしも、もう後がない。この勝負で、バッジの行方が決まる。
はなちゃんが審判から戦闘不能と判断されていない以上、勝負の仕切り直しはされないから、琳太がフィールドに飛び出したその瞬間からバトルは始まっている。体制を整えたミルホッグは、すでに琳太に向かって走り出していた。
「琳太、近づけちゃだめ!広範囲にりゅうのいかり!」
ごう、と不思議な色の炎が琳太の前面へと吐き出された。炎の壁のようになったそれは、ミルホッグの動きを止める。
「りゅうのはどう!」
りゅうのいかりよりも威力があり、貫通力に長けた一点集中型の技。それが青白く揺らめく壁を貫いて、ミルホッグをとらえた、ように思われた。
「ミルホッグ、飛び越えてひっさつまえばだ!」
りゅうのはどうはミルホッグを掠めただけで、大したダメージは与えられなかったらしい。向こうからすればこちらが見えない壁の存在は邪魔だろうと思ったけれど、それはこちらも同じこと。わたしにだって、ミルホッグの姿が見えなくなっていたのだから。
琳太の目前で、ぐわっとミルホッグの鋭く白い歯がぎらついた。
「もう一発!」
間に合うかはわからなかった。けれど、叫ばずにいることもできなくて。無茶振りだったかもしれないという後悔を抱えたまま祈るように見つめた先で、琳太の口から光が漏れた。
避けようのない空中を駆けるミルホッグに、咄嗟の一撃が迸る。零距離。威力は先ほどのものより劣りはするものの、真正面からのりゅうのはどうは、十分な威力を持っていた。
フィールドの反対側、アロエさんの足元までミルホッグが吹き飛ばされた。放物線を描くそれに、わたしの思考は追いつかない。軽い音を立ててミルホッグが地面に投げ出されて初めて、わたしは痛いくらいに自分の手を握りしめていたことに気が付いた。くっきりとした爪のあとがいくつも刻まれているてのひろを広げて、もう一度ゆるく握ったとき、勢いよく審判の旗があげられた。
「ミルホッグ、戦闘不能。モノズの勝ち!よって勝者、カノコタウンのリサ!」
走り寄ってきた琳太をしゃがんで受け止める。ずっと観戦席で座っていた九十九がおずおずとやって来て、小さく祝いの言葉を口にした。
「おめでとう……!」
「うん、九十九も応援ありがとう!」
「聞こえ、てたの?」
ちゃんと聞こえていた。小さな声ではあったけれど、バトルの大きな音にも負けず、私の背中に九十九の応援は届いていた。それはおそらく、はなちゃんと琳太にも届いていたはず。わたしよりもずっと優れた聴覚を持っているのだから。
立ち上がったわたしの前には、腰に手を当ててさっぱりと微笑むアロエさんの姿があった。
「大したもんだよ!アンタはこのベーシックバッジを受け取るにふさわしい。ほら、これを」
受け取った、ぴかぴかのバッジにわたしの指紋がぺったりとついた。それが申し訳なくも、嬉しくも思えて、よくわからない感情が沸き上がってくる。すでにひとつ埋まっているバッジケースに丁寧にしまい込んで、ほっと息を吐いた。何だか、とても肩が凝ってしまっている。少し肩を回してほぐそうとしたとき、急ぎや焦り、慌てをそのまま音にしたような切羽詰った声が聞こえてきて、びくりと再びわたしの身体は固まってしまうのであった。
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