千代の傷跡‐05 

シッポウ博物館へと足を踏み入れると、通路の両側にある受付にいた女性と目が合った。入館料は必要ないようで、差し出されたパンフレットだけを受け取る。反対側の受付では黒髪の背の高い人がやり取りをしていたが、振り向いたときに“彼”だと分かって少し驚いた。長くてきれいな黒髪だったし、後ろ姿も華奢だったせいで、てっきり女性だと思っていたのだ。その彼と目が合って、会釈をされた。慌ててこちらも会釈を返したが、そのときにはもう彼の目線は動いていて、琳太と九十九を見つめていた。

「その二人はポケモンじゃなあ……」
「えっ!?そ、そうですけど」

どうしてわかったんだろう。見た目にそぐわないのんびりとした―こう言っちゃ悪いがじじくさい―口調にも面食らったが、内容にも驚いてしまって、博物館だというのに少々大きめの声を出してしまった。こういうとき、間に合っていないのに反射的にぱっと口を覆ってしまうのはどうしてなんだろう。意味がないのについついやってしまうのだ。

わたしじゃ絶対に人間と擬人化したポケモンを見分けられる自信がない。それともこの世界で生きている人たちはみんな、何となく見分けるすべを会得しているというのだろうか。
わたしが色々なことに考えを巡らせて半ば混乱している間にも、彼は穏やかな表情を浮かべてわたしたちを見下ろしていた。

「リサ、リサ、どうしたの?」

握ったわたしの手をぶんぶんと振って、琳太がわたしの顔を見上げる。ハの字に下がった眉に申し訳なくなって、大丈夫だよとうなずきかけた。ちょっと驚いただけだ。

「仲が良さそうでよきかなあ。うんうん」

のんびりとした話し声の主にどう返答しようかと考えあぐねていたら、彼はひらりと手を振って、博物館を出ていってしまった。一体何だったのだろう。わたしたちのことが微笑ましげに見えて話しかけてきただけなのかもしれないし、深く考えすぎかな。不審な印象は受けなかったし、わたしよりもそういうのに敏感なはずの琳太と九十九が敵意を抱いたり怯えたりしていなかったから、心配いらないだろう。

少し乾いた空気を吸って、先に進むことにした。とはいえ、どこから見たらいいのかわからない。順路があるかと思っていたがそういうものはなくて、入館者たちは思い思いに展示品に目を通している様子だった。両手を自由にしてパンフレットとにらめっこしていたら、館内案内図に影が差した。

「わたくし、副館長のキダチです。よろしければ案内して差し上げましょうか」

迷って先に進む気配のないわたしを見かねたのか、親切に声を掛けてくれたキダチさん。ありがたい申し出を断る理由はどこにもなくて、ぜひよろしくお願いしますと頭を下げた。

まず案内されたのは大きなポケモンの骨。博物館といえば巨大な恐竜の骨格が目玉だったりするが、まさにそんな感じの堂々たる全身骨格標本だった。ここでは恐竜の代わりにドラゴンタイプのポケモンの骨格であったのだけれども。世界中を飛び回っているうちに何らかの事故に遭い、そのまま化石になったらしい。

「ドラゴン……」

そういえば琳太もドラゴンだ。将来、あんなふうに大きくなる日が来るのだろうか。九十九は標本が動くわけもないのにあまり近づこうとしていなかった。怖いのかな。

「すごい石ですよ、これは」

そう言ってキダチさんが指し示したのは、鈍色に光る石だった。隕石。その欠片のような小さな見た目に反して結構な質量を持っている、らしい。持ったことはないけれど、半分金属でできているようなものだし重たいと聞いたことがある。
何かしらの宇宙エネルギーを秘めている、と言われたので、ただの鉱物ではないらしい。同じ物質でもこの世界では不思議な力を持っていたり成分が異なっていたりするようだ。そういう違いが見つけられることは、面白くもあるけれど、少し寂しくもあった。当たり前だと思えない、素直に感心できない、それが疎外感のようなわだかまりを生んでいるのだった。

隕石の隣に展示されている石に、ふと視線が吸い寄せられた。ガラスケース越しに見えるそれは、クッション材のように包み込んでいる綿の色と対照的な黒色で、触ればきっとなめらかな肌触りなのだろうと思った。囲碁のそれよりも大きく、それでも手のひらに収まるくらいの大きさ。石に対してこういう表現が浮かぶとは思っていなかったが、絹やとろけるような質感が目に見えて伝わってくるのだ。わたしの視線に築いたキダチさんが、ああ、と声を漏らす。

「こちらはただの古い石。砂漠付近で見つかったのですが、古いということ以外は全く価値が無さそうでして……。でも、とてもキレイなので展示しているんですよ」

思わず見とれてしまうくらいには綺麗だ。しかしそれ以上の説明もないので自ずとキダチさんが歩き出した方へと視線を向ける。視界から石が消えるその瞬間、きらりと輝きが見えた気がしたが、よく磨かれたガラスケースのせいだろう。


さほど大きな博物館ではないから、一時間もしないうちにすべて見てしまった。一番最後にやって来たのは、博物館の奥の方、階段の先にある少し開けた場所。

「この先がポケモンジムとなっております。一番奥で強くて優しいジムリーダーが待っています。ちなみにジムリーダーのアロエは、わたくしの奥さんなのです」

そこでわたしは今更ながら、この博物館のもうひとつの顔を思い出したのであった。




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